逢魔が時 1

〜はじめの一言〜
先に、労咳の総司の最後のあたりから触れてます。セイちゃんがかなりダークな人です。ご注意ください。
BGM:T.M.Revolution Meteor-ミーティア
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悔しい。

憎い。

暗い心の闇に手をかけて力ずくで押し広げる。

あの人は、最後まで一緒にいていいと言ってくれた。

看病する私に、病がうつるといけないと言って、離隊させようとした頃以上に、酷い言葉で何度も突き放し、傷つける言葉をぶつけながら、それでもその人自身が傷ついていることが分かっていたから。何を言われてもよかった。あの人の傍を離れるつもりはなかった。なのに。

本当にもう幾日も残されてはいないと思えるようになった頃、あの人は私を裏切った。

あの人の兄とも言える人に、届けるように遺言と愛刀を残して。私の前から姿を消した。

そんな日が来ると思っていた。だから何度も約束を重ねた。置いて行かないで。最後まで傍にいさせてと。駄々っ子をあやすようにあの人は笑ってそれを許してくれたのに。ある日、私にわがままを言い、終の棲家だと思っていた家から私が家を出た間にいなくなった。

頼み事をしてきたあの人の兄分たちの言葉に、すぐに私は気がついたけれど気づかぬふりをして家を後にした。そして、いくらもたたない間に、家を出るあの人と彼を連れ出しにきた人たちの後を追った。庭木屋の離れらしき場所にあの人が落ち着いたのを見た。

「これで安心して逝けます」

庭先で、彼をここまで連れてきた人に向かって、彼がそう呟いたのを聞いた時。私の中の狂気が牙を剥いた。

副長がその家を後にするところを見る前に、彼が消えた家に戻ると、そこには副長へあてた手紙と、脇差だけが残されていた。

私へは

『すべて忘れて幸せになりなさい。』

たった一言書き残されていた。

「―っっっっっ!!!」

全身の血が凍るようだった。
なぜ、最後まで一緒にいさせてくれないの。
貴方の最後を看取ることさえも許されないの。
これほどまでに、私の幸せをあの人が。
一番愛するあの人が踏みにじるなんて。

私の心を、闇が蝕んだ。泣き声ではなく、叫びが喉からあふれだす。たった一言書き残された手紙を握りしめて、私はその夜、狂気に身を委ねた。

 

 

あくる朝、彼が私の前から姿を消したことを、彼の仲間たちが知らせにきた。俺達も移動先は知らないのだと、申し訳なさそうに言う彼らに淡々と答えた。

いつか、こんな日がくると、わかっていたと。

そして、彼の残した荷物をすべて、彼に渡して欲しいと朝方まとめた荷物を手渡した。断りきれず、受け取った彼らが、それを受け取ることで彼の居場所 を知っていることを物語っていることも、十分にわかったけれど。そして、最後に、彼の手紙と託された脇差を北に向かった副長に届けるのだと伝えた。

そうすることで、間違いなく彼にそれが伝わるだろうことを見越して、初めて彼にもらった刀を彼の荷物に忍ばせた。

そうして、私は北へ向かった。私を置き去りにしたあの人を手助けし、連れ去った人のもとへ。

「ご無沙汰しています」

そう言って、その人の前に私が現れた時、その人は当然のように受けとめた。私が来ることも当然知っていたはず。でも私は、さも託されたものを届けに来たと嘘をついた。

だって、愛しくて、愛しくて、愛しすぎて、憎いあの人も、あの人を手助けして私から遠ざけたこの人も、決して許すことなどないのだから。愛しいあの人がまだ生きているうちに、もし来世生まれ変わっても私のことを忘れることなどできないようにするために。

「ご苦労だったな」

私の心には気づかず、副長は渡した手紙を広げた。さらりと一読したあと、私の今後の身の振り方を尋ねた。

「アイツはもう長くない。だからお前を突き放したんだ。」
「わかっています」

わかっています。
貴方があの人のことをそういうことも、そう言うことでまだかろうじて彼が生きていることも。だからこそ。
二度と消えない楔を魂に刻み込むために。

 

