寒月 3

〜はじめの一言〜
時代小説っぽい展開はいかがでしょうか。

BGM: How Soon Is Now
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薄暗い部屋の中で初老の男が煙管に煙草をつめている。煙草盆を手に取ると、そこから火をつけて一息に吸い上げた。銀の煙管の首の辺りに、鯰の姿が彫られている。

隣室から、男の唸り声が聞こえてきた。

「さすがに簡単には落ちんのぅ」

ふーっと吐き出した男に、隣室から出てきた番頭風のいくらか若い男が頷いた。

「もっと格下のもんを連れて来れば早かったのではありませんか?元締」
「せやなあ。ほんでも、それやったら大したネタも仕込めへん。あのくらい堅いお人の方が後々楽やろ」
「そないいわれましても……ほんまに落ちますやろか」
「人には必ず弱い部分がある。そこを突いたらどないなお人でも落ちるやろ。暗示もきかんようやし、しばらく休ませたら今度はお才にやらせてみよか」

元締と呼ばれた男は、先日斉藤を火事場から連れ出した初老の男だった。大店の主人のような風体で長火鉢の横に座って煙管を手にしている。
この男、大阪から京都のみならず、江戸まで聞こえた香具師の元締伊勢屋万右衛門である。大阪の廻船問屋伊勢屋の主人であり、そこから船宿も二つほど持っている。その二つは妾にそれぞれ持たせてあった。
そして、京の町ににはここ、揚屋である花菱が万右衛門の持ち物であった。妾でもあり、仕事もするお才に花菱は任せてある。先ほどの若い男は花菱の番頭、喜助である。

すっと奥の板戸が開いて、万右衛門から呼ばれたお才が姿を現した。万右衛門は、香具師の元締としては当然のように表にも裏にも幅広い商 いをしている。裏家業としては、依頼があれば人の始末も付けていた。花菱は特にお才や喜助など下働きを除いたほとんどの者が、表稼業の伊勢屋と違い、裏の 仕事をこなす。

揚屋の女将としての風体ではなく、今は万右衛門の女としての姿で現れたお才は湯上りの肌に襦袢を纏って、万右衛門の隣に膝をついた。手 にしていた盆の上には酒の支度が乗っている。万右衛門の手から煙管を取り上げると火を落として、煙管は煙草盆の上に置いた。杯を万右衛門の手に持たせると お銚子から酒を注ぐ。

「お才、隣の男、しばらく休ませたらお前がやってみるがいいよ」

杯を手にした万右衛門は、空いた片腕でお才の体を引き寄せた。先ほどまで喜助が斉藤にあれこれと行っていた間、散々に可愛がられたお才は、汗にまみれた体を流してきたばかりだが、万右衛門はお才の腰を撫で回している。
湯上りのせいだけではなく、上気したお才は万右衛門の胸に頭を寄せた。

「うちにできますやろか。堅いお人らしゅうございますなぁ」
「なあに、薬は十分にきいてるはずや。お前さんの手練手管でたっぷりと引き出しておやり」
「お人柄も十分調べてはるんですやろ?そないな真似せんでも暗示にかかりませんの?」
「へぇ。決して弱味をだされまへん。一言でも言うてくださればそこをきっかけに暗示をかけることも情報を引き出すこともできるんですけど」
「そないなことは、うちかてわかってます。身の回りを調べたんなら弱味の一つや二つ探ってきたらええのに」

喜助を睨みつけるお才ではあるが、喜助にできぬことを万右衛門に認められていることはお才にとっては満足のいくことらしい。
万右衛門の手から杯を取り上げると、お才は銚子から酒を注いでくいっと酒を飲んだ。

