雲間

〜はじめの一言〜
雷雲の幕間になります。 刀話になりますが、知識も京都言葉も俄者でございますれば、ご容赦を。

BGM:ヴァン・ヘイレン Ain’t Talkin’ ‘Bout Love
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「おや。沖田先生、ようおこしやす」

総司は隊務の合間に刀鞘堂に立ち寄った。ごたごたと、セイが狙われたところから一連の騒動が収まるまで、何かと忙しく研ぎに出した刀を引き取りに立ち寄る暇がなかったのだ。

「すみません、ご主人。すっかり引き取りに来るのが遅くなってしまって」
「なんのなんの。他のお預かりの差料とご一緒に屯所までお届けしようかとも思ったくらいですが、直接お預かりしたものでしたからお見えになるのをお待ちしておりました」
「ああ、すみません。お気遣いありがとうございます」

こちらへ、と主人に案内されて総司は奥に上がった。
上座に総司を案内すると、入れ替わりに手代が茶と菓子を運んでくる。総司の好きな薯蕷饅頭を出してくるところが、いかに懇意にしているかがわかる。
ちなみにこれが、斎藤の場合は、水菓子の場合が多いらしい。

すぐに主人が戻ってきて、総司の向いに腰を下ろした。

「すぐにお持ちいたしますので、どうぞお召し上がりくださいまし」
「ありがとうございます」
「そう言えば、神谷さんはお元気ですか?」

刀鞘堂に来る際にセイを伴ってきたこともある総司は、おや、と思った。確かに伴ってきたこともあるし、セイも自分の刀の研ぎを頼みに来たこともある。そして、総司がセイを可愛がっていつも連れていることが多いことも、割合知られていることではある。
しかし、この主人がわざわざ話題にしたのはこれが初めてだった。

「ええ。元気ですよ。最近は内勤が多いので、研ぎをお願いしに来ることが少ないですかね」
「いえいえ、そんなことじゃありません。何やら、騒がしいご様子でしたのでご無事にしていらっしゃるかと思いまして」

刀鞘堂の主人、菊右衛門はにこにこと相好を崩したまま事もなげに言った。総司は手にしていた茶碗を置いた。

「……ご存知でしたか」
「へぇ。他のお店ならばまた違いましょうが、うちはこういう商売ですから、嫌でも色々耳に入ります」
「それはそうでしょうね」

どこの浪人者だとしても、刀を使う者であれば、必ず世話になる。刀屋が刀鞘堂だけではないにしても、京や大阪の町であれば、刀屋同士、また研ぎ師との繋がりもあるだろうから、色々と耳に入るという菊右衛門の言葉は確かなのだろう。

「神谷さんの噂が随分流れてはるのは、早いうちに耳にしてましたけど、余計なことをお耳にいれさしてもらっても、面白くもないと思いましてなぁ」

要するに、総司達がセイが狙われていることを知るよりも早くから、そうなることを知ってはいたが教えなかったのだと言っているらしい。総司が苦笑いを浮かべた。

「ご主人や町の皆さんにご迷惑をおかけしてしまって……」
「なんの。こう言っては失礼ながら、さて、どうなることやろと付き合いのあるもん同士、噂さしてもろてました」
「どうしてそれを私に、今、言われるのですか?」

総司は首を傾げた。噂を知りながら面白がって刀商や研ぎ師同士で噂話をしていたというなら、そのまま黙っていればいい。しかしそれを今、総司に話すのがわからない。

「さて、どうしてでしょうなぁ」
「謎かけですか?私は得意じゃないんだけどなぁ」

はぐらかすような菊右衛門の言葉に総司は穏やかに答える。人の良さそうな菊右衛門だが、その身のこなしや体つきから、以前は二本差しだったのだろう、ということは隊の中でも知られていた。

「先日、神谷さんがこちらにお寄りになられまして、土方先生の差料をお預かりさせてもらったんです。あの方は、本当に素直でいい方ですねぇ」

怪我が治るまで、一番隊から外れるわけではないにしても、内勤として近藤や土方の雑務を請け負っていたセイが、土方の差料を研ぎに出しに来たらしい。その時は他の者達からの依頼も続いていただけに、セイは菊右衛門が好きな老松の北嵯峨を手土産に持ってきたのだ。

「御主人、皆が一斉にお願いしているみたいで忙しいところに申し訳ありません。副長ってば、気の長い方じゃないので、申し訳ないんですが、早めに仕上がってくるとありがたいのですが……」
「そういわれましても、研ぎ師はそんなに何人も何人もいるわけじゃありまへん。まして、皆さんのお命を預からしてもらってる刀の仕上げに少しでも手抜かりがあったら、この刀匠の看板上げておかれまへん」
「そうですよね。御主人も研ぎ師さんも早く仕上げるために他の物を疎かになんてするわけないし」

