寒風と焼き芋

新人隊士が増えて賑やかになった屯所は、起床の太鼓と共に目を覚ます。
すでに、賄いやほかにも当番の隊士達は動いていたが、各隊の隊士すべてが動き出すと、やはり空気が違う。

「ひぃー!今朝も冷えてやがる」
「まったく、雪が降らなくても寒いのには変わりねぇや」

障子を開いてすぐなだれ込んでくる冷気に皆口々に悲鳴を上げる。だが、それも少しの間の事で、寒さから早く逃れるために着物に着替え、床を上げてしまえばいつ刀を握ってもいいくらいの猛者の集まりのはずだ。

上の者たちから順に井戸で顔を洗い、歯を磨く。それから、各部屋を掃き清めて空気が入れ替わったころに、朝餉である。

「寒いですねぇ」
「沖田先生。お顔だけはそう見えませんよ」

頬が赤いとはいえ、にこにこと笑みを浮かべた総司にげんなりした顔で相田が相槌を打つ。すでに顔を洗って、濡れた手拭いを持っている総司と隊部屋にはいると、部屋箒に普通に手を伸ばす。

「お、おい……」

一番隊に配属されたばかりの隊士が、目を丸くして廊下に突っ立っていた。

「なんだ、お前ら。邪魔だぞ」

先輩隊士達の邪魔になって小突かれた内藤と荻野が慌てて脇に除けると、山口が怪訝そうな顔を見せる。

「いや、隊長が箒って……」
「いいんですか?」
「馬鹿。いいのかっていうくらいならお前らが代われ」

肩をすくめた山口が部屋に入り、今度は雑巾を手にして井戸に向かう。
内藤も荻野も、貧乏とはいえ、仮にも二本差し、掃除に洗濯など、小者か女たちのする仕事だと思っていたが、屯所に来てすぐ、腰に手をあてたセイに言い含められていた。

幹部になれば、妻帯もできるし、小者に頼むこともできるが、基本的に隊士達は皆、自分の事はすべて自分でできることになっている。
掃除も、洗濯も身支度もそうだ。

必要になれば、自ら呉服屋に着物を頼みに行くし、貧乏であれば自分で繕い物もする。
まだ入って数日の二人には、それがどうにもなれなかった。

「お二人も一緒にやりましょう。皆でやればその分早く終わりますし」

総司から直々に声をかけられた二人は、慌てて手拭いを始末して、雑巾を手にする。

「慣れませんか?」
「はいっ!……いや。えと」
「ははっ。最初に神谷さんにこんこんと説教されませんでした?」
「……されました」

でしょうね、と総司は笑いながらたくし上げていた袴を下ろした。
どうしていいかわからないでいる二人に、固く雑巾を絞らせて、畳の目に沿って拭くのだと教えている間に、どんどん他の隊士達が拭き清めていき、やる場所が無くなっていく。

「あ、ああっ……」
「ははっ、これはやらなくていいわけじゃありませんからね。早く慣れてくださいね」
「申し訳ありません!」

ひらひらと手を振った総司が一足先に賄いに向かって歩いて行くのを見送った二人は、姿が見えなくなると揃って肩をすくめた。

「……俺達、掃除のために新選組に入ったわけじゃねぇよなぁ」
「こんなのなぁ……」

小者にでもやらせればいいのに、と言いそうになって飲み込む。不慣れを理由にはしているが、いいようにサボってしまえばいいではないか、と思わなくもない。
実際、姿の見えない隊士も幾人かいるので、そうなのだろう、と思う。

二人の様子を見ていれば何を考えているのか、相田や山口には手に取る様にわかるが、あえて彼らも何も言わなかった。
それからさらに幾日かして、朝稽古を終えた後、一番隊の隊部屋が騒がしいところにセイが通りかかった

