寒月 2

〜はじめの一言〜
長いと思います。

BGM: How Soon Is Now
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眠れずに瞑目していたセイは、かすかな足音に反応して目を開いた。隣の部屋の前に人の気配がある。
土方が身を起こしたのをその気配で知ると、身動きせずにその様子へ意識を向けた。

障子が開いたらしい音がして、ひそ、と低い声が一言、二言、話の中身までは聞き取れないものの、会話していることだけはわかる。
しばらくすると、隣を訪ねていた気配は静かに去っていき、土方だけは起きているらしい。
かさりと開いているのかしまっているのか、紙の音がする。

しばらくしてふーっと深いため息が聞こえた。

セイが土方が起きているとわかるということは、逆もそうなのだろう。低い声が聞こえた。

「眠れなくても体だけでも休めておけ」

眠らなくてもいい、体を横にしているだけでもずいぶん違うのだと。
言われたセイは、静かに押入れから布団を取り出すと、広げるだけは広げた。掛け布団の上に横になって、天井を仰ぎながら胸の前で手をあわせた。

―― どうか。どうか無事で。

それから一刻もしないうちに、捜索に出ていた者たちが帰ってきた。体を横にしていると、頭は起きているものの、時間の経過がわからなくなるような錯覚に陥りそうになる。セイは起き上がって、再び正座するとやがて隣の部屋にやってくるはずの人を待った。

深夜だからの配慮もあるのだろうが、足音も、気配さえ控えた総司がやってくる。

「土方さん」
「どうだ?」
「だめですね。火事騒ぎの後で斉藤さんを見かけたという話は出てきません。時間も時間なので一旦引き上げてきました。また明日出ようと思います」
「そうか。監察の方もこれといったのはないそうだ」

ひそめられていても先ほどよりは話の中身が聞き取れた。その話からすると先ほどの訪問者は監察の誰かだったことがわかる。
セイはぎゅっと膝の上で手を握り締めた。

「明日、また探します」
「頼む」

そういって、隣の部屋の障子が閉められた。セイはいてもたってもいられなくて、ぱっと立ち上がると障子を開けて廊下を覗いた。
セイが起きていて、話を聞いていることもわかっていたのだろう。
副長室の前で障子を閉めたその人は、隊部屋に向かわずに局長室側へ向いていた。いつもの穏やかな笑顔で、障子の隙間から顔だけを覗かせたセイの元へ歩み寄 ると、口元に人差し指を立てておいて、セイの頭に手を乗せた。頭をセイの肩の辺りまで下げると、総司は声を潜めてセイの耳元で囁いた。

「大丈夫ですよ。斉藤さんのことですからきっと無事に帰ってきます」

そういわれて、堪えていた涙が出そうになったセイは握り締めていた手でぐいっと目元をぬぐった。
まだ何があったわけでもないのに、泣くのはおかしいから。
ぽんぽん、と頭をなでた大きな手は、するっと離れて隊部屋へ戻っていった。

翌朝、朝餉が終わると幹部たちに招集がかかる。すでに隊の中には斎藤の行方知れずは広まっていた。

「斎藤が戻らねぇって?」
「夕べからか?」

先に集まった者たちが口々に乱れ飛ぶ情報を言い合っている皆が揃うと、土方が口を開いた。

「斎藤が昨日から戻らん。脱走でもないと思うが、最後に姿を見たのは火事騒ぎに出動したところまでだそうだ。その後の足取りがまったく掴めん」
「探したのか?」
「ええ、私が昨夜一番隊と三番隊を連れて花街を中心にあの人が飲んでいたりしそうなところは虱潰しにあたりました。でも、どこにも立ち寄った形跡がありません」

そこにいる誰もが斎藤が脱走などするはずもないと信じている。それ故に戻らない理由を心配していた。近藤は腕を組んだまま、沈鬱な表情を浮かべた。土方は、その日の巡察の隊を確認すると空いている者達を使って捜索に当たらせることにした。

「特に昨日、火事騒ぎのあったあたりの七条新地のあたりは念入りにまわれ。何か見た者がいるはずだ」
「「「承知」」」

すぐにそれぞれの組下の者たちを伴って、捜索に出て行く。昨夜捜索に当たった一番隊と三番隊は夕方から再度、市中を回ることになった。

人数分の茶碗を片付けにセイが副長室から下がった間に、総司は土方の傍に近付いて声を落とした。

「最近、何か特にありませんでしたか?」
「ない。斎藤ほどの男をそうやすやすと連れて行けるわけもないと思うんだが」

さすがに隊の幹部が行方知れずではこのままにはしておけない。近藤と土方はそれぞれ、すぐに着物を整えた。

「近藤さんは黒谷へ、俺は所司代の所に挨拶に回る。後を頼む」

黒谷へは報告に、所司代のところへは、町方の見回りへの協力要請である。険しい顔で二人は急ぎ、外出していった。
そのまま総司は副長室に陣取った。障子は開け放したまま、ざわめく屯所の気配を感じながら、昨夜からのことを考えている。

斎藤ならば火事騒ぎの後、報告のために必ず隊に戻るはずだ。例えば、そこで誰か知り合いに出会ったとしても、使いを出すなり、隊士が傍にいれば必ず誰かを走らせているだろう。

―― では、伍長に指示を出した後の僅かな間に消えた?どこへ?

人通りの少ないない場所でもあるまい。ただ、火事の後で皆がそれぞれ気を取られていたら。

「沖田先生?あれ、副長はいらっしゃらないんですか?」

茶を下げたセイが戻ってきて、そこに総司がいたことに驚いた。代わりに近藤と土方の姿がない。総司は笑顔でセイに手招きした。

「近藤さんも土方さんも出かけちゃいましたよ。あちこち、噂になったらみっともないから先に報告しておくんですって」

わざとふざけた物言いで、二人の外出を告げる。すぐに戻るならばそんな報告もいらないはずなのに、二人が事態を重く見ていることがセイにも分かってしまう。報告や協力は、もし死体で見つかった時のためにだ。

総司の前に座ったセイは、堪え切れなくなって、俯いた。

「戻って……きますよね。無事に」
「当たり前じゃあないですか。斎藤さんですよ?」

ずるっと鼻をすすりながら、泣き顔を見せないように下を向いたセイに、総司が懐紙を差し出した。少しだけ膝をつめて、その懐紙を受け取るセイの肩が震えた。

いつもいつも分かっているはずなのに、こんなにも怖い。

総司はセイに近づいて、その頭を抱えた。

「大丈夫ですよ。斎藤さんのことだから、ひょっこり帰ってきます。元気で無事にね」

総司の胸を借りて、泣いているセイはこくこくと頷いた。それが気休めだということも分かってはいるのに、このくらいで不安になっている自分が情けなかった。武士ならばこのくらいで泣くことなど許されない。

「貴女を置いていくはずありませんから大丈夫ですよ」

総司も、セイがわかっていてどうしようもないのだと察して、穏やかにセイの頭を撫で続けた。本当ならば、このくらいで泣いてどうする、と叱るべきところかもしれないが、叱れないのは、本当に何かがあったとしか思えなかったからだ。
あの斎藤が、自分にも何も言わずに、セイを置いてこんな風に消えるいわれなどないのだ。

 

 

– 続く –