真白き足袋の先 1

〜はじめの一言〜
拍手お礼文より。先生は時々無性~に厳しいですよね

BGM:
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ひゅん。

軽々と刀を振るった総司は、べっとりと、思った以上についた血を差し出された懐紙で拭った。襷を解いて、しゅるしゅると手元で巻くと、手を差し出してきた隊士に手渡す。

紋付に真っ白な足袋。

「お疲れさまでした。沖田先生」
「ああ、すみません。ちょっと手を洗ってきますね。神谷さんは?」
「さあ……?」

ふうん、とだけ頷いた総司は隊士に刀を預けて井戸端へ手を洗いに行った。真っ白な足元の足袋に赤い染みが点々とついている。井戸から水を汲んで、丁寧に手をすすいだ総司は、いつもならセイが手拭いを差し出してくれるので、つい、その習慣で振り返った。
そこにセイの姿はなくて、肩をすくめた総司はぷらぷらと手を振って、隊部屋へと向かった。

「お疲れ様です。沖田先生」

山口が着替えを差し出してきて、総司は着ていたものをすべて着替えた。真新しい下帯や足袋はそのまま捨てることになる。紋付と袴は、洗いに出すために、捨てる物と合わせて小者が引き取っていった。

「神谷さんは?」
「あ、そういえば……。どこいったんでしょうね。あいつ」
「いつからいませんでした?」

総司の問いかけに、皆が顔を見合わせて、はて、と思い出そうと首をひねる。誰もがこれという覚えがなくて、総司は頷くとセイを探してくると言って部屋を出て行った。

屯所の中にはそれらしき姿が見えなかったので、総司はあたりをつけて泣き虫の木に向かう。その木の根元には、案の定、セイの姿があった。

木に寄りかかって、手足を投げ出したままぼんやりと空を見つめている。いつもと違って、木の上には登っていなかった。

「どうしたんですか?神谷さん」
「沖田先生」
「もう終わりましたよ」

総司の言葉にセイは、俯いてしまった。その頭に手を置いて、セイの隣にたったまま総司は木に寄りかかった。

「貴女が気にすることじゃないと言ったでしょう?」

俯いたままのセイに、総司が言った。違背者の切腹など、今になって殊更気にするようなことではないはずだが、今日は違っていた。

ほんの偶然から、女のところへ逃げ込んでいた隊士をセイが見つけてしまったのだ。その隊士が、脱走者ということは伏せられていたために、セイは気づかずに屯所に戻ってそのことを総司に話した。

綺麗な町娘と一緒にいたので、隅に置けないとただそんな軽い世間話で。

「神谷さん。どこで見かけたんです?」
「え?ええと、二つ通りの先の甘酒屋の店の奥に……。甘いものなんて好きじゃなさそうなのに、珍しいなって思ったんですよね」
「そうですか。ありがとう」
「え?」

何がありがとうなのかわからなかったセイが聞き返した時には、もうすでに総司は副長室へと向かっていた。一番隊の隊士ではないが、そこそこ腕もたつ隊士だった。
その後は、あっという間の出来事で。

監察から人が出て、七番隊の隊士達が捕縛に向かった。捕らえられた隊士は、近藤の問いかけに無言を貫いた。結局、土方は切腹を言い渡し、総司が介錯したのだ。

「あの娘さんに……、何と言っていいのかわからなくて」

切腹を待つ間に、支度をし終えて白装束を身に着けた隊士が、介錯人として挨拶に来た総司に初めて口を開いた。捕らえられてから一言も口を開かなかった隊士が総司にだけは本音を口にしたのだ。

「一生に、一度の恋だったんです」

女はこれまでにもいたし、そんなことに左右されるとは思っていなかった。
ただ、偶然出会った娘と恋に落ちるなどと。

「無様と言われようと、何と言われようと……。生きて、共に生きていたかったんです」

捕まった時には、すでにこの命はないものと思っていた。娘にも、もし万一捕まった時は、自分のことを忘れて生きろと、書き残しておいた。

「武士として、志のために……。潔く、己を律して生きる。それが当たり前だと思っていた自分が、夢のようです」
「それでも、脱走などという手段をとらなくても、娘さんを娶ることもできたんじゃないですか?」
「沖田先生……。私は、命を……、意地汚く惜しんだんです。たとえ、あの娘を妻にしても、いつ死ぬかわからない隊士である自分の命を、見苦しくも惜しんだんです」

お笑いください、と薄く笑った隊士に総司は黙ってかぶりを振った。真っ白な足袋の色が、薄暗い部屋の中で隊士の白装束とともに、やけに目に付く。

隊士を責めることなど総司にはできなかった。誰もが精いっぱい悩み、苦しんでいけないことだとわかっていてもそれでも仕方のないときもある。

その狂気にも似た恋情を総司も知っているのだから。

「私は、武士ではなかったのかもしれません」

自嘲気味につぶやく隊士に、総司は何も言わなかった。
そうではないと言ってやればよかったのかもしれないが、総司にはそれができなかった。やはり、どこまで憐れんでも、確かにそうだと思ったのだから。

女のために、命を惜しみ、いけないとわかっていて、脱走までした。その時点で、もうその男は武士ではなかったと思う。時間になり、中庭へと案内が来ると男は総司に向かって頭を下げた。

「申し訳ありません。お手数をおかけして」
「いいえ……」
「ご迷惑ついでに、あの娘が、ちゃんと私の言うことを聞いたかどうか、見届けていただけないでしょうか」
「わかりました」

深々と頭を下げた隊士は、愛おしそうに懐に手を当てる。
白装束の懐に、娘の髪を少しだけ切り取ったものを入れていたのだ。娘が寝ている間に切り取ったのだという。最後に、隊士は手を合わせてからその白い着物の前を開いた。

ぼんやりと空を見上げていたセイが、悲しそうな顔で呟いた。

「私が、余計なことを言わなければ……」

詳しい事情など分からなかったから余計に、セイには自分の浅慮が招いた事態が恐ろしかった。これまでにも脱走した違背者の処罰に関わったことがなかったわけではない。それでも、セイには隊士の気持ちも、あの娘の気持ちもどちらもよくわかる。

 

– 続く –