その願いさえ 7

〜はじめのつぶやき〜
日光東照宮に行きたい。前に行ったのは小学生の時。。。。ン十年前やがな。

BGM:Je te veux
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ぐっと膝の上で拳を握りしめた新平は、目を閉じてから大きく息を吸い込む。

「……愚かなことと思われましょうが、あまりに思いがけない話であり……」
「気持ちはわかる。もし、私がそうだったとしても同じように思っただろう」
「申し訳ございませぬ……」

武士として、潔しとはなかなか言い切れない様を見せたという自覚はある。江戸生まれの江戸育ち。この太平の世で戦など、合戦などと思ってきたからだ。

剣はあくまで武士としてのたしなみであり、腕を上げて褒められれば心地よかった。体を思いのまま動かすことも心地いい。だから、腕を磨いたのだが、それが今あり得ないと思っていた京の町で日常的に振るうことになるとは思ってもいなかった。

新平は、奥州味噌を使った店だという沼屋という店に入る。わざわざ仙台から味噌を運んでいるという話を聞いて足を向けてみた。
江戸とも京風ともちがう、言ってみれば少し田舎風の店だが、思いのほか込み合っているようだ。

茶と、名物の豆をつぶした甘い餡の餅を頼んで、小上がりに腰を下ろした。

小さな仕切りを間にして小上がりには他に四つほど席が設けられている。新平が店に入ったときには小上がりは一つしか空いていなかった。

その一つに腰を据えた新平が左脇に刀を置く。その奥は壁になっているから隣に座る客への気遣いはしなくて済む。

「茶と餅を頼む」
「はぁい」

新平が腰を下ろしたのと入れ替わるようにその隣が腰を上げて、客が入れ替わる。新平と同じ注文に顔を上げると、町人らしい。顔をこちらに向けることなく、小声が聞こえた。

「お国は北の方で?」
「東ですが北のほうだ」

さらりと新平は答えた。どこかの小商いをしている店の者のようなきっちりと結い上げた町人髷が隙のなさを伺わせる。男は、新平の側へと小さな巾着を置いた。さりげなく目を向けると、巾着の紐には小さな木彫りの雀が見える。

すっと手を伸ばして新平はそれを自分のほうへと手繰り寄せた。

男はそれに気づいているが特に動く気配もない。

ほっと小さく息を吐いて、新平は体でそれを隠すように巾着を開いた。
切り餅が一つとひねり上げた文が入っている。文を手の中に握りこんで、切り餅のほうは巾着ごと懐にしまい込む。

さほど大きくない文を開くと、懐から矢立を取り出して懐紙にさらさらと筆を走らせた。矢立は、巡察に出る際の必需品で、こうして持ち歩いていても怪しまれることはない。

一番隊に入ったこと、ここ数日で大きな動きもないことから【事無】と記して、墨が乾くのを待った。おまたせしましたー、と小女が運んできた餅と茶を楽しみながらさりげなくひねりあげた懐紙を脇に置く。

さっと男が手を伸ばしてそれをつかむと、餅を残したまま茶だけ飲み干して立ち上がった。

あっという間に消えていくのを意識の片隅で追いかけながら、今度こそ新平は大きくため息をつく。

この場所は、かねて申し合わせておいた藩の密偵との繋ぎの場所である。巡察や隊命により身動きが自由になるとは限らないために、店とあらかじめの刻限だけを決めておいて、身が空けばその刻限に姿を見せるということになっていた。

目印は小さな木彫りの雀で、新平は腰のあたりに根付を下げている。
念のため、国をきき、江戸生まれだが仙台藩を示すため北のほうだと返す。それを合言葉に顔も何も知らない者同士を確かめるためだ。

これがうまくいくかどうか、ひどく緊張していたのだが、どうやらうまく会って情報を交わすことができたらしい。

周囲にも気取られずにこのような役回りをこなすのは初めてのことで、三月の間に、探索方の者からさまざまなことを教わりはしたが、こればかりは経験しなければどうにもならない。
いっそ、屯所にいる時のほうが、道場で稽古しているような気がして気が楽でもあった。

事を済ませて気が楽になると、腹がすいてきた気がする。

餅に手を伸ばした新平は男らしくがぶりと一口で餅をほおばった。

「うまい」

思わず呟いてしまったが、特に人目を引くこともなく、淡々と味わう。京では武骨なのだろうが、江戸では洒落た所作が板についた新平である。

す、と手を伸ばして餅を食べ終えると、懐紙で口元を押さえた後、茶で口の中の甘さを漱いだ。

懐から小粒を取り出して机に置いた。
刀を手にすると、小上がりから立ち上がる。

机を見て小女がありがとうございます、と声をかけた。

片手をあげて愛想よく微笑んだ新平は、店を後にする。次にいつ来られるかわからないが、順番がくるわなければ六日後にはまた来られるだろう。

一つ荷物が軽くなり、また一つ新しい荷物を背負ったようなものだ。

―― いつか、この身にも慣れるのだろうか……

ふいにそんな思いがよぎる。
懐の重さは、そのまま新平の仕事の重さと同じ。

「あれぇ?郷原さん?」

びくっと振り返った先に、笠をかぶったセイが手で押し上げてのぞいていた。

「神谷さん」
「やっぱり。どうされたんですか?こんなところで」

緊張を悟られないように。

新平は力を抜いて笑みを浮かべた。

「いや、なかなか京の町になれないものでしたので、ぶらぶらと歩きまわっていたんです。ちょっと喉が渇いたものでそこで……」

ひょい、とごく自然に先ほどまでいた店を振り返る。
セイが笠を押さえながらふりむいてなるほど、と頷く。

「へぇ。私は寄ったことがないですが……」

目くばせをしたセイに半歩近づくとセイが声を潜めた。

「……うまいですか?」

何か特別に内緒話かと緊張した新平はぷっと吹き出した。