予兆 2

〜はじめのつぶやき〜
あらしの前なのでございます。

BGM:Lady Gaga The Edge Of Glory
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指示を出していた男が前に進み出てきたかと思うと、新人隊士二人相手に斬り払った。一人は刀を飛ばされて、一人は向う脛のあたりを斬られて道の脇に転がってしまう。

その有様に相手の男はにやりと笑い、セイは眉間に皺を寄せた。あくまで余計な言葉を発しないようにしている相手を見て、セイは浅く呼吸をすると態勢を整える。

どうみても向かってくると思っていたと男にむかってセイが動いた、と思った瞬間。
脇差を振りかぶったまま、セイは男の脇を走り抜けて妻女を担ぎ上げている男の腰のあたりを斬り払った。

「うわっ」

腕が立つのは指示していた男だけで残りの二人はそれほど腕が立つわけでもないらしい。
袴の腰のあたりを軽く斬られてずり落ちた袴に手を伸ばした男は抱えていた妻女を下ろさざるをえなくなる。半ば、放り出すように妻女を下ろした男は、慌てふためいて袴の腰ひもを結ぼうと苦心していた。

隣にいた男も急に自分達の足元に飛び込んできたセイに驚いて、おろおろと前にいた男と隣の男の顔を見比べるばかりだ。その隙に、セイは培った経験から、最小限の力で妻女を引き起こし、道の両脇を固める武家屋敷の壁を背にする。

男から落とされたはずみでかろうじて意識を取り戻した妻女が呻きながらもセイの後ろへと這いずって、壁に手をついた。

「去りなさい。今なら追わぬ」

セイがそういって再び脇差を構えると、袴を両手で押さえた男とその隣の男は刀を抜いていた男の顔を見ながらも、じりじりとセイから離れ始めた。その 様に舌打ちをした男は、刀を納めると残りの男二人に頷いて走り出した。二人をあっという間に追い越して、駆け去りながらちらりとセイを振り返ったように見 えたが、男達の姿が見えなくなるまで、セイは脇差を納めなかった。

離れたところに、腰を抜かして座り込んだ隊士と、飛ばされた刀を拾いに地べたを這っていた隊士にため息をつくと、セイは妻女に手を貸して助け起こそうとした。

「怪我はありませんか?どこか痛むところは?」

苦しげに蹲る妻女にセイが話しかけていると、離れた道の反対側の壁のわきで、殴られた頭を押さえていた下女がよろめきながら近づいてきた。

「奥方様っ」
「う……」

近づいてきた下女に、噛み締めた妻女の口からわずかに呻き声が漏れる。

下女は連れ去ろうとした男によって腕を掴まれていたが、それほど大きな怪我でもないように見えた。妻女を連れ去ろうとするところを抵抗したために、 逆に手にしていた傘で殴られ、額のあたりから血を流していたので、すぐさまセイは懐から手拭を出して、下女の額を抑える手に握らせた。

「貴女、ほかに怪我は?」
「私は大丈夫です!奥方様、奥方様がっ」

下女の声に振り返ったセイは、妻女の足元を見て一気に険しい顔になった。血だまりが広がりつつある。その背に手を回したが、セイのかすかな願いとは裏腹に、その身にさしたる怪我は見れれない。
なるべく妻女を揺らさないように、肩口を強くつかんだ。

「もし!もし、まさか、貴女……?」

顔面から血の気が引いた妻女の額には汗が浮かび、帯のあたりを押さえていた手がセイの手を掴んだ。

「ややを……、この子をお助けくださいまし!!」

痛みにもうろうとする中、セイが医者だとは思ってもいないだろうに、妻女が必死にセイの手を掴んだ。遠くから見たときは後姿でもあり、近づいても男に担ぎ上げられていただけにわからなかったが、今ならわかる。
セイよりも大きな腹を押さえて、妻女は苦しんでいた。

