黒き闇の翼 5

〜はじめの一言〜
じりじりしますが。

BGM:嵐 One Love
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しばらく総司の傍にいたセイは、部屋の中が薄暗くなってくるとそっと部屋を出て自分の部屋に戻った。時間は早いが床の支度だけ済ませて賄へと向かう。

「神谷さん。お膳用意してますよ」
「ありがとう」

頷いたもののセイは膳の上を見ると、小さくため息をついて、裏に向かった。今日一日で初めて、自分のために井戸端で顔と手を洗う。

「ぷはっ……」

何度も冷たい水を煽ると大きく息をついた。懐には常に何枚も手拭いを忍ばせてある。そのうちの一枚を取り出すと、顔と手を拭った。

大きく首を振るとごきっとひどい音が鳴った。大きく深呼吸するとすっと背筋が伸びて背中の真ん中が少しだけ落ちて、胸が上向きになる。

「よし」

くるりと踵を返すと、賄に戻ったセイは自分の膳を引き寄せると手に塩をつけて飯を握った。眉を顰めてそれを見ていた小者達は、しぶしぶと竹皮を差し出した。

「ありがとう。残りはいただかなくても大丈夫です。それから沖田先生の分の粥をお願いします」
「……神谷さん。そんな食事じゃ神谷さんだって参っちゃいますよ」
「大丈夫。今まで副長に隠しててくれてありがとう」

賄の小者達はもっとずっと早くからセイや総司の異常に気付いていた。ろくに食べないセイ、徐々に食事の減りの異常にいち早く気付くのは当然と言えた。
頭を下げて小者達に頼み込んだセイは、総司の粥を用意してもらうようになった。どうしても、小者達の協力なしに今まで隠してくることはできなかったと言える。

賄の戸棚にもセイが置いた薬の袋がある。翠月尼の処方したものと同じ薬草を粉にしたものだ。それを粥に少しずつ混ぜている。出汁と鰹節の餡をかけると薬の味が誤魔化せるのだ。

それもセイが何度も少しずつ試して、総司が嫌がらずに口に運んでくれるような味付けにした。

疲れ切ったセイが何も食べられなくなった時には、小さな大福をいくつも小者達が自ら作った。菓子に見立てて、皆にも振る舞うことで少しでも食べられなくなっていく二人に、食べさせることを考えたのだ。

竹の皮に包んだ握り飯を手にしたセイの腕を小者が掴んだ。

「あとで、お部屋に届けます。沖田先生の分も含めて」
「……わかりました」

セイの手から握り飯を小者が奪うと、セイはにこっと笑って自分の部屋へと戻っていった。

 

 

なぜ、土方や近藤が総司の病を知ったのか。

ひた隠しにしていた病は、思いがけなくて、そして当たり前のことで知れた。セイが、どうしても総司の傍にいない時。
朝礼でこみあげる咳と血にまみれて総司が倒れたのだ。

土方の命で、休暇の最終日だったセイが呼び戻された。そして同時に、松本法眼と南部にも連絡をしたが、あいにくと二人とも京には不在だった。

ずっと、総司の咳が聞こえないか、気を張っていたセイは部屋に戻ると手早く着物を着換えた。少しだけと布団の上に横になる。
あっという間に泥の中に沈み込むように寝入ってしまう。

総司が眠っているときも片時も気の休まらない時を過ごしてきたセイにとって、結果として総司とセイの望む通りにはならなかったとしても、よかったのかもしれない。こうして、少しでも眠ることができるのだから。

セイの部屋に食事と握り飯と、味噌汁と、総司のための粥を運んできた小者達は部屋に来てセイが寝入っていることに気付くと、そっとその上に布団を着せ掛けて、部屋の隅に運んできた食事を置いた。セイの部屋には火鉢がない。

だが、小者達は炭の入った駕籠を食事の傍に置いていった。

少しでもセイを休ませよう、そんな気遣いで、去っていった小者達が土方に報告したために、セイと総司のいる部屋の周りは、特にひっそりと静まり返っていた。

 

 

真っ暗な部屋の中で、浮かび上がる様に目を覚ました総司は、ゆらりと片手を持ち上げた。

「……まだ、思い通りに動いてる」

夢の中ではどうしようもないくらい、指一本さえ動かすのが苦痛だった。なのに、今はこうして腕が普通に上がる。どちらが現実なのか、夢なのか、よくわからなくなる。

ゆっくりとあげた手をついて体を起こすと、熱でけだるいものの、嘘のように胸の苦しさが収まっていた。

「こっちが夢か……、それともこれが現実かな」

長い時間眠っていただけに、どこからが本当でどこからが夢だか、境が怪しくなる。起き上がってぼうっとしている間に少しずつ、ああ、そうだったと思い出す。

「そうか……。近藤さんや、土方さんにばれたんでしたね……」

熱に浮かされて、ろくに動くこともできない自分。
剣を持つこともおぼつかないくらいの自分。

総司の布団から離れたところに置かれている刀かけをみると、自分の愛刀がきちんと置かれていた。
ゆっくりと床から立ち上がった総司はその刀を手にした。

「重い……。こんなに重いなんて、知らなかったな……。神谷さんはずいぶん重かったんでしょうね」

鞘を掴んだ手にずしりと重さが伝わる。今まで一度も重い等と思ったことはなかった。幼少の頃に試衛館で初めて手にした木刀がそういえばこのくらい重かったと今更ながらに思い出す。

ゆらりと、暗闇の中を泳ぐように隣の部屋へ続く襖を開けた。

すう、すう、と健康的な寝息が聞こえる。そんなセイを真っ暗な部屋の中で見下ろした総司はゆっくりと顔を傾けてセイの顔を覗き込んだ。

セイを守るのだと思っていたが、今では共に秘密を抱えあうものになり、今ではセイに守ってもらう立場になるとは。

―― この子を……守るのだと思っていたのに

片手を滑らせて鍔に指をかけると、軽く振って鞘を滑り落とした。

「貴女を……もう守れないなら」

―― 苦しませたりはしませんよ。神谷さん

 

 

– 続く –