 

時間がなかった。彼が生きているうちに。
その日は、そのまま副長のもとに泊めてもらうことになった私は、ここに来売る途中に、愛しい人にむけて書いた手紙を思い出していた。それはこれから間違いなく、彼の魂に私を刻みつけるために行う儀式なのだ。

「副長……」

彼に贈られた2本目の刀を手に、副長の部屋を訪ねた。夜半でもあり、さすがに副長も夜着に着替えて、一読したはずの手紙を片手に、好きではない酒を飲んでいた。私が持ってきた刀をみて、眉をひそめたが、あえて触れてはこなかった。

「眠れないのか」
「あの人の……脇差を見せてください」

傍らにあったそれを手にすると持参した刀と揃えて、机に置いた。不思議そうに眺める副長に、私はふふっと笑って見せた。

「せめて、刀くらいは一緒にいさせたいじゃないですか」
「……ばかやろう。お前もあいつも大馬鹿だ」
「そうですね。馬鹿ついでにお願いがあります」

そう。この人は、本当は優しくて不器用で、愛しい人がこよなく愛した人だ。

だからきっと、断れない。そして騙されるだろう。

「なんだ……」
「聞いてくれますか?」
「だからなんだ!」

「私を、抱いてください」

ガッ。

副長は、手にしていたグラスを驚きとともに手放した。

「何……言ってやがる…………」
「あの人は、うつるからといって、後にも先にも一度だけ。一度しか私を」
「だからなんでそうなるんだ」
「私はあの人の願い通り、すべての思い出を持って、ここを去ります。その最後の思い出にあの人の……沖田先生の最後の記憶を思い出しておきたいんです」

馬鹿な……

副長がつぶやいた言葉を、聞こえてはいたけれど聞こえなかったふりをする。あの人がそんなことは言ってないと思ったんだろう。でも、あの人は照れ屋だから。
あの人の性格を知っていれば、逆に信憑性が増すだろう。

「神谷……本気で言ってるのか」
「本気ですよ。もう私には何も残ってないんです」

だって、私は知っている。
貴方がいつからか、私を見るようになっていたことも、大事な弟の傍にある、私を見ていたことも。

私は阿修羅になる。

 

どこまで騙せるかは賭けだった。副長は、女遊びに長けていたから。

「……副長にはわかりますか?」
「何をだ?」
「……いえ」

飲み込んだ言葉を訝しげに見つめてくる。きっと、心の中では揺らいでるだろう。でも、この人の気持ちも揺らぎも、利用させてもらうだけ。

すっと、副長の傍によって、片手にしていた手紙を取り上げる。そこにはあの人の筆跡があったのだけれど。あえて目もくれずに。視線を合わせたまま、副長の胸元に手を伸ばした。

「馬鹿言うな。なんでお前を抱かなくちゃいけない」

掠れる声が、副長の心の動揺をはっきりと表していた。私は、かまわず掌を胸元につけた。

「本当に一度だけ……。だって……あんまり私がかわいそうじゃないですか。身代わりをお願いするのは申し訳ないけれど、他にいませんから」

こく…………
息を飲むのもわかる。掌から、早くなった鼓動もすべて。
目を伏せながら、副長の頬にそっと唇をよせた。耳元に唇を寄せて、耳を甘く噛むようにしながらささやいた。

「大丈夫です。初めてじゃありません。副長が気になさることは何もありません」

副長の手がわずかに震えて、私から顔をそむけた。

「アイツの惚れた女だぞ、お前は」
「だから……」

片手を添えて、こちらに向かせる。今度は目を伏せることなく、視線を合わせたまま、唇を合わせる。

「私が、去っていけるように。お願いします」

しばらくそのまま目を逸らさなかった副長が私を抱きよせて、思いのほか優しく口付けた。そのまま、瞼に、頬に口付けをしながら、私を組み敷く。重みをかけないように、自身の腕で支えながら、もう一度私を見た。