「痛みますか!?貴女、名は?産み月はいつです?!」

立て続けの問いかけに首を振って腹を押さえるばかりで、答えられる状態ではない。その脇から下女が妻女に手を差し出した。

「秋津様御家中の中津様ご妻女、千野様にございます!私はお仕えしております、なか、と申します!産み月にはあと三月ほどございまして、今日は近くのお長屋にお住いの伯母上をお訪ねになるところでございました」

はっきりとした口調で語るなかに頷いたセイは、後ろを振り返った。まだ屯所まで、近いとはいえ距離がある。

「その伯母上のお長屋は?!」
「はい。この先の坂上様のお屋敷内にっ」

大きな家中であれば、屋敷の敷地内に仕える者たちの長屋を構えている。その長屋の方が近い。もちろん、急を頼めばどこの家でも手をかしてくれることだろうが、セイは新選組の者でもある。

「腰を抜かしている場合ではないでしょう!?貴方は早く屯所に知らせに走ってください!貴方は妻女を運ぶのを手伝って!!」

セイに怒鳴り飛ばされた隊士の一人は、我に返って起き上がると脛の怪我も忘れたように走り出した。もう一人は立ち上がると、自分についた土を払いながら、駆け寄ってきてセイに言われるまま妻女を抱き上げた。

「そうっと!そっとです!!さ、なかさんでしたね。そのお訪ねになるお長屋まで急いで案内してください」
「かしこまりました!」

なかはしっかり者らしく、草履もないまま自分の怪我も忘れて、着物の裾を押さえながらその先の坂上家の脇門へと急いだ。セイと妻女を抱えた隊士が後ろをついてくるのを確かめながら坂上家の脇門に飛び込むと、助けを求めた。

セイが門に近づくあたりで、ばらばらと坂上家の者達が飛び出してきて、すぐに持ち出されてきた戸板の上に妻女を乗せるように言った。

その中でも身なりと指示をしている姿をみて、セイが近づいた。

「お手数おかけいたします。私は新選組で隊医を務めております、神谷と申します。通りかかりにこちらの妻女の危急を見かけ、お手助けしております」
「これは!拙者、坂上家家中、田所と申す。こちらの家中に柴田という者がおりまして、その姪御にあたる千野殿の難をお救い下さって礼を申す」
「礼など構いません。それよりもすぐに部屋とお医師の手配を。私も専門ではございませんが、お手伝いさせていただきます」
「かたじけない。こちらへ!」

千野は長屋ではなく、屋敷の小部屋に運び込まれた。なかとともに、伯母だという年配の婦人も駆けつけてくる。

「千野殿!ややは!」

セイはすぐについてきた隊士に手早く薬籠と必要なものを懐紙にしたためて、屯所へと届けてくれるように頼んだ。

「なるべく急いでお願いします。わからなければ診療所にいる小者に渡してください」
「承知!」

妻女を運ぶために着物を汚してしまった隊士は、坂上家の心遣いで、着替えを与えられてすぐ、血で汚れた着物を取りかえると、門から駆け出して行った。
湯や手拭を頼むと、坂上家の人々には部屋から出てもらった。

「千野殿、痛みは?!」

セイが呼びかける声にも蒼白になった千野はもはや答えられる状態ではなかった。帯や小物をほどく手間をも惜しんで、セイは脇差を抜くと気を付けて帯を切り裂いた。

「千野殿の伯母上殿、千野殿の手を握ってください!意識を、名前を呼んで!」

頷いた夫人はなかとともに千野の頭の脇に回り強く千野の手を握った。その間に、着物を緩めて、セイは千野の下腹部に手を添えた。

「千野殿!しっかりなさい!今、ややを、貴女が守らなくてどういたします!」
「奥方様!」

産婆の経験があるわけではなかったが、セイにも今、千野がどのような状態かはわかる。流れる血の多さからしてもこのままもたせることはできないと判断したセイは、すぐに部屋の外にいる坂上家の者に近くにいる産婆と屋敷内の女性の手を借りたいと申し出た。

 

– 続く –