黒き闇の翼 2

〜はじめの一言〜
滅多打ちになる前に、ね。

BGM:嵐 One Love
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それが空耳だったのではないかと思うくらい冷静な声に、はっと土方が我に返る。

「お前はっ」

―― 平気なのか!何とも思わないのか!

例えそれがどれほど無様だろうと思わず問いかけそうになった土方の手を掴まれている方とは反対の手が包み込んだ。

「好き好んで病を得るものなどおりません。それがいかな身分の方であっても、避けようのないことだと上様の時に、思い知ったではありませんか」
「……っ」

確かに、あれほど若く、慕われた家茂がまだ健在で、存命であったなら今はどのようになっていただろうか。
常にぶれる事のなかった瞳の奥が揺れる。その瞳を覗き込むようにセイが続けた。

「かかってしまったものを今更、どうのと言っても仕方がありません。それよりも、少しでも滋養を付けていただき、これまでの激務から体を休めていただいて、必ず治っていただきます」
「……ああ……。そう、だな」

かつて、自分を救った近藤のように、この手が総司を助けるかもしれない。
ゆっくりと、掴んでいた手から力が抜けていき、冷静さを取り戻した土方の手からセイの手が離れた。

後ろの火鉢に置かれた鉄瓶から白湯を汲むと、土方へと差し出す。

「しっかりと気を強く持ってください。副長。私達が揺れていては沖田先生にも伝わりますし、ほかの隊士達にも伝わります。それよりも今後どうするかを決めなければ」

セイの強い目は、あれほど泣き虫だと思っていたにもかかわらず、今は少しもそんな様子を見せはしなかった。

先に知っていた。

たったそれだけのことでこれほど違うのかと思ったくらい、土方の方が今は揺れている。そんな土方にセイは言葉を重ねた。

「沖田先生は、平隊士とは違います。皆にも知られれば動揺が走りますし、巷間にもいずれ知られてしまいます。それを隠すためにも一番隊をほかの先生に見ていただかなければならないと思います」
「……わかった。すぐに組織変更を検討しよう」
「私は、沖田先生のお世話が中心になると思います。一人で医薬方をするわけには参りません。どなたかを付けていただくか、小者を増やしていただくかしませんと」
「それも検討しよう」

ずっと、露見した時にはどうすればいいのか、何を進言するのか、考えてきたのだろう。
すらすらと流れる様に口にするセイがそれでも土方は憎々しいと思った。

「お前……」
「はい」
「いや……」

もう一度、なぜだと繰り返しそうになった土方が、かろうじて言葉を飲み込んだ。あれほど総司を慕っていたセイが泣かなかったはずはない。心配していないはずはない。
己にそう言い聞かせると、ふいっと顔をそむけた。

「……さっきはすまなかった」

小さく詫びた土方にセイは口元に笑みを浮かべた。背を向けた土方にはそれが見えていなくても、その声音に強さが乗る。

「いえ。当然です。露見しなければこのまま隠し続けることに加担していたと思いますし」

―― 隠し切れたならそれがよかったのに

口には出さなかったが、セイがそう言ったような気がして、土方は振り返った。
まっすぐにその眼を受け止めたセイは、畳に手をついて頭を下げる。

「ご指示が決まりましたら、およびください。私は沖田先生に着替えをお持ちしなければなりません」

わかった、と頷いた土方の部屋を後にしたセイは、ひどく落ち着いた足取りで総司の元へと向かった。
微かに聞こえる話し声に耳を澄ませていた総司は、天井を眺めていた。
こうして耳を使う事にも随分慣れてきた。
近藤と土方の部屋から遠ざかっても状況を全く知らないではいられない。

「神谷さんがいるとやっぱり違いますね」

ぽつりと呟く。
この部屋で総司の咳を気取られないようにするために、密かに主が不在の部屋で試したのだ。だからこそ、どのくらいの声なら聞こえるのか、セイにはわかっている。
話をしていることはわかっても、その内容は全く聞き取れなかった。
途中、少しだけ激高した土方の声が聞こえたが、すぐにそれも聞こえなくなった。

―― すみません。土方さん

特に、土方には堪えるだろう。自分は幸運にも病み抜けたが、その大半はどうなるかその身をもってよく知っている。
何がよかったのかなど今思い返してもよくわからないくらいだ。特別な薬を用いたわけでもなく、これと言って特別なことをしたわけでもない。しいて言うなら気力だろうか。
だが、決して今の総司の気力が弱かったかと言えばそんなことはない。

そして、それは近藤にも辛い話だろう。

「駄目だなぁ。私は……」
「駄目なのはそう思う今の沖田先生です!」

勢いよく障子が開いて、セイが着替えを持って現れた。
表の明るさがまともに目に入って、思わず目を細める。

障子を閉めて、総司の傍に膝をついたセイはてきぱきと持ってきた桶を置いた。

「さ。沖田先生。お手伝いしますから汗を拭いて着替えてください」

熱い湯を汲んできた桶に新しい手拭いを浸すと、火傷しそうなくらいの湯を絞る。そして、総司の布団をめくると手を貸して起き上がらせた。

「そのくらい自分でやりますよ」
「駄目です。さっさと脱いでください」

渋々と総司が帯を外すと、肩から着物を引き下ろしてその背を手拭いで拭き清めだした。
されるがままになっていた総司は、腕を掴まれ、丁寧に体を拭かれることに羞恥を覚えたのか、途中でセイの手から手拭いを取り上げた。

「やっぱりいいです!このくらいやりますから」

急いで胸のあたりから反対側の腕を拭いだした総司に、黙ってセイは新しい寝間着を肩にかけた。
すっと傍に置いていた替えの下帯を総司の傍に置くと、額を冷やしていた桶を手にする。

「じゃあ、替えの下帯はこちらに置きますので、全部きちんと体を拭いて着替えてください。私はその間に水を取り替えてきます」

– 続く –