水の底の青~喜怒「哀」楽 1
〜はじめのつぶやき〜
BGM:ケツメイシ こだま
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幾度も、こんな光景には立ち会ってきた南部でさえ、その場にいることができなくて、その部屋を出て行った。
後始末さえする気になれない。乾いた手拭いでいくら拭っても、手についた血が消えるはずはなくて、舌打ちをした松本は手拭いを放り出した。
「……」
何かを言おうとしても喉の奥から空気ばかりが出て行って、言葉が出てこない。
「刺されたのは腹だ。わかっていて、わざとすぐには死なないやり方でやりやがった」
運ばれてきたとき、かろうじてセイはまだ意識があった。痛みと、大量に流れる血が、全身から力を奪い去っていく。
南部の家に急患が運び込まれることはまずない。そこに運び込まれるとすれば、会津藩に関係があるか新撰組のどちらかだろう。
出迎えた南部は、戸板の上に乗ったセイをみて、顔色を変えた。
「メース!!」
「あぁ?……!神谷!」
慌ただしく、処置のために奥の部屋へ運び込まれたセイは、すぐに南部と松本の手によって手当が始まった。セイを運んできた若い衆には礼を言って引き取ってもらい、屯所への知らせだけを頼んだ。
南部と松本の二人は、油紙を敷いた布団の上にセイを寝かせると、すぐに着物を脱がせにかかる。
腹の刺し傷を見て、帯を解いた松本の手をセイが掴んだ。
「松本……」
「セイ!おう!しっかりしろ!」
「どうか……、内密に……」
この怪我を内密にしろというのは無理な話だと思いながらばっと着物を肌蹴た松本の手が驚きで止まる。
さらしで隠れた場所はわからないが、血に染まった腹も着物に隠れてはいたが、見える範囲にたくさん残る朱色の跡に言葉をなくす。
その後ろで、手当の支度をしていた南部でさえ、う、と驚くほどに、その跡は妄執と言えるだけの執着を示していた。
「セイ。これのことか」
目が回るなかで、必死にセイが頷いた。
後ろ傷ではないにしても、斬られたとなれば後になって誰かに傷を検められるかもしれない。そうなった時に、この跡を見られるわけにいかなかった。
「……沖田か」
「ちが……!」
こふっとセイの口から血が流れる。
松本と南部は止めていた手を再び動かして、とにかく傷口を押さえて血止めにかかった。傷口を縫うといっても、左右、両側から貫いた傷を縫うには、大きな手術が必要になる。
戸板の上の血の量を考えても、これ以上の出血は命取りだとわかっていた。
「メース!」
「傷口のでかい方を縫う!急ぐぞ」
慌ただしく動き回る松本と南部には、身についた経験が追い打ちをかける。これは厳しい、とどちらにもわかっていた。
第一に出血の量が多すぎる。今も止まらずに流れていく血は、セイの命の灯そのもので、強く傷口を縛っても、どんどん滲んでくる血を止めることはできない。
「あ……せん……」
「セイ!馬鹿野郎!死ぬんじゃねぇ!!」
濁った眼を開けたセイが、何かを言いかけてその唇が動きを止めた。南部が飛びついてセイの胸を何度も強く押す。
松本がセイの耳元で何度も声を上げて、セイを呼びもどそうとする。
「この……、お前!こんな相手がいて、むざむざ死んでいいのか!!セイ!!」
セイが運ばれてきて、いくらもたっていないような気がする。もっと長い時間だったような気もした。
もう何もうつさなくなった目が、最後に言いかけた何かを伝えようとしたのかもしれない。
「セイっ!」
もう駄目だと、南部が手を止めて、俯いた時、セイの目から涙が一筋流れた。
そこからどのくらい、そうしていたのかわからなかったが、いずれ隊から誰かが来る。立ち上がった南部が桶に新しい水とセイに着せるための浴衣を持ってきた。
傷口をきれいに洗い、血で汚れたさらしと共に、新しいさらしを宛がう。外したさらしの下にも点々と残る赤い跡が突き刺さる。
きれいにしたセイに、浴衣を着せて、きちんと帯を締めると、まるで眠っているような顔に見えた。
血を拭った時に、目と口は、そっと閉じておいたのだ。
ようやく布団に寝かせ終えて、どう動けばいいのか、後の処理を考え始めたところに総司が駆けつけてきた。
その瞬間を見ているのが辛くて、南部が部屋を出ていく。
信じたくない、と総司の全身が叫んでいるのが松本にもわかった。震える手を伸ばして、どうか嘘だといってほしいと、その背中が叫んでいた。
「よせ。沖田」
今は、受け入れるしかないのだ。自分たちは、この後のことを考えなければならない。残された時間はそう多くないのに。
それでも総司は、震える手でセイの顔に触れた。松本は大急ぎで血をふき取っておいて、よかったと思う。
そうでなければ、今総司が目にしているのは血だらけのセイだったはずだ。
―― すまん。沖田……!!
「よせってんだ!!もう駄目なんだよ!!」
「駄目ってなんですか!!」
渾身の力を込めて怒鳴ることで、総司を現実に引きずり戻す。振り返った眼が助けを求めていた。あのゆるぎない武士の目が、途方に暮れている。
それを嘘だということはできなかった。
「……こいつはもう死んだんだ」
残酷な現実を突き付けているのだとわかっていた。
総司の中の何かが音を立てて崩れていくのが、松本にも手に取るように分かった。
– 続く –