「ん?どうかしたんですか?」
「おう、神谷。こいつらがくせぇんだよ」
「クサイ?はて、なぜに?」

すたすたと隊部屋に入ってきたセイは先輩の隊士達に囲まれて正座している新人二人に近づいた。

「ははぁ。お二方は風呂は使われましたか?」
「そりゃあ……。その、実は洗い物が苦手でして……」

二人の行李を相田が引っ張り出してくる。中には洗った後のくしゃくしゃの着物と、汚くなってそのまま押し込んでいる着物やふんどしの類が一緒に押し込まれていた。

「な?」
「なるほど」

それだけで、セイと相田達は事情が呑み込めた。はてさて、と思っていると、二人は都合よくセイが現れたと思ったのか、縋りついてくる。

「神谷さんはこういうのが得意と伺いまして……」
「是非、ご指南を……」

指南という名目でセイにやらせようとでも思ったのだろう。確かに忙しく働くセイの様子を少ししか知らなければ、いくら隊士だと説明されていても、小者を取りまとめている程度に見下すかもしれない。

てっきり、仕方がないなぁと言ってくれると思っていた二人の目の前で、セイは、そうですか、とだけ言って踵をかえした。

「え?え、ちょっ」

慌てた二人が後を追う様に腰を上げたところで、セイの足が止まる。

「沖田先生。一番隊の内藤さんと荻野さんですが、洗濯がにがてということで皆さん困っていらっしゃるようですよ」

ひょい、と障子の影から顔を見せた総司が部屋の中を覗き込んだ。

「そうなんですか?」

隊士達が皆答えずともその様子ですぐわかる。内藤と荻野はうなだれたまま、バツが悪そうにしている。
どうします?と問いかけたセイに、総司はひそひそと囁くと、セイが顎に手をあててしばらく考えてから、仕方ないとばかりに頷いた。

「よかった。お二人とも、一緒にこれから洗濯をしましょう!ちょうど私も洗い物がありますし」

驚いて顔を上げた二人を前に総司は部屋に入ると、寝間着を手にしておいでおいで、と二人を手招きした。
庭下駄を履いて、井戸に向かうと、勢いよく冷たい水をくみ上げる。渋々ついてきた二人が両手に抱える洗濯物をどうしたものかとうろうろしていると、仁王立ちになったセイが背後から声をかけた。

「ほら。あんたたちも桶に着物を入れて、水をくみなさいよ。まさか、沖田先生が汲んでくださると思っているわけじゃないだろうな」
「は、はいっ」

それでももたもたと水を汲みはじめた二人に、セイが容赦なく突っ込む。

もっとしっかり洗え、先に汚れのところは水で洗い流せ。

一緒になって洗濯をしている総司がそのたびに笑い声をあげた。

「笑い事じゃありませんよ。沖田先生」
「そうですよ、自分達はこんなことより、沖田先生に指南いただき、一人でも不貞浪士を捕まえて、この京の治安維持をですね」

がつん。

内藤と萩野の首根っこを背伸びしたセイが、掴んで拳を落とした。
そのままぐいっと二人を引っ張る。

「申し訳ありません!沖田先生、私の説明が足りなかったようで……」
「ははっ。内藤さん、荻野さん。よかったですね」
「……は?」

セイと総司のやり取りが全く分からなくて、片膝をついた二人は眉をひそめた。
濡れて足元がぬかるんだところに膝をつかされていることも気に入らない。尻をまくりあげてにこっと笑う。

「ここに入った時に、神谷さんから説明されましたよね?お給金の話しか耳に入らなかったかもしれませんが、神谷さんの説明を思い出してみてください。まず自分の事が自分でできない人はいりません。副長に知られたら、士道不覚後で洗濯物の代わりにお腹を差し出さなきゃいけないところでしたよ」
「……!」

にっこり笑っていながら、話の中身は背筋が凍る。
畳みかけるように、部下の不始末は組長の不始末、総司も罰を受けるはずだったことも明かされると、二人は冷たい水の入った桶に手を突っ込んだ。

