風のしるべ 11
〜はじめの一言〜
まだ旅の途中です。あ、旅から戻るところも入るかも
BGM:Zhane Hey Mr. DJ
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お千代は隣の部屋に気を利かせて下がると、部屋の中がしんとした。黙って原田の刀を袖でくるんで差し出すと、もう時間なのだと互いにわかっていたハズなのに、原田は、ほろ苦い笑みを浮かべた。
「おまさちゃん」
出会ったころのようにそんな風に呼びかけると、原田はいつになくそっとおまさを抱きしめた。
「すまねぇな。こんな亭主でよ」
原田の胸の中で首を振ったおまさは強く顔を押し付けて喉元までこみあげてきた涙を何とか飲み込む。
「お城に詰めっきりだったんだがな。今度は大阪に行かなきゃならねぇ」
今、京を出てしまったらもう二度と戻れないかもしれない。
それは原田にもおまさにも口に出さなくてもわかっていた。ぎゅっとおまさを抱きしめると、その額にそっと口づける。
「いつ戻れるかわかんねぇ。だが」
「待って!言わんでええよ」
―― いつか必ず戻るから
そう言いかけた原田を、顔を上げたおまさの微笑みが止めた。
目には涙をいっぱいに溜めていたがおまさはにこりと笑って、原田の腕から茂を抱きうける。
「なんも言わんでもうちは難しいことはようわからへん。そんなうちにも、左之はんが……、新撰組がおかれてはる立場が難しゅうなってはるのくらいは知らんかったわけやない。そやさけ、なんもうちには言わんでもええよ」
『おまさちゃん』
戻ってきた原田がそう呼んだとき、おまさにはわかった気がした。もうこの人はここから出ていくのだと。そして、きっともう戻ることはないことも。
だから、絶対に泣かずに送り出そうと震える胸の内でそれだけは違えまいと心の中で何度も繰り返していた。おまさは茂の着物に顔を押し付けて、零れそうだった涙を拭った。
「もう、いかはる時間なんやろ?うちのことはなんも気にせんで行ったらええし。うちはこの子がおるけ、なんも寂しゅうない。この子を……、左之はんみたいな立派なお侍はんに育てるんで大変やし」
「おまさ」
原田は、茂を抱いているおまさをその腕に抱きしめた。細い体も、くせのあるちぢれっ毛が可愛くて、そばかすのある頬も何もかも、愛おしくて仕方がなくて。
ようやく、この腕にした時は嬉しくて仕方がなかった。いつ帰らなくなるかもしれないと言うことは覚悟の上だったが、その別れがこんな風にやって来るとは思いもしなかった。
「いつか」
―― 必ず帰る
そんな約束がなんになるだろう。それもわかっていた。だから、続きが言えなかった原田におまさは首を振った。
「左之はんが戻らんようにならはったら、うちもさっさと忘れて、もっとええ人みつけるし。そんで、うんと……」
―― 幸せになって、左之はんが悔しがるくらいに……
「うんと、長生きして、いつか左之はんにまた会ったときに、胸を張れるようにしっかり生きていくから」
「……はは。それじゃあ、俺は必ず」
言葉を切った原田は大きく息を吸い込んだ。
「どこに行ったとしても、いつになっても必ず会いに来る。絶対だ」
「ふ……ふふ。そないな約束、信じへん」
「信じなくても絶対だ。絶対、どこにいても見つける」
ぎゅっと、その体が折れるほど抱きしめた後、ゆっくりと原田は腕を離した。
隣の部屋で聞いていたお千代はたまりかねて、啜り泣きを漏らしている。茂だけは、何事かわからずに父と母が傍にいることできゃっきゃと喜んでいた。
「じゃあ、俺行くわ」
いつもと変わらない笑顔で、そう言うと、原田は手にした刀を握りしめて背を向けた。草履を履くと、来た時と同じように裏口に向かう。その後についておまさは茂を抱いたまま土間に降りた。
ほんの少しだけ裏口を開けて、周囲を窺った原田は、異常なしとみると大きく裏口を開けた。一歩踏み出した原田は、もう一度だけ振り返る。
「じゃあ、な」
まるでそこから災いが入らぬようとでもいうのだろうか。おまさの目の前で、原田はぴしゃりと戸を閉めてしまった。それが原田がおまさと会った最後だった。
まさみは、未生が承諾したことで、勇気を奮い起こして原田にメールを出したらしい。すぐその後で原田からは連絡が来たらしく、幾度かのやり取りを経て会う日が決まった。
土曜日でも日曜日でもいいと言う話だったが、まさみのバイトの予定と原田の都合に合わせて金曜日の夜に会うことになった。
母に許可をもらって未生はまさみと待ち合わせした駅に向かう。改札を抜けて表に出たところでまさみの姿を探しながら手の中の携帯に目をやる。
デジタルな時刻は、待ち合わせより少しだけ早くて6時を過ぎたばかりだ。
待ち合わせのロータリー前に来ると、あたりには人待ち顔で佇んでいる者達が多くいる。その中に混じって、未生は駅の方向を向いて所在無げに立った。
こんな時間のオフィス街の駅前は、めったに来ることはなくて、なんだか落ち着かない。都内でも、もっと若者が多い店がある駅なら遅い時間でも時たま、カラオケやなにやで出歩くことはあったが、この辺りはどちらかというと、大人の街とでもいうべきだろうか。
とっくに沈んだ夕日の名残りに未生が顔を上げたのとほとんど同時に、手の中の携帯が震えた。
『もうすぐ行くから!今、ついたところだからちょっと待ってね』
もうすでに待ち合わせ場所にいることをメールしたからか、まさみからの返信だった。
原田ともここで待ち合わせているのは聞いていた。もし遅くった時は先にどこか店に入って待っていてくれと言われてはいたが、サラリーマンの男性が選ぶような店もよくわからない。
いくらもしないうちに、長い髪を後ろで一つに束ねたまさみが走ってきた。
「ごめん!ごめんね。待たせちゃって……」
走ってきただけに息がきれているまさみに笑顔で首を振った未生は、まさみが落ち着くのを待った。
「大丈夫ですよ。そんなに待ってないし、場所もすぐわかったし」
「そうだろうけど、この辺はサラリーマンが多いし、高校生の富永さんがナンパでもされちゃったら、大変だと思ったんだもの」
「そんなの大丈夫ですよ」
その辺で変な人に声をかけられてもイヤホンを耳に入れて聞かないふりをすればいい。
まだ怖い思いをしたことがない未生は、そこらで声をかけてくる若者より、体裁を気にするサラリーマンの方がよほど断りやすいだろうと思っていた。
そんな未生に、やっぱり……と小さく苦笑いを浮かべたまさみは、息が落ち着いてくると、携帯を取り出した。
こんな場所に、一人待たせておかなくてよかったと、思いながら返ってきたメールを開く。伊達に居酒屋やあちこちでバイトをしているわけではない。多少なりとも、未生よりは世の中を見知っていた。
「どう、しようか。原田さん、もう少しかかるみたいだけど」
「私は待ってても構わないです。お店っていってもよくわからないし」
「ん~、適当に居酒屋辺りだったらいいと思うんだけどね」
そう言いながらもまさみもまだ、それほど飲み歩いたりしているわけではない。どうしたものかと、あたりを見回したところにスーツ姿の男性が近づいてきた。
– 続く –