子供の頃に見た夢

〜はじめのひとこと〜
午前1時に隊務アタックしろとかいう鬼がいるんです。

BGM:
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ぶちっと嫌な感触がして、セイは前のめりに転びそうになった。

「うぉっと」
「どうした、神谷。大丈夫か?」

雨でぬかるんでいた道を巡察に出たために高下駄を履いていたのだが、その片足の鼻緒が切れたのだ。セイの前を歩いていた小川と、隣と歩いていた相田がつんのめって転びそうになったセイに手を出した。

「あ~あ。ぐちゃぐちゃ。足袋がどろどろに……」
「どうしました?」
「申し訳ありません。鼻緒が切れてしまったんです。すげてから追いつきますので巡察を進めてください」

後ろで止まった隊列を振り返った総司に、セイが泥にまみれた足袋と鼻緒の切れた下駄を持ち上げて総司見せた。確かにそれでは歩くのもままならないために、セイが隊列を離れることに頷いた総司は先に進むことにした。

皆を見送ったセイは、道の脇にのけて下駄をすげようと屈みこんだ。ところが、懐に手を差し入れるといつもならもっているはずの手拭を忘れてしまったことに気づいた。

「う……。こんな時に限って……」

懐にあるのは捕縛用の縄だけで、そんなもので鼻緒がすげられるはずもない。せめてこれが細引きであればまだどうにかなったわけだが、あいにくとそれではないのだ。

仕方なく、セイは泥だらけの足袋のまま近くの茶屋に腰を下ろすことにした。

「すいません。お茶とそれから手拭か何か、ありませんか?」
「はぁ、どうされました?」

気の利かなそうな親父が現れて、茶を運んできたが、あいにくと分けられるような上等な手拭はないとすげなく言われてしまった。やはり今でも新選組に対して冷たい扱いをする町の人々も少なくない。

先程までセイが隊列を歩いていたこともしっかりとみているために、やはり冷やかな反応をしてくるのだろう。流石に、最近ではセイも、怒ることはしない。仕方がないことでもあり、やるべきことをやってさえいれば、必ずわかってもらえるからだ。

「ふう」

手拭だけを譲ってくれというには申し訳なくて頼んだ茶だったが、仕方なく渋い茶をすすった。これで、頼んだ茶も飲まずに出て行ったとなればますます、この店の親父の目は厳しくなり、新選組の評判も下がってしまう。

とにかくその茶を飲み終えて手拭を手に入れるか、このまま屯所まで戻るしかなかった。

ずずっと茶をすすっていると、灰色の空が今にもまた雪を降らせそうでセイはぶるっと身を振るわせた。濡れてしまった足元が冷たくて、しかも泥水だけにじゃりじゃりして気持ちが悪い。

―― 仕方ない。雪が降り出す前に屯所に戻ろうかな

空を見上げたセイは、ため息をついた。どうせ巡察ももうすぐ終わる順路だけに、屯所いも近く、今から鼻緒をすげても屯所に帰りつくところに追いつくようなものだろう。

茶を飲み終えたセイが茶代を支払うと、えい、とばかりに立ち上がった。

「あ」

ついてないとはこのことで、立ち上がった目の前に白いものがひらりと舞い始めた。セイが空を見上げて手の平を広げると、その上にもひらりと雪が舞い降りた。

指先も凍えるような寒さに、その手をそのまま口元にあてて、はぁ、と息を吐いた。あっと言う間にはらはらと降り始めた雪に、久しぶりの晴れ間とばかりに歩いていた人々も慌てて店先や目的をあきらめて家路を急ぎ始めた。

これでは急いでももはや仕方がない。

片足は泥水に足をつけながらセイは下駄を手に屯所に向かって歩き出した。

見る間に通りを歩く人々が消えて、目の前は舞い降りる雪だけになったかと思われたが、思いがけないくらい間近な角を曲がって、目の前に総司が現れた。

「あ、神谷さん!よかった。雪が降り出したんで慌てて急いだんですよ。すれ違いにならなくてよかった」
「沖田先生。巡察は?」
「もう屯所に向かって間もなくというところまで行きましたから、後を任せて屯所に戻って取ってきたんですよ」