「お給料がいいのも、いつ死ぬかわからないからです。自分の身の回りひとつ整えておけない人にそれだけの覚悟は無理でしょう」
「申し訳ありません!!」

必死に洗濯板にこすり付けはじめた二人の背後、つまり中腰になっていたセイの後ろに一番隊の隊士達がずらりと並んだ。

「お前らだけの話じゃねぇンだよ。それに、掃除も鍛錬の一つ。そのくらいもわからないやつらには一番隊にいる資格はねぇなぁ」
「そうそう。小者にでもなるか?」

からかうように言った隊士達が、二人の着物も身ぐるみはいでしまう。
セイが後ろに下がって、代わりに相田と山口が素っ裸にした二人の頭から水をかけた。

「ぎゃーっ!」
「うるせぇ!お前ら、自業自得なんだよ!」

冷たいと思っていた水が今は逆に温かく感じるほどだ。そこに、乾いた手拭いがぽいぽいと放り投げられた。
考えるよりも先に手拭いを掴んで体を拭う。

セイが用意した新しい下帯と、隊士達の古着が隊士達の手を次々と渡って、二人に届く。

「あ、あれ?」
「え」
「それな。下帯は神谷が用意してくれた奴で、あとでちゃんと礼をいっとけ。ほかは古着だから自分のが乾いたら、ちゃんと洗って返せよ」

驚きながらも、寒さには勝てないので、急いで身に着けた二人は隊士達に頭を下げる。
その傍らで、総司の手からセイが寝間着と下帯の入った桶を取り上げた。

「もうよろしいでしょう」
「いや、最後までやりますよ」
「沖田先生!沖田先生にそんなことをさせたと後で副長にばれたら私が叱られます!」

憤慨しながら物干し場に向かうセイに急いで追いついた総司が頭の後ろで手を組んだ。

「いや、組長の私からやらないとなと思いまして」
「沖田先生は、別です!他の先生方もそうですけど、組長の皆さんは無頓着すぎます」

大抵、他の組では小者に頼んでいるか、女がいれば女に頼む。場合によっては伍長がまとめてやる場合もある。
新人隊士の彼らにはわからないが、組長クラスでは何かと忙しいのだ。

「そう怒らないでくださいよ。神谷さんがそうやってみんなを見てくれているからつい安心しちゃうんですよねぇ」
「そんなこといっても駄目ですよ」
「えぇ~。お礼においしい焼き芋でもどうかと思ったんですけど?」

ぴく。冷えたところにおいしい、熱々の焼き芋と言われれば手が止まる。

「彼らに用意させますからどうです?ちゃんと土方さんたちの分も用意しますよ?」
「じゃあ……。一緒に副長のところにも行ってくださるなら」

上目づかいに見上げたセイを大きなたもとでぎゅっと抱きしめると、すぐに離れた。

「ひゃっ!」
「あはは!じゃあ、急いで干しちゃいましょう。それで、土方さんの部屋であったまって待ちましょう」

桶から寝間着を取り上げると、パン!と勢いよく広げる。鼻歌交じりの総司に小さくため息をついたセイは、また総司にいいようにされたなと思いながら、総司の隣で洗濯物を広げた。

寒いが空は晴れている。
きっとよく乾くだろ。

広げた先に、総司の笑みを見たセイは、総司の腰のあたりにばふっと抱きついた。

「おわっ!?神谷さん?」
「なんだか先生が、急に遠くに感じられて……」
「何を言ってるんでしょうねぇ。目の前にいるじゃないですか」

ぎゅーっと抱きついたセイの頭をぽんと叩くと、その細い腰を抱き上げた。

「ちょっ、先生!これじゃ子供だっこ……」
「そうなんですよねー。神谷さんが初めて屯所にきたころは、もう本当に子供で子供で。今もあんまり変わりませんけどね」
「失礼な!!下ろしてください!」
「嫌ですよー」

二人の騒ぐ声が幹部棟まで響く。
あとで大目玉をくらうことになるのだが、それもそれ。
—end