「元締?」

くくっと万右衛門が嗤った。お才と喜助が不思議そうに万右衛門の顔を見た。万右衛門はお才が置いた盃に酒を注いで、にやりとした口元に盃を運ぶ。

「お武家さんは本当に融通がきかんもんや。上から決めつける、力で押し込めばなんとかなると思うてる。お公家さんかてそうや。己の口に はいるもんを自分でなんとかできひんくせに偉そうなことばかりいいよる。あないなお人らにこの日本が右に左にされるかと思うと可笑しゅうてなぁ」
「ほんまに。あのお人らは、私らがおらんかったら、町も国もあってないものを」
「まあええ。こうしてわしらはあのお人らのご用を務めておたからさえ頂けばそれでええんや。いずれ、わしらが世の中を動かす様になるんや」

楽しげに酒を飲む万右衛門に喜助もお才も頷いた。
万右衛門が請け負った仕事は、新撰組の結束を崩し、崩壊させるというものだ。これまでに、勤皇浪士達の多くが新撰組に囚われ、殺されてきた。その始末に、 無頼の浪人を雇って襲わせたこともある。しかし、力ではよほどの腕の立つものでもなかなかどうして、彼等の組織を崩すことはできなかった。

それ故、裏の始末に慣れた万右衛門に依頼が来た。

「剣術でかなわんのやったらどないな策でも仕様があるやろ。なあ、喜助。いるもんを全部無くすことはできんでも、がたがたにすることはできる」
「はい。御禁制とはいえ、薬を使えば造作もないことで」
「造作もない、言うても落とせんことにはなぁ」

相槌を打ったつもりで言い返された喜助が頭を下げた。つい、とお才が万右衛門の傍から離れる。しゅっと襦袢の裾を引いて立ち上がると、お才は隣の部屋へ続く襖の前に立った。

「元締、うちにお任せくださいまし」

すらりと開いた襖の向こうには、甘ったるい匂いがたちこめている。後ろ手に閉めた襖から手を離すと、部屋の真ん中に横になっている男の傍に歩み寄った。

男は朦朧とした意識の中で目の前に誰か人が近寄ったことだけは分かった。先ほどまで男が何やら耳元で言い続けていたが、どうしても答えてはならぬ、という気がして、何を聞かれても抵抗し続けていた。

その男は、火事場から連れ去られた斎藤だった。

火事場から礼をと万右衛門に促された斎藤は小道に入った万右衛門の後について歩んでいる最中に、鼻孔をくすぐる甘い匂いを感じた。つん、と鼻につくわりにひどく甘い匂いだと、思ったのが最後で、そこから意識が飛んでいる。

薄らと気がついた時には、この部屋に寝かされていた。甘い匂いに頭が朦朧とする。戻らねば、という意識だけが残り、目の前にいる男の顔 も認識できないまま何事かをずっと囁かれ、問いかけられていた。しかし、何を聞かれても答えてはならぬ、という気力だけが斉藤を支えている。

しばらく時間が開いて、いくらか眠っていたのだろうが、朦朧としているだけに夢と現実の境がない。

「だ……れだ……」
「私ですよ。斎藤先生」

―― 私?

「そうです。ずっと先生のことを……」

お才は、斎藤の羽織の紐を解いた。そのまま斎藤の胸元に手を差し入れる。

「斎藤先生、私ですよ」

お才は、斎藤の胸元に手を滑らせながら繰り返した。

「う……みや……か……?」

朦朧とした斎藤が、微かに誰かの名を呼んだ。口元に笑みをたたえたお才はそのまま袴の紐を解く。肌蹴た胸元に手だけでなく、唇を這わせると、斎藤が呻いた。

「そうですよ、斎藤先生。私を呼んでください」
「か……」

朦朧とした頭の中で、斎藤は必死で頭の中の霧を払うように意識を集中しようとした。柔らかな声が自分を呼ぶのを聞いて、頭のどこかでセイの顔が重なる。
胸元を這う手と唇の柔らかさが、朦朧とした意識の中で感覚だけを研ぎ澄ます。

「私ですよ」
「かみ……や……」

神谷。

お才の口元ににやりと笑みが浮かんだ。お才は、躊躇うことなく斎藤の着物を肌蹴させて、下帯に手をかけた。

「斎藤先生、神谷です」
「う……ぁ……何を……して……いる」

 

– 続く –