白き梅綻ぶ 4

〜はじめの一言〜
タエさんはある意味箱入りだったんですよねぇ
BGM:Metis   梅は咲いたか 桜はまだかいな
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仏間で、ひたすら手を合わせていたタエは、夜が明けるとともに、着物を改めた。顔を洗い、いつものように身づくろいを済ませると、残っていた仕事を手にする。

タエの心にどのような思いが廻ったのかはわからない。
それでも、タエは武家の女であろうとした。潔く、己の分を弁えてなお、夫に尽くす。そのように育てられ、生かされてきたのだ。

―― 私に旦那様を責めたりすることなどできるわけがない

タエは、ただひたすらに仕事をこなした。秀介が戻る日のためにではなく、ただ考えずにすむというそれだけのために。

 

からりと人の気配がして、秀介が帰ってきた。いつもならばそれに気づかないタエではなかったが、今日ばかりはまったく気付かなかった。

「タエ、帰ったぞ」
「あっ。旦那様」
「どうした?仕事が忙しいのか?」

顔を上げたタエを心配そうな顔で秀介が見ている。その姿はタエが市中で見かけたときの姿とは異なっていて、先日仕立てたばかりの着流しを身につけていた。

「お帰りなさいまし」
「うむ。忙しそうだな。私のことは構わなくていいぞ」
「いえ、そんなことは……」

いつものように穏やかに、秀介は刀をおいて、羽織を脱いだ。それを受け取ると、タエは丁寧に畳み、茶を入れにかかった。ありふれたいつもの光景。

茶を運んで戻ったタエは秀介の前に茶を差し出した。

「ありがとう」
「旦那様」
「うん?」
「昨日、井筒屋に仕立て上がったものを届けに行った帰りに、旦那様をお見かけしました」

茶を手にしてタエをみていた秀介の視線がタエからそれて、茶碗の中におちる。やましいと思っているのではなく、その身に漂う空気が鋭いものに変わったことに、タエは怯えた。急いで手をついて頭を下げる。

「申し訳ありません。お仕事中のお姿を偶然にお見かけしてしまったのです」
「……そうか。昨日といえば巡察の所を見たのだな。何を見た?」

静かに尋ねられただけなのに、タエは堪らなく恐ろしかった。首を振ることしかできないタエに、秀介が重ねて尋ねた。

「そなたは、見たのか?我々が捕り物のところを?」

タエはもう頭を上げることもできずに、ただ震えていた。あれ程、秀介に尽くすのみだと思ったのに、その本人が恐ろしい。

しばらくして、秀介が茶をすする音が聞こえた。

「タエ。そなたも武家の妻だ。だが、私は、そなたが武士の娘として育てられていても、決して闘う者の身内ではなかったことを知っている。正木殿はよ いご隠居であられたが、剣をもって戦うような方ではなかったからな。だから、極力そのようなことを目に触れさせないようにしてきたのだが、巡察中の出来事 は致し方ない」
「……心得がたりませんで申し訳ございませぬ」
「いいのだ。恐ろしかったのだろう。私が剣をふるい、他の者達と戦う姿が」

その身に纏う空気とは違って、優しく秀介はタエの手をとった。つられて顔を上げたタエは、恐る恐る秀介の顔をみた。
真っ直ぐにタエを見つめる目は以前のままの秀介だった。

「恐ろしい、と思うことを叱ることはできない。ただ、わかってくれないだろうか。私たちがああして不逞浪士達を取り締まって、市中の治安を守っているのだ」

真摯に語る秀介の空気は、人を斬ったことがあるものが自然と発してしまうものだったが、秀介自身は少しもそれを感じてはいなかった。ただ、ひとえにお役目に徹し、市中の治安を守ること、新撰組として国のために誠を尽くすことに何の疑いもない。

