迷い路 22

〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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廊下には、柱の上にぽつ、ぽつと薄暗いが明かりが灯っている。土方のいるはずの部屋の前に向かうと、片膝をついて屈みこんだ。

「土方副長。沖田です」

あえて、『土方さん』ではなく、副長と呼んだ。もう遊びの時間は終わりだといわんばかりに。

もともと静かだった部屋の中から人の動く気配がして、朱色の襦袢をひっかけた土方が、自ら襖を開けた。ちょうど手の大きさくらいの幅から顔を見せた土方は、足元にいる総司の傍へとしゃがみこむ。

「何があった?」
「実は……」

紅糸が言うことをかいつまんで伝えた。取り留めもない話だったが、とりあえず紅糸が誰かわからない相手に殺しを頼んでいるらしいこと。そして、どうもその相手は隊士らしいことを告げた。

「ふむ。わかった。お前はこのままここを出て、山崎のところに行け。うちの者だとしたら証拠を押さえるしかない。それと、屯所に知らせを送って、ここに神谷をよこせ。紅糸につかせろ」
「こんな時間に、神谷さんじゃなくても」
「俺はもう二度と紅糸の前には姿はみせねぇ。あれの面倒は神谷に見させる。いいから動け」

確かに、誰かれなく呼べる状況ではないのは総司にもわかっている。そして、この話の大本は、土方が総司を花街に引き回すのを抑えるために、山崎にセイが頼んだことからだ。

転がり出た駒の大きさに、セイがどう思うか、ちらりとよぎったことを総司は考えないように、頷くとすぐに襖を閉めて店の女将のところへと向かった。

紅糸が何をしたかは言わず、ただ様子がおかしいのでといって女将に紅糸から目を離さないように頼むと、総司は急いで矢立を借り受けると文を書いた。

「すみませんが、女将さん。これを屯所にいる神谷さんに渡して、こっそりこちらに来るように伝えてください。ほら、なにせ副長のお遊びのお供に呼び出すので、堂々とってわけには……ね」

いたずらっぽい顔で女将に心付けと共に文を渡すと、女将も口元を押さえてくすくす笑いながら請け合ってくれた。

「へぇ。承知いたしました。すぐにうちの若いのを走らせますよって……。くれぐれも内密にいうのも確かに」

胸に軽く手を当てると、まかせてくれと請け合ってくれた。少し用ができたからと言い分けて店を出た総司は、霧雨の中、店で借りた傘をさして山崎のもとへと向かった。

 

 

夕餉を終えて、部屋で繕いものをしていたセイは、表の様子を見て今夜は土方と総司が戻らないかもしれないと思っていた。
幾度か、厠に立ったり、水を飲みに部屋を出るたびに深くなる霧雨にそんなことを考えて、今夜の総司がどんなふうに乗り切るだろうとぼんやり思い浮かべてはため息をつく。

雨夜に繕いものをするセイが部屋の中にいるだけで、一番隊では、ほっこりと癒される空気がでているようで、同じく隊士達もそれぞれに好き勝手をしているのだが、時折、セイの様子を見てはまた手元に戻ることを繰り返す。

「失礼します。神谷さんはおいでになりますか」

板戸も半分ほど閉めて、出入りのためだけに残り半分を障子だけにしていたところから声がかかった。入り口近くで壁に寄り掛かっていたセイは、針と繕い物を離すと立ち上がって障子を開く。

「はい。なにか?」
「文が届いてますよ。沖田先生から」
「えぇ?沖田先生?」

つい思いがけなさに驚いたセイが声を上げてしまったために隊部屋中の視線が集まる。どぎまぎしながらも、総司がただセイに文をよこすはずはないと、小さくひねられた文を読むと、一瞬首を傾げそうになる。

「なんだ。お前をご指名っていうからてっきり」
「ただお供の代わりか。つまらんな」

両脇からぼそぼそとそんな声がして、はっと顔を上げて左右を見たセイはあわてて文を握りしめた。

「こ、こらっ!!なにやってるんですか!これは私宛にきた文なのに!」
「だってなぁ。沖田先生からわざわざ神谷に文だって聞いたらそりゃ気になるよなぁ」
「覗くなって方が無理だろ」

噛みつかんばかりに皆を怒鳴ったセイに、なあんだ、と面白くなさそうに頭をかいた相田と山口を筆頭に皆ががっかりと離れていく。

「何を期待してるんですか!……まったくもう」

ぶつくさと零しながら、セイはもう一度くしゃくしゃに握りしめてしまった文を開いて読み直すと、それを今度は丁寧に畳んで懐に入れた。広げていた繕いものをさっと片付けると、相田の傍に歩み寄る。

「相田さん。覗き見したからお分かりだと思いますけど、沖田先生に副長の供を代わる様に言われましたから出てきますね」
「わかった。気を付けて行けよ。この雨だしな」
「ええ」

今度は真顔で応えた相田に頷いて、セイは黒い足袋に履き替える。それから手拭いやら何やらと支度を整えると、刀を手にして、隊部屋を出て行った。

 

 

足元がぬかるんでいるから、高下駄を履いていたがその足元にもしとしととまとわりつくような霧雨が降っている。傘と提灯を下げたセイは、こんな時間に供を抜けるから代わりに来いという総司がなんだか珍しいと思っていた。

心配性というのか、過保護というのか総司はセイが一人で夜歩きすることを良しとしないことが多い。

「ま、こんな夜だもんね」

現代とは違い、雨の日はよほどのことがない限り外出しないものだ。ましてや、夜ともなればほとんど人通りはない。酔狂な客が、飲み歩くか、花街に腰をすえているかだろう。

着ている着物さえじっとりと重くなるような霧雨の中、急いで店に着くと、女将が心得顔でセイを迎えた。

「お足元が悪いのにご苦労はんどすなぁ。神谷はん」
「いやいや。これも上司の命となれば仕方ありませんから」
「ほな、こちらへ」

セイの刀を預かると、女将が先に立ってセイを土方の部屋へと案内する。廊下を歩きながら人目が無くなったところで、不意に女将が立ち止った。

「神谷はん。実は、沖田先生がうちの紅糸から目を離すないわれて、部屋のほうに若いのをつけてるんどす。なんや、お気に触ることでもあったんやろかとお聞きしたんですが、そんなんやないていわはって……」
「沖田先生が?紅糸さんから目を離すなといったんですか?」
「ええ」

セイを迎えた時は、店の入り口ということもあって、不安をおくびにも出さなかった女将だったが、二人きりになったことでその心配を口にしたのだった。

総司が目を離すなと店の者に言いつけて行ったということは、何かある。

そう思ったセイは、すぐ土方の部屋へ案内してくれるように頼んだ。

 

– 続く –