縁の下の隠し事 24

〜はじめのつぶやき〜
終わりました。気に入っていただけるといいのですが。

BGM:
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黒々と総司の頬の下に殴られた後をつけた総司が翌日の昼も過ぎた頃、屯所に現れた。

「お、沖田先生?」

その顔を見た隊士が驚きの声を上げた。澄ました顔ですたすたと歩く総司がぴくっと片眉をあげた。振り向かずに総司が隊士へと視線を向ける。

「何か?」
「い、いえ。なんでもありません」
「そうですか」

冷え冷えとした顔で、総司が通り過ぎると、ひきつった顔で隊士が崩れ落ちた。近くにいた隊士が駆け寄ってくる。

「お前、どうしたんだよ!」
「……なんでもない」

恐ろしいものをみたと言う様子でぶるっと身を震わせた隊士は、何でもない、と大声でいうと足早に逃げ去って行った。非番のはずの総司が、しかもいかにも殴られたという顔で屯所に現れたことは、廊下を歩く隊士達も驚いた顔で飛び出してきている。

しかも、何が驚くと言ってそれは異様な気配を纏っていたからだ。

「お、おい。沖田先生、どうしたんだ?」
「さぁ……とにかく、おっかねぇのはおっかねぇけど……」

あまりの怖さに視線を逸らす者が多い中で斉藤が隊部屋から顔を見せた。総司の顔を見て呆気にとられた斉藤は、柄にもなく笑みを浮かべて総司の前に進み出た。

「なかなか愉快な顔だな。今日は非番じゃないのか?沖田さん」
「愉快そうですね。斉藤さん」

にっこり笑った瞬間、自分の頬の痛みにつっと、声を上げた総司はうっかり顔を顰めた。それがまた悔しくて、無表情を装った。

「それは?」
「神谷さんから土方さんへ、です」

大事そうに抱えた重箱らしきものに興味をひかれた斉藤に、総司はそっけなく応えると、すたすたと幹部棟へ向かって歩き始めた。

その後ろ姿を見ながら、ひとり、くっくっくと笑う斉藤の元へは三番隊だけでなく一番隊の隊士達が駆け寄ってくる。

「斉藤先生?……あの、沖田先生は?」

恐る恐る問いかけた隊士達に、朗らかに笑った斉藤は詳しくは何も言わなかったが至極上機嫌で、隊士達を連れて飲みに出かけて行った。

 

 

幹部棟へ向かった総司は副長室の前で声をかけた。

「副長。よろしいでしょうか」
「総司か?」

こちらも今日は休みのはずの総司がなぜか屯所に現れたので、少しばかり驚いてわざわざ立ち上がると自分から障子をあけた。

「なんだお前。非番……。ぶははは!お前なんだその顔!」
「なんでもありませんよ」
「なんでもないって、お前……」

わざわざ聞くまでもなく夫婦喧嘩でセイに殴られました、という顔の総司に盛大に爆笑した土方が、総司を部屋の中へ引き入れる。つん、と澄ました顔で部屋の中に入ると腰を下ろした総司は、目の前に重箱を包んだ風呂敷を置いた。

「なんだ、お前。あいつに追い出されてきたのか」
「そんなわけありません。用が済んだら帰ります」

しつこく、くつくつと笑う土方を無視して、総司は目の前に置いた風呂敷を開いた。丁寧にも箸も揃えられている。それを土方に向かって差し出した。

「神谷さんからです。昨日は失礼なことを申し上げたお詫びだそうです」
「ほ?詫びだぁ?あいつが?」

胡散臭そうに覗き込んだ土方は、きれいに並んだ海苔巻を見てふん、とまんざらでもない顔になる。脇には生姜の薄漬けも添えられていた。セイは、特定の店の名物などでなければほとんどの物を自分で作る。これまでにも手をかけたものを作ってきていた。

