静寂の庵 1

~はじめの一言~
ちょっと痛そうな話。
BGM:RICHARD CLAYDERMAN 戦場のメリークリスマス
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「神谷さん!聞いてますか?!」
「あっ、はいっ。申し訳ありません!」

がん、と肩を強く引かれて、はっとセイは頭を下げた。要人警護に出向いている一番隊は、黒い隊服に身を包み、駕籠の周りを囲んでいた。

いつも、総司の左にいたはずのセイは今日は右側にいた。どうにも今日のセイは反応が遅い。苛立ちを感じたものの仕事の最中である。隊列を整えると、先を急いだ。

宮邸まで送り届けた後は一時休息となる。
警護の者達の詰め所に入った一番隊は、各々、座して時間を潰すことになる。下働きの者達の手によって、茶が運ばれてきた。

「どうぞ、皆様方」
「あ、手伝います!」

そういうと、セイは一緒になって茶を配り始めた。ぼんやりと動きまわるセイを見ていると特に何も異常は感じられない。先ほどまであんなに反応が鈍かったのが嘘のようだ。

「どうぞ!沖田先生」
「……ありがとうございます」

普段からごくごく身近にいるだけに、短時間の違和感がなんとなく拭えずにいたが、そう長くない時間の後、帰り道を辿ることになって違和感も置き去られてしまった。

 

 

屯所に戻った後も様子を見ていると、別に異常はなさそうで、すぐ総司はその違和感を忘れてしまった。

「神谷、あのさぁ」
「……はいー」
「?……お前どうかしたか?」
「何がですか?」

隊部屋で、セイに話しかけた相田が一瞬の時差に不思議そうな顔をした。しかし、総司のように一瞬の後に、目覚めた後の夢の中身のように沈み込んでしまった。

用を済ませると、セイは一人で屯所から出た。密かに稽古をする時に使っている竹藪の中に向かう。
風がさわさわと流れている。
歩きながら、懐を押さえるセイの顔からは屯所の中にいたときの笑顔が消えた。眉間に皺を寄せて、一人、姿を見られないように竹藪の中に入った。

 

慣れた場所まで来ると、がっ、と竹の一節に手をついた。

押さえていた脂汗を懐からだした手拭いで拭う。目眩がする。吐き気も。

懐に隠していた薬を手にすると、ごくりと水もなく飲み込んだ。

「……はぁっ……」

苦しい。こんなその場しのぎの痛みを抑える薬でいつまで誤魔化しきれるだろうか。

セイにも原因がいつの、どれだとは分からなかった。そんなことはざらにあったから。

稽古では、打ち叩かれることも、投げ飛ばされることもざらにある。稽古以外でも出動すれば、場合によっては殴られることも、張り飛ばされることも。
そのいつかの時、表面の腫れが引いてもなかなか治らないと思っていたら、時折、ひどい頭痛が始まった。それがどんどんひどくなって、目眩が起きたり、吐き気が起きるようになった。

 

致命的なのは、左の耳が聞こえなくなった。

 

徐々に聞き取りにくくなり、聞き取ったものを理解するのにも時差が生じるようになった。冷汗が出る思いで必死に隠しながら、残った右の耳だけで全体を聞き取るように神経を張りつめた。

そして完全に左の耳は音を捉えられなくなり、研ぎ澄ませた勘と片耳だけでなんとか凌いできた。医学の知識はあるが、三半規管はこれと言った理由だけでなく様々な要因に左右されやすい。原因の特定などできるものではなかった。

どうしたらいいのかわからないが、とにかく痛みを抑えて誤魔化し続けるしか、今のセイにはできない。こんなことが知れたら、隊にいられなくなる。戦えなくなったら、総司はすぐに隊から出そうとするだろう。

膝をついて座り込むと、薬が効くまでの間、だらりと力を抜いて張りつめた神経を緩めた。

 

密かにそれを見ていた者がいる。

 

しばらくして、痛みがひくとセイは立ち上がった。地面に座っていた汚れを払うと、ため息をついて頭を振った。よろ、と足元がふらついたものの、ぐいっと顔に手をあてて笑顔を作ると屯所に戻った。

日が暮れ始めて、屯所中に灯りが点り始める。戻ってすぐにセイは何事もなかったように働きはじめた。

「神谷さん、どこに行っていたんですか?」
「沖田先生、すいません。お散歩に出た後、あんまり風が気持ちよくてそのままお昼寝しちゃいました」
「……何してるんですか」
「すみません……。だから急いで帰ってきたんです。もう夕餉の支度の時間ですもんね」

くしゃっとセイの頭に手を乗せた総司は、溜息をついて叱った。

「もう。駄目じゃないですか。心配したんですよ?」
「すみません……」

しゅん、としたセイに、乗せた手で総司はくしゃくしゃと髪をかき回した。

「気をつけなさい。さ、夕餉の支度をしましょう」
「はい!」

にこっと笑ったセイが急いで隊部屋に去っていった。

 
その後、どうということもなく数日が過ぎた。

「神谷、いる?」
「はい、なんでしょう?藤堂先生」

稽古が終ったあとの一番隊の中に藤堂が顔を出した。すぐに汗を拭っていたセイが顔を上げた。藤堂がおいで、と手を振っているのを見て近づいた。
藤堂は、セイの頭越しに総司に向かってにこっと笑った。

「総司、悪いんだけどさ。神谷ちょっと借りていいかな?」
「構いませんけど……、何かあるんですか?」
「違う違う。ちょっとさ、買い物に付き合ってもらおうかと思って」
「そうですか。神谷さん、構いませんから行っておいでなさい」

総司の許可を得て、セイは頷いた。着替えてきます、といってセイは急いで隊部屋に向かった。稽古着から着替えると、急いでセイは門の傍で待っていた藤堂の元へ向かった。

「お待たせしてすみません。藤堂先生」
「いや、いいよ。悪いね」

そういうと、藤堂はセイを伴って屯所を後にした。歩きながらセイは珍しい誘いに、藤堂に尋ねた。

「ところで買い物ってなんですか?藤堂先生」

歩きながら尋ねるセイに、藤堂は首を振っただけで答えなかった。なにも言わない藤堂について、何かあるのだろうと素直にセイは歩いた。

座敷のある甘味所に向かうと、藤堂は小上がりではなく座敷を頼んだ。

「藤堂先生?」
「うん、いいから」

そういうと、藤堂は自分には酒をセイには饅頭に茶を頼んだ。

 

– 続く –