暗闇に堕ちて~喜「怒」哀楽 1
〜はじめのつぶやき〜
先生の悋気は怖いぞと。
BGM:また君に恋してる
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夕餉にぎりぎり間に合う時間にセイが戻ってきて、一番隊の隊士達だけでなく、総司もほっとして出迎えた。
「おかえりなさい。神谷さん」
「ただ今戻りました。沖田先生」
総司はセイが戻ってきたことへの安堵で、セイは役目を果たしたことへの満足感で、互いに笑顔を浮かべていると、隊士達もようやくセイに対するもどかしい苛立ちが収まったらしい。
「お帰り!神谷の分も夕餉を持ってきてあるぜ!」
「ちくしょう、表でうまいものでも食ってきたんじゃないだろうな?」
げらげらと笑いながら出迎えた山口達に、出がけのわだかまりも消えて、ほっとしたセイは笑い出した。
「表でうまいものって、屯所のご飯がおいしくないみたいじゃん!」
「そういうわけじゃないって!違う、違うぞ!」
あはは、と笑いに包まれた一番隊は、やっといつもの様子を取り戻したように見えた。皆と一緒に隊部屋に戻ったセイの後から部屋に入りかけた総司は、ふと三番隊の部屋の方を見た。
セイよりも先に戻り、副長室に報告に行ったはずの斉藤の姿はまだ見ていなかった。
事情はうすうす察してはいたが、何をどうしたかまでは聞いていない。聞く必要もないのだと自分に言い聞かせていた総司は、頭を振って隊部屋に戻った。
にぎやかな夕餉を終えて、消灯を過ぎた頃、セイに頼まれた総司は風呂の見張りに立った。
「すみません。沖田先生、急いで済ませますから」
「気にしなくてもいいですよ」
総司もその日は機嫌がよくて、少しだけ浮足立っていた。だから、それを目にした時、面と向かって顔を張られた時よりももっと強く胸を掴まれた気がした。
夜着に着替えたセイが、替えの着替えや手拭いを風呂敷に包んで風呂に向かったところで、一瞬、脱衣所に入るセイの首筋が目に入った。
「じゃあ、お願いします」
「!!」
「沖田先生?」
からからと戸を閉めかけたセイの首筋に、虫に刺されたような跡を目にした総司は、閉めかけた戸に手をついて止めた。
自分よりも、誰か人影でもあったのかと驚いたセイは、不意に首筋に触れた手にびくりと震える。襟を返されたところに、はっきりとそれがなんであるかわかるものがあった。
「これ……、どうし……」
なぜこんなものがセイの首筋にと震える声で言いかけた総司は、はっと我に返ってセイから手を引いた。女子のセイに、こんな不躾な問いを投げかけていいわけがない。
「どうかしました?」
しかし、セイ自身は、そんなところに斉藤が朱色の跡を残していたとは気づいていない。きょとんとした顔で、顔色を変えた総司を見上げた。
「沖田先生?!どこか具合でも?」
「いえ……。なんでもないんです。さあ、早く湯を浴びてきてください」
セイを押しやって、無理やり脱衣所の戸を閉めた総司は、そのまま戸に寄り掛かってずるずると崩れ落ちた。
―― あれは……。どう見ても、いや、斉藤さんが神谷さんに無理強いをするはずはないし……
混乱の極みに陥った総司は、一人足元に視線を落として頭を抱えた。
もし、セイが斉藤や、中村やほかの誰かを選んでも、自分は心から祝福するつもりでいたのに。
動揺しすぎて、指先が震えて血の気が引いていることにようやく気付く。
―― 無理強いしたのでないとすれば、神谷さんは斉藤さんと……
冷や汗が吹き出してきて、その気持ち悪さに総司は口元を覆った。腹の奥から夕餉に食べたものが逆流してくる。
その場を離れるわけにもいかず、堪えていたが、堪え切れずにすぐそばの表に向かって込み上げてきたものを吐き出した。
気にしながらも急いで湯を浴びようと風呂に入って、頭から湯を流していたセイは、総司の咳き込む声を聞きつけて、脱衣所の戸の傍まで来ていた。
「沖田先生?!お加減でも悪いんですか?」
頭から濡れた姿に急いで夜着だけを羽織ったセイが、そっと顔だけを見せる。びしょ濡れの姿に、床に転がる様に座っていた総司が呆れた様子で笑った。
「なんて格好ですか。ちょっと咳き込んだだけですよ。夕餉に食べたものがよくなかったのか、喉にきちゃいまして」
「そんな……!すぐお水でも」
「大したことありませんよ。このくらい。それよりきちんと湯を浴びてらっしゃい」
ぴしゃりとそういうと、しぶしぶセイの顔が脱衣所に消えて戸が閉まった。
はぁーっと深いため息をついた総司は、廊下の上に大の字に横になる。己の無様さに笑いさえ浮かんだが、ひどく総司の胸の内は傷ついていた。
信じていた斉藤と、セイの両方に裏切られたような気がして、胸苦しさが止まらない。
「……無様だな。沖田総司」
自分に向かってそう呟くと、目を閉じた。早く過ぎればいい。セイの傍にいなければならないこの時間が一番、総司には辛かった。脳裏には斉藤と抱きしめあうセイの姿が浮かぶ。
恥じらうセイ、微笑むセイ。その白い肌に朱を刻む姿。
「……っ!」
ぐっと握りしめた手の中で爪が食い込む。
―― 何を……みていたのだろう……
瞬間に総司を怒りでいっぱいにした何かは、恐ろしい勢いで総司から何かを吸い上げて行った。
しばらくして、とにかく急いで湯を浴びなおしたセイが、身支度を済ませて脱衣所から出てくると、そこには先ほどまでとはがらりと雰囲気の変わった総司が待っていた。
「お待たせして申し訳ありません。大丈夫ですか?沖田先生」
「大丈夫だといったでしょう。もう済んだなら戻りますよ」
「あ、はい。でも、あの、お水でも」
「無用です。私も疲れてるんです。さっさと休みたいんですが?」
笑みの一つも浮かばない総司の顔が怖くて、ぞくっと背筋が震える。風呂敷を抱きしめたセイは、いえ、と小さく呟くと、踵を返した総司の後について、隊部屋に向かった。
―― 沖田先生。そんなに具合が悪かったなら、こんなお願いして申し訳ないことを……
しゅん、と肩を落としたセイをちらりと振り返りながら、総司の心は灯りを無くした夜のように、暗闇の中にあった。
– 続く –