風のしるべ 5

〜はじめの一言〜
原田さんが先ってちょっとブーイングでしょうかねぇ?
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捕らわれてしまったのだから、仕方がないのだとひどく優しい顔で原田が言う。

「俺ぁ、槍を振り回して隊にいて、近藤さんや土方さんが引っ張ってく新撰組にいることで俺はもう一生分、先行きが決まったと思ってたわけよ。もうそれ以上何があるってことなんか願ってもなかったけどよ。神谷を見てて、思ったんだよ。守るような家もねぇけど、やっぱり俺の子供が欲しいなと思うよ。それにゃ、あの娘じゃなきゃ駄目なんだ」

ほんの一瞬で捕らわれた。可愛いと思ったことは、嘘偽りもないがそれは後から気づいたことで。

先行きを保障してやれるわけでもないが、自分自身にあの娘が必要だと思ったのだから、もう、逃げも隠れもしようがないのだ。

何かを悟ったような顔で酒を干した原田は、その酒量にも関わらず、全く酔っているようには見えなかった。

―― あー……。そうだった。あの頃、あのまま幸せな日々が続いてくれればいいと思ったんだったなぁ

夢の中でそう思う。懐かしい夢だ。愛おしくて切なくて、悔いはないが、どこかで生き直せるならと思わなかったわけではない。互いに、しわくちゃの爺と婆になるまで共に居られたらとどれだけ願っただろう。

「……幸せだったんだよなぁ」

目が覚める前に呟いた自分の寝言でパチッと原田は目を覚ました。目を開けたまましばらくピクリともしない。

―― なんだ?!今の……

右腕を目の前まで上げると、その手が何かを握る形をとる。手のひらに固く巻かれた糸の感触がまざまざと残っている。ぞくぞくする感覚にがばっと飛び起きた原田は、妙な汗を覚えた。

「冗談だろ……」

どくん、どくん、と心臓が跳ねあがる。ぶるぶると頭を振った原田は、倒れ込んでいたベッドから跳ね起きて、台所に駆け込むと、蛇口をひねって直接水道の水をごくごくと飲み干した。

その頭の片隅で、違う、という声がする。こんな風に水を飲んだりするよりも頭からかぶったほうが早い。

「違う、違う!!俺は、俺だ。冗談じゃねぇ……」

血の気が引く様な思いと同時に、それが嘘偽りのない真実だと言うことも原田の全身が伝えてくる。

「俺は……。原田……忠一は……」

ひどい混乱の中でそれでもああ、と妙に納得していた。

―― あれは、俺だ。そして、俺は……かつて……俺だった

非現実的だと自分自身でも思うが、かつてのこの身に刻まれた記憶がまさみと出会ったことで同じ体を構成していた記憶を呼び覚ました。

何と言えばいいかわからないが、魂がかつての体の記憶と今の記憶を結びつけたのか二つに重なる記憶が何の違和感もなく共存し始める。

ついていかないのは無理矢理補正しようとする今の頭だ。
手を拭くために傍に置いてあるタオルで顔を拭いかけて、はっと手を止める。舌打ちをして洗面所に置いてあるタオルで顔を拭うと、とりあえずワイシャツに袖を通した。

こんな時、かつての原田なら細かいことには気にしなかっただろうが、あの頃との違いは当然ある。
スーツのパンツを身に着けた原田は、ネクタイを手にしてテレビの前に腰を下ろした。

冷蔵庫からついでに持ってきた水を飲みながら、テレビのリモコンを動かす。見慣れたテレビ番組のはずが、いつもよりもっと早いコーナーは見慣れない違和感を感じさせる。

「なんだよ。テレビの方がよっぽど違和感あるな」

早く目が覚めれば当然、体も早く目が覚めてくる。ふと空腹を感じて、妙に感心してしまった。こんなにもはっきりと夢を覚えていて、その夢に関わる全てを一息に思い出したような朝だと言うのに体は変わりなく空腹を感じるのだ。

結局、自分の部屋なのに、身の置き所がなくてスーツに着替えて支度を済ませてしまう。
それでも落ち着かなくて、原田は鞄を手にすると随分早い時間だがとりあえず家を出ることにした。ありきたりの風景なのに、ありきたりではない空気を感じる。

「……そうだよなぁ」

今の自分は刀の柄を、槍を握りしめている代わりに、こうして駅のホームに立って通勤バックを片手に電車に乗って、つり革を握るのだ。
違和感を感じるなというほうがおかしい。

普段は絵にかいたような満員の電車もいつもの2時間近く早い時間には、人影もまばらなくらいだ。ホームで電車を待っていた原田は、ホームに滑り込んできた電車の空いている席に腰を下ろした。

携帯を手にしてメールや朝のニュースをチェックしている自分もいつも通りなのに、何かが違う。最寄駅で降りた原田は、途中のコーヒーショップでコーヒーとパンを買うと、そのまま会社に向かった。

朝食はいつも会社についてから席についてからとることにしている。
途中のコンビニで買ったおにぎりや、コーヒーショップで買ったパンをかじるのがいつもなのだが、そのペースも違う。

職場につくと、IDカードで自動認証を通過して自席のあるフロアに上がる。
いつもギリギリの時間に滑り込んでいるが、ずっと早い時間だけに、人も少なくてエレベーターも楽勝で乗り込むことができた。

出社の早い女子社員と、年配の社員がちらり、ちらりと原田の顔をみて珍しいと驚いた顔になる。

「おはようございます。原田さん、早いですね」
「おいっす」
「何かあったんですか~?」

にやりと笑った原田は何も言わずに自分の席に着くと、周りの席を見渡してから鞄を置いて、ゆっくりと窓際に立った。自分の机の上にだけ、コーヒーショップの紙袋が置かれているが後は、ぴしりと片付いた机が並ぶ。

―― そうか。俺はまた一緒にいたんだなぁ

振り返ると、自然に口元にはほろ苦い笑みが浮かんだ。

ごく自然に重なった記憶は、古い地図の上に新しい地図を重ねる様に、いつも自分の周りにいた人々の顔に同じでいて違う顔を重ねて見せた。
フロアに並ぶ席のほとんどが記憶に重なる。

こんな偶然があるのかと思いもするが、だからこそ自分もここにいるのかもしれないと思う。そういう運命もあるのだなと、なぜか自然に思えた。

―― 俺は昔から考えるのが面倒だったからな

大きく伸びをした原田は、窓から眩しく入ってくる日差しと、街の風景を見て一呼吸する。深く考えないのは昔も今も変わらない。

「……さぁて。仕事でもすっか。……っと、その前に朝飯、朝飯」

席に戻ると、紙袋から熱々のコーヒーとホットサンドを取り出してがぶりと一口、かぶりつく。

―― 今更、変わるもんでもねぇ。俺は俺だ……

ただ、一つだけ気になるとすれば、ほかにも覚えている者がいるのかということだ。

– 続く –