その願いさえ 6

〜はじめのつぶやき〜
容保さましか風には出てこないけどさ、頼母さんも色々あったよねぇ。

BGM:Je te veux
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隊士に休みなどほとんどない。
そう聞かされていた新平だが、歳もそこそこであり、剣の腕も古参の隊士に引けを取らないということで、一番隊の中でも、すぐに認められたようだ。

今のところ、巡察と日々の稽古との繰り返しではあるが、新平の人柄もあって隊に馴染むことには成功していると思う。

隊に入ってから十日目の今日、ようやく昼過ぎから半日ではあるが休みと言われた。それほど多くは持たずに来た着物の中でも少しだけ普段着よりはまともに見えるものに着替えてから、外出届を出して屯所を出る。

京についてから初めてゆっくりと市中を歩くようなものだ。

巡察で歩き回ったため、歩いた場所は地図と場所が頭にはいっているが、ゆっくりと眺めて歩く、というのはこれが初めてである。うす曇りではあったが、雨の様子もないために、草履ででた新平は、穏やかな笑みを浮かべて足を進めた。

隊の巡察場所はほとんどが夜に賑やかな場所ではあるが、昼日中だからといって静かではない。

どこかで茶でも飲むか、酒を飲むか、という様子で歩く新平の胸の内では、ここにきてひどく緊張していた。

―― 監察方の調べをどこまで欺けるかはわからないが、気を配るに越したことはない

新平は、京に上る前、三月ほどかけて準備をしてきた。親の代から生粋の仙台藩藩士である。月代が板についているのも道理である。
生まれてからずっと江戸にいて、そのまま江戸詰めとなった。そのため、幸いなるかな言葉になまりがない。

そんな新平がこのお役を引き受けるにはさらに一月ほど前に遡る。

「新三郎、ご家老様がお呼びだ」
「わかった」

江戸詰めの組頭だった新平の当時の名は、西村新三郎という。いかにもな装いではなく、洒落た羽織を身に着けて廊下を奥へと進む。上屋敷の奥まった部屋の前で片膝をついた新平は、一呼吸おいて中の気配を伺った。

特に差し迫った様子もなく、部屋の主がいるだろう気配も感じたところで、改めて座りなおす。

「西村新三郎、参りました」

その声を聞いた部屋の主、江戸家老の岡安春時は自ら障子を開いた。

「急に呼びつけてすまないな。新三郎。さ、中へ」
「はい」

江戸家老の中でも一番年若い岡安の部屋は、意外に狭い。私室であるからこれで十分だという岡安は、その身分からしては自ら障子をあける程度には身軽であり、新三郎とも親しくしてくれていた。

時には、着流し姿で連れ立って市中に繰り出して酒を飲むこともあるくらいの仲である。それだけに、気を許しているということもあるのだが、今日の岡安は呼びつけたわりに何やら気乗りしないような気配を隠していない。

はて、と思いながら部屋に入ると茶の支度がある。

―― これは長くなる……!そしてよほど込み入った話か……

干菓子と茶の支度を前に腰を下ろした新平を前に、岡安は、口を開いた。

「正直、この話は気が進まぬ。進まぬが、新三郎に頼まなければならぬことも事実。ならば、回りくどい説明はよそうと思う」

すっぱりと口にした岡安をみて、新平も腹を据えて聞くべきだと思う。

「……何やら、屈託がおありなことは見てとれますが、さて……」
「うむ。この一両日の間に、藩を抜け岩沼藩士となってほしい」
「……なん……と?」

岩沼藩は仙台藩の支藩である。いきなりそのような命令に驚いた新平は、さすがにその意味を測りかねた。だが、続けて名を変え、仙台藩士であった西村新三郎ではなく、郷原新平として新選組に入れと言われたところで顔色が変わる。

「わが藩の中でも、ほかの幾人か、名が挙がった。だが、剣の腕、また身を偽ってもその役を果たせるのはお主が適任だと思う」
「それは……。わが藩にもお調方の者たちはいるはず。その者たちでは難しいということでしょうか」
「調方の者たちではすぐその身を疑われるだろう。やつらは野良犬だが鼻が利く」

そのたとえに新平は眉を潜めた。たとえ浪人身分であってもそのような例えを今まで岡安がしたことはなかったからだ。

新選組は京都守護職というまさに火中の栗のようなお役を引き受けた会津藩、容保公のお抱えである。今は見廻り組と同格の扱いで京の町の治安維持を行っているというが、もともとは食い詰めた武士や農民出の者もいるということは新平も知っていた。

そんな彼らを探れということがどうにも腑に落ちなかった。

「知ってのとおり、新選組は名を上げた。今では見廻り組や所司代を圧倒する勢いらしい。その荒々しさに手を焼く半面、荒仕事をにやらせることでうまくいってると言えなくもないのだが……」
「ではなぜ、わざわざ?」
「さて……」

他藩の動向はどの藩も気になるところだ。敵対する藩だけでなく、お上の動向しかり、同盟を組んでいる藩しかりである。
当然、それとはわからないが仙台藩にも諜報活動をする者たちはまぎれているだろうし、お互い様だ。もちろん、それと知られれば命はないも同然だが、それでもお互い、探り合う。

会津藩にも当然、人は入っているが、会津の動きは特に気になるのは今の状況からしてもやむをえない。

守護職を拝命する際には、内々にお役を辞するほうがいいという話もあったようだが、会津藩家老の西郷だけが強硬に反対したのみで、皆、頑固さをそのまま表すように歩みを進めてしまった。

そこから、京、大阪の動きは仙台藩としても要注意として何人も人を送り込んでいる。

「お城にも市中にも人はやっているが、新選組はもうただの野良犬ではない。彼らは狼以上になっている。これを見ろ」

そういって、岡安が懐から取り出した冊子を受け取ってはらりと開く。すでにそこには屯所の場所、中の配置、幹部からそれぞれの役や人柄、得意な得物まで書かれている。

「これだけ細かく調べがついているのなら」
「いや、もっと後ろだ」

何を言いたいのかと思いながらめくるにつれ、隊でどんなことがあったのか、隊士の粛清から捕えた浪士について、出入りの店、武家との付き合いなどが書かれていた。

「そこにあるのはこれまであったことだけだ。それも今は途絶えている」
「……つまり中にいた者が?」
「小者として隊に潜り込んでいたが、な。それに隊士でなければやはり限界がある」
「それは……。それが大事なお役であることはわかりますが、なぜ私でなければならないものでしょうか」

口から出た自分の言葉がまるで誰かの借り物のように思える。

まさか。

それだけ期待してもらえる重要な役どころということもわかっているが、死出の旅と同じで引き受ければ二度と藩に戻ることはないだろう。これまで築いてきたすべてを捨てて、藩命に従い京へ迎え、というのは二つ返事で引き受けられるような話ではなかった。