風のしるべ 1

〜はじめの一言〜
現代編です。新編になります。まだまだどんなもんかわからないですが。
BGM:
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「行ってきます」
「行ってらっしゃい!やだぁ~、ママも遅刻しちゃう!」

時間どおりに支度を済ませた娘とは、反対に慌ただしく鞄と携帯を掴んで奥の部屋から母親が駆け出してくる。
玄関先で娘に追いつくと、慌ただしく靴を履く。

「先に行っていいよ。鍵、締めておくから」
「ありがと。助かる~!未生ちゃん、気を付けてね!」

マンションの廊下に踵の音を響かせて足早に去っていく音を聞きながら、肩を竦めた。ドアを閉めて鍵をかけると、階段で一階まで降りる。駐輪場から自転車をだして、駅まではこれで行くのだ。

耳にはイヤホンとブラウスの胸ポケットには音楽プレーヤー。
携帯は落とさない様に鞄の中。前カゴに入れたカバンは、もって行かれない様にハンドルに引っ掛ける。父親の出勤は、母娘よりも三十分も早い。きっと今頃はまだ電車に揺られている時間で、ようやく会社に着く時間には娘も学校についているということになる。

道路にちらりと視線を投げてから走り始めた。駅まで自転車で11分。この1分が意外と大きなことも身に染みている。

駅前の通りから一本入ったところにある公共の駐輪場に自転車を止めると、駅までは連絡通路を歩いていく。その間に、携帯のメールをチェックして、友達への返信とバイトのチェック。

『未生ちゃん、新しいイベント入ってたよ!』

友達からのメールには、よくアルバイトをする会社の募集がかかっていた。

「……あ。これ、秋休みだからいいかも」

平日の丸一日拘束されることになるが、この会社のバイトは安心できるので、好んで応募していた。普通は平日の募集など、とても応募できないが日程を見たら試験が終わって秋休みにかかっている。

『私は、その日は応募できないけど未生ちゃんは応募する?』

「もち、ろん」

携帯のメールに返信を打つ。液晶の画面を滑る様に指が動いて、短い返信を送った。
バイトはできるならもっとやりたいと思っているが、塾や勉強に影響するほどたくさんはできないから、単発で手堅い仕事は助かる。

登録してあるアドレスから応募をすると、ちょうど駅に着いたために、携帯をポケットに入れた。

 

 

 

 

「土方君」

くるりと振り返ったその顔は社内で知らない者がいないほどの仏頂面である。洒落たスーツに身を包んでいるその姿は、険しい目の鋭さがあったとしても、仏頂面と同じくらいの男前として知られていた。

「今度のイベントもよろしく頼むよ。忙しいと聞いているから、メンバーの増員は検討しておくからね」
「……」

媚びるような物言いに無言で軽く頭を下げた土方は、内心の不快さを抱えてエレベーターのボタンを押す。何基あってもこれだけの大きなビルだ。建物自体は賃貸だが、そのフロアのほとんどを同じ会社が占めている。
くだりのランプがついても、到着を知らせる点滅が点くまではその場を動かなかった。

ぽーん、と軽い音をさせてエレベータが来ると、手にしていた書類を丸めて開いた箱に乗り込んだ。

会議をしていたフロアから自席のあるフロアまで降りると、セキュリティのドアを抜けてオフィスフロアに入る。

「お疲れ様です」

通りすがりの女子社員の挨拶に頷きを返して土方は足早に奥へと進む。大きなビルはエレベータホールを挟んで両サイドにフロアが広がる。そのフロアも、中ではいくつかに区切られている。
その区切られたフロアの一角に進むとドアを開けて中に入った。

「お疲れさんっす」

窓際の自席まで歩いていくと途中で声がかかる。今度はその声には答えず、デスクまで行くと、どさっと腰を下ろして会議の資料を書類箱の上に放り出した。

「機嫌悪いっすね」

モニターに向かっていた原田が顔の向きを変えずに、からかいの言葉を投げる。

「ったく、無駄な会議ばっかりしやがって」
「無駄な会議だからこそ、課長が呼ばれるんじゃないすか?」
「馬鹿言うな。部長の代わりだからこそ出るだけだ」

デスクの傍らに置いてある清涼菓子のケースを手にするとパチッと音をさせて粒を取り出し、口に放り込んだ。
淡々と仕事をしていたもう一人の若い男が立ち上がると壁際のコーヒーメーカーに近づく。男は自分のカップにコーヒーを注ぐと、使い捨てのカップを取り上げてそれにも注いだ。

何も言わずそれを土方のデスクに置くと、自席に戻って何もなかったようにコーヒーを飲みながら仕事に戻る。やっとこの部署の空気になじんできたところだ。

「沖田。お前、今どれもってんだ?」
「新製品の発表二つと、その後はイベントを一つ持ってます」
「そうか。原田は」

目の前に置かれた淹れたコーヒーに手を伸ばしながら、今、誰が何をしているのか頭にある情報と照らし合わせるために問いかける。沖田とは対照的に、ひどく乱雑なデスクの上をばさばさと払いのけて手帳を取り上げると、ぺらぺらとめくった。

「俺は、沖田の発表のサポートと、来月の広告。プレゼン1本っす」

提案だけならもっと抱えているはずの原田は長い付き合いだけに、わざとその予定を外して言った。土方が不機嫌になる会議の後に抱えた仕事を聞いてくるなら、面倒な仕事を押し付けられてきたのだろう。

面倒な仕事は、まだ入社三年目の沖田に回すには荷が重いと思ったのだ。

「そうか。なら……」
「俺は、今月後半から大分余裕です」

原田に頼みたい、と口を開きかけた土方を遮る様に山口が口を挟んだ。無愛想な顔だが、その実は情に厚い男である。
部署の仕事が忙しくなり、他の部署から転属になってまだ一年だが沖田よりも営業部で鍛えただけに仕事の腕は確かだった。

「ふ……ん。まあいい。面倒はまだ先だ。とにかく、目先の仕事をきちんと仕上げろ」
「わかりました」
「承知ィ」

無愛想に頷いた山口とがりがりと頭を掻いた原田が頷いた。今は空いているデスクにも、スタッフはいる。土方は窓際にもう一つ並んでいる大きなデスクの方へと椅子を回した。

 

 

– 続く –