早口に言いながら総司は自分の首にかけていた襟巻をセイの首にぐるっとかけ回した。ここまで手にしてくるのも邪魔になると、自分の襟首にひっかけてきたのだ。そのため、総司の体温で暖められた襟巻にセイはほわりと包み込まれた。

「す、すみません」
「ぐっと冷えてきましたからね。それに雪も」

手にしていた傘の下に二人で立つと、セイの足元を見た。いまだにすげられていない下駄を見て総司はセイに傘を持たせると屈みこんだ。

「どうしたんです?」
「今日はついていなくて、手拭を忘れてしまったみたいで……。茶店で譲ってもらおうかとおもったんですけど」

えへへ、と頭を掻いたセイに困った顔をした総司は懐に手を入れてから、何かを考えたらしくすぐに懐から手を引いた。

「よし。じゃあ、もう巡察も終わったことだし急いで帰りましょうか」
「あ、はい。寒いのに申し訳ありませんでした」

何気なく頭を下げて礼を言ったセイを、無造作に総司が抱え上げた。傘を総司に持たされて片手には鼻緒の切れた下駄を持ったセイを軽々と横抱きにすると、まるでお姫様だっこという姿で総司が歩き始めた。

「ちょちょちょちょ!!!おおおおおお沖田先生」
「なんです?」

子供でも抱き上げたような格好で総司が立ち止まる。

「ほら、ちゃんと掴まって、傘もちゃんとさしてくれないと私まで濡れちゃいますよ」
「ひぇっ、わっ。で、でもこれはっ!!」
「だって、神谷さんの足はどろどろで冷たいし、どんどん寒くなってきたし、こうすれば傘も二人いっぺんにさせるし都合がいいじゃないですか」

―― おまけに暖かいし

「ななななな、なんっ、そんなわけないじゃないですかっ」
「嫌ですか?」
「い、嫌とかそういう問題じゃなくてですね」
「ほらぁ、嫌じゃないならそれでいいじゃないですか。もたもたしていたら凍えちゃいますよ」

再び歩き出した総司に、先ほど言われたように総司の首に腕を回して、片手に傘と鼻緒の切れた下駄を手にしたセイがしっかりとしがみついている。
その感触をさも当り前だと言わんばかりに総司は抱えて歩く。恐縮したセイが総司の顔を見ない様にぼそりと詫びた。

「……す、すみません。重くて……」
「はは。神谷さんが重かったらうちの隊の皆は相撲取りになっちゃいますよ」

明るく笑い飛ばした総司に、セイがほっとしたのもつかの間、ぐいっと揺すり上げられた。

「ま、でも少し太りましたよね?」
「……!!下ろしてください!」

下ろしてもらおうとじたばた暴れるセイをぴったりと抱えて総司は離そうとはしない。

「だぁめ。そんな姿じゃ風邪をひかないにしてもしもやけになっちゃいますよ。わかります?しもやけ。私、子供の頃家が貧乏でよくなりましたけど、ものすごくかゆくなるんですよねぇ」
「しもやけくらい知ってますよ!!でも、重いんですよね?!もう恥ずかしいから下ろしてください。これじゃあまるで子供みたいじゃないですか」

ああ、と総司は呟いた。セイを下ろす気配は全くないまま、思い出したことを呟く。

「本当は私の下も生まれたんですけどね?私はもうその頃には近藤先生のところへ下働きに出ていましたから、下の弟妹を抱っこしたことがないんですよねぇ」
「弟、妹、ですか……」

どこかがっかりした口調のセイに構わずに総司は昔語りを続けた。

「まあそれもね」

―― こんなお転婆な人は妹には到底なりませんけどね

「沖田先生!!」

小さく囁かれた言葉に、セイが本気で暴れ出した。そんなことを言われては恥ずかしいし、見っともないし、いつまでも抱えてなどいられない。

だが、そんな暴れるセイをぎゅっと抱きしめることになった総司はにこりと笑った。

「私だけの特権だからいいんです」
「なななな、 何がですか!」
「秘密です。夢のお話ですから」
「沖田先生?!」

セイの顔のすぐそばで総司のくすくすという笑いがいつまでも聞こえてきた。

たまにはついていないのも悪くない。

 

 

– 終わり –