水の底の青~喜怒「哀」楽 9

〜はじめのつぶやき〜

BGM:ケツメイシ こだま
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屯所に戻った総司は、近藤の部屋にまっすぐに向かう。
朝ならば、土方も近藤のもとにいるはずだった。

「局長。よろしいでしょうか」

部屋の中から応じる声が聞こえて、両手を添えて障子を開く。近藤と土方が顔をそろえて総司を迎えた。

「ただ今戻りました。休みをありがとうございました」

頭を下げた総司を包む空気が全く違うことに、二人が顔を見合わせる。凍り付いていた総司が解けているのは二人にも伝わったらしい。

「昨日はどうしてたんだ?斉藤君から、外泊の届はもらったんだがね」
「いえ。どうもしませんよ」

じゃあ、これで、と頭を下げて局長室を出て行こうとする総司を近藤が引き留めた。

「総司。神谷君のことだが……」

その先をどう続けていいのか迷った近藤が言葉を切ると、座りなおした総司が近藤に顔を向けると、その顔は静かに微笑んでいた。

「……今までも、これからも神谷さんは私にとって大事な人です」
「総司……」
「いいんです。もう、大丈夫ですから」

頭を下げた総司は、今度こそ局長室を出ていく。その背中に透明な何かを見る。

「総司!」
「はい?」

今にも消えてしまいそうなその背中を反射的に呼び止める。

「お前は、死ぬなよ。絶対に、俺たちよりも先に逝くなよ!」
「嫌だなぁ。土方さん。そんなの誰にもわかるわけないじゃないですか」
「それでもだ!」

相変わらず無茶を言うなぁ、と苦笑いを浮かべた後、後ろ手に障子を閉める。
その目の前の廊下に斉藤が腕を組んで立っていた。

「斉藤さん。昨日は、外泊の届をありがとうございました」
「いや……。それで大丈夫か?」
「大丈夫かって……」

ほろ苦く笑った総司が軽く目を伏せる。斉藤も土方が感じたのと同じように、今にも朝日の中で光に紛れてしまいそうな総司に目を見張った。

「この、痛みが……、平気になる日はこないかもしれません」

そうだろう、とそれには斉藤も頷く。斉藤自身、今でもふとした瞬間にセイを想ってしまうからだ。

「今でも、神谷さんの声がききたいんです。だから……」

―― いつか、もう一度神谷さんに会える日まできっとこの痛みは続くだろう

それが、セイを思いやる余裕もなかった罰でもある気がする。もう一度逢えたら、もっとたくさん聞けるかもしれない。

「だから、次に逢える時まで、精一杯生きて、必ずもう一度、神谷さんに逢うんです」
「……それがあんたの……。安心しろ。あんたが出会う前に俺が先に出会ってやる」
「はぁ?!」
「そもそも、富永に紹介されていれば神谷は先に俺に出会っていたはずだ」

どこか得意げにいう斉藤に呆れてから、総司の顔に笑みが浮かぶ。

「神谷さんが、聞いたら怒りますよ?あの人、お兄さんの言うことは聞かない人だったみたいですし」
「む……」

それは確かに、と焦る斉藤に総司は胸の真ん中を押さえる。袱紗に包まれて、いつも片時も離すことないセイがここにいる。

『ちょっと、沖田先生!私、そんなに怒りっぽくありません!』

そういって、怒るセイの顔が思い浮かぶ。少しずつ笑いがこみあげてきて、あはは、と総司が笑い出した。

「斉藤さんが焦るところなんて、初めて見ましたよ?神谷さんに見せたいですねぇ」
「き、貴様っ!」

昨日まで、あれほど腐りかけていたくせに何を言うのかと睨んだ斉藤の肩をぽん、と叩くと総司は、斉藤の傍をすり抜けて隊部屋へと歩き出す。

悲しみを抱えたままでも、後悔を抱えたままでも生きていくことはできる。
それなら、精一杯、この想いを抱えて行こうと思う。

その想いが、きっと、またいつかセイと出逢えるように、運命を引き寄せてくれるはずだ。

「ただ今戻りました」
「沖田先生!お帰りなさい」
「いない間に、何か特に?」

出迎えた隊士達にも、総司が変わったことは伝わる。
心からの安堵の笑みが広がって、セイがいた時と何も変わらない隊部屋の光景が動き出す。

「沖田先生がいらっしゃらない時に限って!激うまの甘露煮が出たんですよ。残念でしたねぇ」
「えぇっ?!本当ですか?もう……、神谷さんだったら絶対に取っておいてくれたのに」

ごく自然にセイの名前が口を突いて出てくる。一瞬、同じ痛みに顔を曇らせた相田が、精一杯のやせ我慢でいーっと口を開いた。

「まことに、残念!神谷と違って、俺たちは、沖田先生の分も余計に、おいしく、この腹にいただきました!」

そういうと、隊士達が一斉に腹を撫ではじめる。男たちのそんな光景に、げんなりするが、同じ痛みを分け合った顔に、総司が笑い出した。

「じゃあ、その分、たくさん動かないといけませんね。いっそ、たまには局長と副長に稽古をお願いしましょうか」

よしよし、と一人頷いた総司は、刀を置いて羽織を脱ぐと、再び幹部等の方へと向かって行ってしまう。
後に残された隊士達は、青ざめて顔を見合わせた。

「お、おい。局長と副長の稽古って……」
「ど、どんだけ荒稽古になるんだ……」

今の総司のお願いなら二人は二つ返事で頷くだろう。青ざめた隊士達は天を仰いで一斉に叫んだ。

「神谷~!!助けてくれ~!!」

『……それだけは絶対に無理です』

苦虫をかみつぶしたセイが、隊士達と同じように首を振る姿を思い浮かべて、総司はふふっと笑った。

– 終わり –