「私が二番隊に正式に配属になる時に、永倉先生の盾になると言ったんだ。そうしたら、組長に叱られたのだ。そんなものにはなるなと」

『自分の大事な物のために命を張れ。そうすりゃ、俺もお前も、お前の嫁さんも、近藤さんも、守りたいものが守れるんだ。そのために俺と生きろ』

永倉の言葉を繰り返す。秀介の心には、その言葉が今も息づいている。

タエにはそれが秀介を変えたのだということがよく分かった。秀介の中で何かが変わり、それに向かって生きているのだと。

「タエには、旦那様を信じてお仕えすることしかできませぬ。旦那様の思いのすべてを理解することはできないかもしれませんが……」

よろしいでしょうか、と俯いたタエに、秀介は頷いた。
自分の妻がどのような女であるかはよく分かっていた。それだけに、心をこめて話をすれば必ず分かってくれる。秀介はそう信じていたのだ。

「今はすべてをわかろうとせずともよい。ゆっくりと時間をかけてわかってくれればよいのだ。私は、そなたがいなければこうして新撰組に入ることもなく、無頼の者になっていたかもしれない」
「そんなことありませぬ。旦那様はいつか必ず、ご自身の夢をかなえられるとタエは思っています」

本当は、タエには秀介の思いが分からなかったが、それでも自分に向けて真っ直ぐに語りかけてくれる秀介のまっすぐさだけは伝わって、それだけを信じようと思った。

「タエ。そなたには、これからも苦労をかけるし、おそらく私が新撰組の隊士であることで、危険な目に逢うこともあるかも知れぬ。それでもついてきてくれるか?」
「今更、何をおっしゃいます。私には旦那様のほかにお仕えする方はおりませぬ」
「そうか。そう言ってくれるか」

秀介はほっとしたように、タエを引き寄せた。そっとその肩を抱きよせながら、秀介はタエに告げた。

「タエ。以前から考えていたのだが、私は名を変えようと思う。そなたがすべてを知り、それでも共にいてくれるのならば、改めて生まれ変わってお前を守るために、組長を守るために副長や局長を守るために、国を守るために、私の決意の表れとして、名を蔵之介としようと思う」
「蔵之介様…」
「そうだ。安易だと笑われそうだが、蔵は中のものを守るだろう?そのように私は生きたいのだ」
「よい、お名前だと思います」
「そうか。賛成してくれるか」

涙を浮かべながら、自分を守るために闘うのだと言った秀介の言葉が嬉しくて、それを名に表すのだという言葉が嬉しくて、タエはその目に浮かんだ涙をそっと、袖ぐちで押さえた。

この時代、名を変えることはよくあることであり、改名の手続きもそんなに難しくはなかった。
非番明けに隊に戻った秀介は、永倉と共に土方の元を訪れた。

「副長、お忙しい所にお時間を頂きありがとうございます。早速ですが、自分は名を改めたく思っております」
「佐々木、だったな。何故だ?」
「は。生まれ変わってまた隊務に向かいたいと思いまして」

そう言った秀介の頭を永倉が後ろから小突いた。手をついて頭を下げた秀介は、土方を前に逆らわずに肩をすくめた。

「よくいうぜ。こいつ、嫁がいるんだが、これまで嫁さんは隊務をこなす姿を知らなかったんだと。武家の出ではあるいらしいが、隠居の爺様に育てられた女が、捕り物で斬り合って平然としている旦那を目にしたらそりゃ驚くだろ」
「ほお。それで?」
「嫁もいきなり覚悟しろって言われてもできるもんじゃあねえが、話すだけ話して分かってくれたらしい。だから、生まれ変わるんだと」

腕を組んで秀介を見ていた土方が、ふうん、と唸った。平隊士の中で妻帯者は少ない。その上、秀介はメキメキと頭角を現すほど腕が立つ。永倉の自慢の組下でもあった。

「副長?」

顔を上げた秀介が土方の顔を見ると、いつも見かける渋面でもなく、皮肉気な笑いでもなく、穏やかな笑みを浮かべた土方の顔があった。

「よかったな。佐々木。今日から佐々木蔵之介だな。承知した。これからもよろしく頼む」
「あ……、ありがとうございます!!」

頭を下げた秀介、いや蔵之介に永倉がにやりと笑った。その背中をばあんと、叩くと襟首をつかんで立たせる。

「よし!めでたいから飲みに行こうぜ!」
「永倉先生?!」
「左之も誘っていくぞ~」

さっさと副長室を出て行った永倉の後を追って、副長室を出がけに蔵之介はもう一度だけ文机に戻った土方の背中に向かって頭を下げた。

 

 

– 続く –