その腕前もなかなかだけに、土方は箸を手にして海苔巻に手を伸ばした。

「……うっ。んぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

海苔巻を口にして数回、土方がその口の中で咀嚼した後、屯所を揺るがすような絶叫が響き渡った。澄ました顔の総司が目の前の鉄瓶入っていた湯で入れた茶をずうっとすする。

「あ。言い忘れましたが、それ。海苔は、卸問屋さんで最上の物。米もそのために一粒一粒、割れた米を弾いて、神谷さんが丁寧に炊いたもの。それから具にしたのは……」
「げほげほげほげおっ。ごふごふっ!!」

思い切りむせた土方に茶を入れた総司が湯呑を差し出した。がぶっと口にして今度はその熱さに飛び上がる。耐えられず、障子をあけた土方が縁側から外に向かって、げほげほと吐き出した。

涙目になった土方が、むせながらも這いずって部屋に戻ってきた土方に向かって、総司が冷ややかな視線を向けた。

「おま……、ごほっごほっ!!」
「なんです?」
「こ……、なんだこりゃ!!」
「あれ?言いませんでしたっけ。駿府の名産である、最上のわさびだけを具にしたわさび巻ですよ。特上のものじゃないと駄目なんですって」

こわごわと重箱を覗き込んだ土方は、今度こそ気を付けながらふーふーと、熱い茶を冷ましながら口に運ぶ。口に入れた瞬間は海苔と酢飯のうまさで全く分からなかったが、噛んで混ざり合うと鼻から突きぬけるような辛さで脳みそまで吹き飛びそうだった。

そこに熱い入れたての茶を冷ますことなくがぶりと飲んだので、土方の口の中は恐ろしいことになっていた。舌も口の裏もひりひりとしている。

「あの野郎……」
「セイが、ぜひとも土方さんに食べさせたいって、特上の物でしか作れない海苔巻を作ったんですよ?何か問題でも?」
「……」

文句ならあるに決まってる。

だが、その意味が分からない土方ではない。しぶしぶと箸休め代わりの添えられていた生姜を口に運んだ。

「んんんんん!!!!!!」

突如上がった、絶叫とともにみるみる土方の顔が真っ赤になる。ずずっと茶をすすった総司が白々と告げた。さすがに、二度目の土方の絶叫に隊士棟から隊士達が駆けつける足音がする。

「あ。それ、ものすごく辛い唐辛子酢漬けの生姜だそうです。体にいいそうですよ。汗をかいて、体の悪いものを出すんだそうです。土方さん、ずいぶん悪いもの溜まってそうですもんねぇ」

真っ赤を通り越して、青ざめた土方が再び廊下の端まで行って、今度は滝壺のごとく吐き出した。その姿に駆けつけた隊士達が、目を白黒させながら澄ましている総司とかわるがわる眺めている。
湯呑を置いた総司は、重箱の蓋を閉めた。そして風呂敷に包み込んだ総司はそれを手に立ち上がる。

「沖田先生、あの……。副長は、いったい……?」
「ああ。ちょっとむせてしまったみたいなので、冷たいお水でも持ってきてあげてください。それから、これなんですけど。斉藤さんと監察の山崎さんに神谷さんの手作りのお礼です、と言って食べてもらってください」

必ずですよ、と念を押すと、総司はまだ床の上に倒れ込んで吐き続けている土方を振り返った。

「じゃあ、そういうことで。私は帰りますね。土方さん」

何か、文句の一つでも言い返そうと思った土方だったが顔を上げることもままならず、床を叩くことで総司を追い払った。隊士達が桶と、湯呑に水を汲んで駆けつけてくる。

「副長?!大丈夫ですか?副長?!」
「おい!副長が白目剥いてるぞ!」

ばたばたと隊士達が慌ただしく駆けつける間を縫って総司はすたすたと歩いていき、屯所を後にした。
もちろん、帰る先は新妻の待つ家に向かって。