水の底の青~喜怒「哀」楽 4
〜はじめのつぶやき〜
BGM:ケツメイシ こだま
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –
「じゃあ、解散」
巡察を終えて屯所に戻った一番隊は、大階段の前で皆に背を向けた総司に心配そうな目を向けた。
あれから、早くも一月が立とうとしている。
総司達がセイを連れて屯所に戻った時、土方は頑なにセイの亡骸に対面しようとはしなかった。
かわりに近藤に使者を送り、一番隊を集めると、斉藤を呼び寄せてセイが襲われた場所へ向かわせていた。白昼の出来事であり、見ていた者達も多かったうえに、他の隊士ならいざ知らず、荒っぽい手に出がちな隊の仲立ちをする形で商人達からの覚えもよかったセイの事である。
セイが出向いた大店の主人を初め、多くの者達が金貸し屋の用心棒を下手人だと証言してくれた。
金貸し屋に一番隊と三番隊の面々が出向き、用心棒を名指しすると、当の二人は金だけを持って店から姿を消していた。
「さてさて、手前どもには日銭で雇った用心棒のことまでは何とも」
のらりくらりとかわそうとした主人に、滅多なことでは荒っぽい手段に出ることのない斉藤が店先だというのに大刀を抜いた。
「雇い人の責めは店の責めも同じ事。当人たちはおらぬ、隠し立てもせぬというならその首をもらおう」
明らかに殺気のこもった斉藤の言葉に、海千山千の主人も震え上がった。
駆け引きの通じる相手ではないとみて、恐ろしさのあまり腰が抜ける。今にも、斉藤がその切っ先をふるえば首と胴が泣き別れになる。
番頭達も額を擦りつけて頭を下げていたが、いつも横柄な主人がそれほどまでに震え上がったのをみて、真剣に斉藤らの事が恐ろしくなった。
本当に、逃げた男達の行方は知らぬといい、信用できぬと、斉藤達が店の中を徹底的に改めたが、確かにその姿はなかった。
斉藤達が家中をひっくり返している間に、主人が番屋に駆け込んだが、経緯はすでに耳に入っている。町方も主人の味方にはならなかった。
「どうか、お詫びのしるしに……」
怒りにまかせた家探しで無残な有様になった金貸し屋の店の中で、主人は斉藤達の前に三方を置いて頭を下げた。
積まれた金子は五百両。
隊士一人についての詫びにしては破格のものだったが、それでも斉藤達の怒りの具合を正確に推し量ったともいえる。
金で何が解決できる、と思いはしたが、さまざまなものを飲み込んで、斉藤はそれを受け取ると、隊士達を引き連れて屯所に引き上げた。
同時に、知らせを受けた監察もすぐに動いている。逃げた男達を追った監察が、行く先を調べ上げて、藤堂の隊が二人の始末をつけて戻ったころには通夜が始まっていた。
入れ代わり立ち代わり、時間があればセイのいる小部屋に誰もが足を運ぶ中で、ずっと片時も離れることなく、総司は傍に居続けた。
「……痩せたな。沖田先生」
稽古も巡察も、今まで以上に忙しく動き回り、片時も座っている姿がないくらいの総司は、いくらか食事をとるようにはなっていたが、前に比べればほとんど食べていないに等しい。
どうせ吐くからと言って、初めは食べようともしなかった総司に少しでもと、賄いの小者達も、粥にしたり、味噌汁だけでもと具の多いものを作ったりしていたが、どれもはかばかしくなかった。
だらだらと笠を外して、一番隊は大階段に足をかける。彼らが戻る隊部屋もすっかり代わってしまっていた。
セイの遺品はすべて総司が引き取り、目に見える場所からはセイの痕跡が日々薄れていく中で、一部の者達の時間だけが未だに止まっている。
「副長、最後まで神谷に会わなかったんだろ」
「そうらしいな」
隊士達は、いくらかましになったとはいえ、今もまだため息が多い。ぞろぞろと階段を上り、隊部屋に向かう足取りが重くなる。
頑なにセイに会わなかった土方は誰もいない夜更けに一人、ひっそりと小部屋に姿を見せていたことを総司以外の者達は知らない。
横になることもせず、じっと座ったままの総司がいる部屋の前で、しばらく佇んでいた土方は、消えそうになった線香の替えに火をつける総司の動きを障子越しに見て、ようやくそれを開ける気になった。
しばらく前から部屋の前に土方が立っていたことに総司も気が付いている。驚くこともなく、静かに元の姿勢に戻った総司は、何も言わず、白い布を退けた。
意地なのか、弱いからこそなのか、枕元に腰を下ろしてなお、土方はセイの顔を見ようとしない。代わりに、総司の顔をじっと眺めた。
「……総司。辛いか」
ずっと、余計なことは言わず、自分とそれ以外とを切り離していたように見えた総司が、ゆっくりと頭を振った。
「どうして……、この人はここにずっと横になっているんでしょうね。どうして目を開けないのか、未だにそれがわからないんです」
もう死んでいるからだと言われれば頭はそれを理解している。なのに、その理解と現実が結びつかない。
乾いた声には何の感情もない様に思えたが、そうでないことぐらいわかる。大事な弟分にこんな思いをさせる事への怒りと、戦でもないところで命を落としたセイ自身への怒りとが混ざり合う。
「いつまでそうしているつもりだ。近藤さんはお前に甘いからいいと言っても、いつ何があるかわからん。少しでも眠って、体を休めろ」
「今はできません」
「駄目だ」
「土方さん」
それまで焦点の合っていなかった総司の目が土方を捕えた。その眼が暗い部屋の中にあってなお、暗く深い水の底のように凍えた色をしている。
「やるべきことはやります。ですが、どうか神谷さんを送るまでは、好きにさせていただけないでしょうか」
駄目だということは簡単でもある。
止めるつもりで口を開いた土方は、結局真逆の答えを返した。
「とにかく、少しでも眠れるときに寝ておけ」
それだけを言うと土方は小部屋を出た。雲に隠れて月もない。
今までにもなくしたくない隊士を何度も見送ってきた。なのに、この痛みはいつまでたっても慣れはしないのだ。土方の部屋には、近藤が置いて行った酒がある。
いくら飲んでも酔えないだろうが、清めと思って飲むしかないのだ。
– 続く –