「本当にそれでいいのか、お前は。アイツはまだ生きているのに」

―― ああ。 それでいいんです。

きっと副長は、私を憐れんで抱くだろう。私が明日、笑ってここを出ていくためだと疑わずに。

「いいんです」

微笑みながら答える私を抱く腕に、力が入った。

 

 

 

痛みに、気が遠くなるかと思った。この体を引き裂く痛みに。

でも、一つ目の願いはこれで叶った。願い……?いいえ、これは呪い。決して、許されることのない呪いなのだ。

「……お前っ!!」

私を引き裂いた印に気がついて、副長が体を引こうとした。けれど、そんなことは許さない。

「副長……」

眼尻から、涙がこぼれた。細いと、弱いと言われ続けた腕をまわして、副長の体を引き寄せた。
どこまで想いが伝わったのだろうか。再び、副長は私に口付けをしてから、せめても終わりを早く引き寄せるように、動きを速めた。

 

私の中に、悲しみを吐きだしたあと、副長はそのまま私をそっと抱きしめていた。この人は、すでに局長を亡くし、さらに大事な弟分をこれから亡くすのだ。昔、あの人に何度も言われた。

『わかってあげてください。あの人は脆い人ですから』

それさえも、今の私には、憎しみを刻む刃でしかない。

月の位置が移り、日が変わり深い闇から朝の光を待つ時間になったことを知らせる。夜着をかきよせて、両の腕の間から抜けだした。引き留めることなく、私を自由にした副長は、その眼に痛みを浮かべて私を見た。

「副長。まだあの人に連絡をとられますか?」
「……俺が何を今言える」

私がこのことをあの人に伝えるのかと、言ったと思ったに違いない。あながち間違ってはいないのだけど。
先ほど、添わせるように置いた刀の傍に近づく。両の手で、二振りを引き抜いた。

これまで、幾度も傍にいた刀だから。あの人の荷物に忍ばせた刀が何かを伝えてくれるかもしれない。二振りを愛おしく見つめる。

「副長。私には、沖田先生が何を思って、なぜ私を置き去りにしたのか、わかりません。沖田先生が、私を決して理解されないように」
「アイツはお前の幸せを願ってた!」
「私の幸せ………とはなんです?……何も…何もわかっていない。かつて、言葉にしなければ信じられない女子を哀れといったのに」

振り返った私をみて、何かを理解したようだ。

どれほど私を傷つけ、打ちのめし、絶望の闇に落としたのかを。昏い闇の中に落ちた私を。
それでいい。この憎しみは消えないのだから。

切腹などではない。もう、私は武士でいることも女でいることも許されはしないのだから。
女が子供を宿す下腹部に、邪魔などさせぬうちに両の二振りを突き立てた。

「神谷!!!!!!」

腹であれば、いくら刀を2本突き立てたとしても、すぐに死ぬことはかなわない。横になっていたから、身を起こすまでに時間がかかる、と。それを見越 しての行動の後、急いて駆け寄った副長の手を払いのけた。そして、沖田先生の脇差を力いっぱい引き抜く。傷口から血が噴き出して、あっという間に血溜まり を作りだす。

「神谷!!!この馬鹿野郎!!!」

振り払った手を再び伸ばして、傷口を押えるために抱き起こされる。
もうそんなこともどうでもよかった。思い浮かべるのは愛しくて憎いあの人が、私の手紙を受取って、私の最後を耳にして、どう思うだろうか。

「……傍に……いられないなら……私なんていらない……」
「神谷!!しっかりしろ!」
抱きよせて、傷口を押える人さえ、もう見えてはいない。

そして。最後の、呪いを完成させるために。

「おきた……せんせいっ!!!」

引き抜いた脇差を今度は、躊躇いなく胸元に突き立てた…………。