迷い路 15

〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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「神谷さん。それどうにかなりませんか」
「は。何がでしょう」

無表情なまま、からくりのように妙な動きで竹刀を振るうセイに、稽古着の腰に手を当てた総司が呆れた声を上げた。朝稽古で皆が一斉に竹刀を振るっているのにセイだけがどことなくおかしい。

「何がじゃありませんよ。それじゃあ、見世物小屋のからくり人形じゃありませんか」
「はぁ。恐れ入ります」
「……褒めてるんじゃありません」

セイの眉間に見事な縦皺ができていたのが気になったが、よくわからない返答にまたなにか余計なことに首でも突っ込んでいるのかと総司は肩を竦めた。
今は、自分自身も土方に引き回されてそれどころではない上に、柴田のこともあって手いっぱいなのだ。
どちらも同じ話とは互いに知らないのだが、総司の調べは芳しくなかった。

―― まあ、余所に目が行っていた方が、私の事も変に勘繰られずに済むので助かると言えば、助かるんですが……

大したことでないなら、後で余裕ができてからセイを締め上げればいい。そう思った総司は、再び竹刀を肩に乗せて、隊士達の間を回り始めた。

稽古が終わると今日は巡察である。揃って着替えを済ませて大階段の下に集まると、最後に笠を手にした総司がやって来る。毎日の光景だが、やはり隊によって、集まり方も雰囲気も違う。

「皆さん、揃ってますね。じゃ、いきましょうか」

それぞれが、顎のあたりで笠の紐を結び終えるのを待ってから隊列を組むと、太鼓楼脇の門を潜り抜けていく。
門脇の隊士の、ご武運を、という見送りの声を聞きながら左手に歩き出した。

島原の方角へ向かって、馴染の壬生を通り抜ける巡察路である。家がある場所と田畑の間を交互に通りぬけていく。数少ない店よりは庄屋の家に顔を出しながら馴染んだ道を歩いて行く。
少しずつ温かくなってきた陽気に皆、足取りも軽かった。このまま何事もなければよいのにと皆が思っている時に限って、良くないことは起こるもので。

八木家に近い、小さな酒屋に総司が顔を見せた時、そのよくない話はふわりと姿を見せた。

「こら、沖田先生。今日はこちらどすか」
「ええ。いい陽気になってきましたねぇ」
「ほんまになぁ。先生方もなんぼか歩かはるのが楽になったのとちがいますか」

小さな酒屋だけに、隊士達は店には入らず表で一休みしている。懐から巡察の台帳と矢立を取り出した総司に、にこにこと総司を迎えていた主人の顔がわずかに曇った。

「八木はんのところや、前川はんのところにお寄りになるかと思いますが」

ひそひそと声を落として主人が囁いたのは、夜半に斬り合いがあったらしいという事だった。
島原からの帰り足の男達が灯りを手にしながら村のあたりを通り抜けて行くのはよくあることなのだが、夜半に斬り合いの音がしたらしい。侍も多く通るが、揉め事には関わり合いになりたくないのが人情である。
助けを求められない限り、家の戸を開けることはない。

「それが、おかしな話でしてなぁ。そこらの家の者達が何人も刀が打ち合う音や、男のうめき声を聞いたていうんやけど、朝になって辺りをさがしてみても血の跡はあっても怪我してはるお人もなんもないていうんですわ」
「ほぉ。それはいつの話です?」
「一昨日の晩やから、昨日の朝方かもしれまへんなぁ」
「なるほど。ありがとうございます」

さらさらと台帳へ筆を走らせると、何事もなかったように懐に仕舞い込んだ。どのみち、このあたりを回るなら八木家と前川の家には立ち寄らねばならない。

短い暖簾に手を添えて表に出ると、再び歩き出した。
それから、前川家と八木家で話を聞いた総司は、同じように夜半の斬り合いの話を聞いてみたが、こちらはまた答えが随分と違う。

「夜中の斬りあいなんぞ、ようあることやあらしませんか?とりたてて騒ぐものやありまへん」

どちらの家の主人もそんな話ぶりで侍も、それを取り締まる侍も関わり合いになるのは嫌だというのがありありしている。ようやく新撰組の隊士達が出て行ってくれて静かになったというのに、今更なぜ揉め事に再び首を突っ込むような真似をするだろうか。
それだけ、隊がやっかいになっていた時にもいろいろなことがあったのだ。

「わかりました。また寄らせてください」
「はいはい」

早く出て行ってくれと言わんばかりの様子ではあったが、とりあえず話を聞いた総司はさらさらと筆を走らせると、懐に矢立をしまった。どれほど切ろうと思っても隊と両家の付き合いはそう簡単に切れるものでもないだけに、早く出て行ってもらいたいという態度が精一杯なのだろう。

総司も隊士達を庭先に待たせては置いたが、家に上がることは控えるように言ってある。
セイは、それを率先して迷惑をかけないように声をかけていたが、総司と主人の話には離れていても気になっていた。

―― まさか……、と思うけど……

もしも。
たとえばもしも、柴田が金欲しさに辻斬りを行っているようなことがあるとしたら大変なことになる。それに何より、土方や総司がこのところ足を向けているのと同じく、島原の帰り道にあたるのだ。

そうではないといい。
胸の内にどす黒く渦巻く疑惑は、何度打ち消しても、そうでなければいいと願えば願うほど、黒々と広がっていった。

巡察を終えて、隊士達が隊部屋で休んでいる間に、総司は土方のもとへ向かった。

「ということで、斬りあいなんてよくあることだとは言いますが、夜半に近所の家に聞こえるほどの斬りあいをしていて、その影も形もないのは少し気になりますね」
「ふむ……」

不逞浪士の取り締まりが主だとはいえ、治安維持が新撰組の仕事である。市中を脅かす斬りあいもその取締りの対象ではある。

辻斬りなど、もってのほかだが、土方にも何か気になることがあるのか、しばらく腕を組んで考え込んでいた。

「島原の帰り道なのか?」
「ええ、まあ。帰り道といっても、どこに帰るのかにもよりますけどね」

確かに道筋はいくらでも選びようがある。頷いた土方は、総司の報告書を机の上に放り出した。

「土方さん?」
「続けて通うつもりだったが、ここんとこ手が空かなかったからな」
「まさか……。これからですか?」
「お前だってもうこの後はないんだろう?」

一人で行ってくださいよ、と喉元まで出かかったのだが、新撰組の副長を供もなしに外出させるわけにはいかない。ここでほかの誰かを頼むこともできずに、がくっと総司は頭を下げた。

さっさと着替えてこいよ、という土方の声に手をついた畳が急に恋しくなる。総司には、煌びやかで艶めいた部屋よりも、簡素な屯所の畳のほうがよほどほっとできた。
本当ならこのまま、畳の上に大の字になって休む方がどれだけいいかと思いながら、渋々立ち上がった総司は、障子を開けたところで手を止めた。

「雨が降りそうですよ」
「そうか?」
「ええ。雨の匂いがします」

ひどくなるようなら泊まりも考えなければならない。
互いにそれが頭によぎったが、構わずに土方は外出すると言った。

 

– 続く –