セイは一人で頷くと、菊右衛門に頭を下げた。

「すみません!今のは聞かなかったことにして下さい。お願いしている順番は順番ですし、新撰組以外の方のお仕事もあるでしょうし、無理は言いません!仕上がったら教えていただけますか?」
「そら、そのつもりではおります。けど、お断りしておいてなんですが、神谷さんが土方先生に怒られはるんじゃありませんか?」

確かに、持ち込まれている刀剣類はいつもに増して多く、者によっては二月、三月はかかりそうなものもあった。その中で、土方のものを先に仕上げてほしいというのは、頷き難かった。だが、その無理な願いを引っ込めたセイに、菊右衛門が逆に心配して問いかけた。

セイは、片手を振って、どこか自慢げに言ってのけた。

「大丈夫ですよ。私こう見えても、怒られるのは慣れてるんです。先生方は稽古なんかでも、怒ったら怖いですからね。拳で殴られたり、投げ飛ばされたりなんてしょっちゅうですから、副長の怒鳴り声なんて耳栓しておけば大丈夫ですよ。それよりも、失礼なお願いをしてしまってすみませんでした!これ、お詫びじゃないですけど、御主人がお好きな北嵯峨です。召し上がってください」

ずいっとセイが箱を差し出した。確かに、菊右衛門は北嵯峨が好物ではあったが、北野天満宮の近くまで足を運ばねばならないため、そうそう気軽に買い求めることができなかった。セイは、このためにわざわざ老松まで足を運んで、北嵯峨を買い求めてから刀鞘堂を訪ねていた。

店に訪れる客の中には懇意にしており、総司のように好物の饅頭を用意しておくような相手もいれば、斎藤のようにいくら語っても語ることに尽きない刀好きもいれば、時には威丈高に振る舞い、尊大な態度をみせているものの刀については何も知らず見た目の拵えにばかり凝るような客もいる。
そんな中で、色々な評判の新撰組の中でもセイの心遣いは好感がもてた。

「神谷さんらしいですね」

その話を聞いた総司がその様子を思い浮かべて笑った。確かにあのセイならばそうするだろう。
総司の顔を見ていた菊右衛門は、それまで、ある考えを持ってはいたもののどこかで踏み切れずにいた心が決まった。そんなことで、と思われるかもしれないが、人の心の機微とはそんなちょっとしたことで左右されたりするものだ。

「沖田先生。次に何か小耳にはさみましたら、一番にお知らせさせてもらいます」
「はは。神谷さん限定なんてすごいですね」
「いえいえ、神谷さん限定ではなく。ご存じかも知れませんが、これでもかつては二本を指していた身。新撰組の皆様のお役にたちとうございます」

丁寧に手をついた菊右衛門は総司をはたと見据えた。菊右衛門の思惑を測りかねた総司が黙っていると、菊右衛門は重ねて言った。

「口先ばかりと今は俄かに信じがたいことと思われましょう。いずれ、近いうちに屯所にお邪魔させてもらって近藤先生や土方先生にお目にかかって直にお願いさせていただきたいと思ってます」

にっこりと、口元に笑みをたたえた菊右衛門は、今では見るからに大店の主人ではあるが、元は紀州藩の公用方を務めていた程の人物であった。元来の刀好きが高じて、今は町人になってはいるが、顔は広い。
その身分までは知らないまでも、菊右衛門の真摯な態度は総司にも伝わったようだ。

「わかりました。局長や副長に伝えておきますので、都合のいい時に屯所へいらしてください。私が話を通しましょう」
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらの方です。協力いただけるのならありがたいことです」

菊右衛門と総司の双方が頭を下げあって、話が一段落したところを見計らって、番頭が総司の刀を持って現れた。菊右衛門は、総司の前に懐紙をおいて、刀を差し出した。

「どうぞ、お改めください」

総司は、自分の刀を受け取ると、すらりと抜いた。じっと美しい刃紋を眺めていた総司は、しばらくして鞘に収めた。

「ありがとうございます。良い仕上がりです」
「お気に召していただけてようございました」

刀袋を手にすると、総司は腰に差していた刀を納めて、今戻ったばかりの刀を手にした。番頭が呼吸を合わせたように、案内に立つ。

「お手数おかけしました。先ほどの話は局長に話しておきますので」
「よろしゅうに。またおいでをお待ちしております」

総司は菊右衛門に挨拶をすると立ち上がって、店をでた。店の者が見送りに出て、総司は振り返ると、一度頭を下げてから屯所に向かって歩きだした。

 

屯所に戻った総司は土方の元に向かった。
先ほどの菊右衛門の話をするためだ。

「刀鞘堂がそんなことを言っていたのか」
「ええ。身元は勿論調べなければならないと思いますが、あの御主人の話に嘘はないとみました」
「だろうな。あの主人は元は紀州藩の公用方だ」
「ご存じだったんですか?」

土方も顔見知りではあったものの、旧知の仲のように話す土方に総司は驚いた。

「当たり前だろう。仮にも俺達が命を預ける刀を扱う店だ。当然、不審がないか調べる」
「で、どうするんです?」
「腕のいい密偵が増えるのはいいことだろう?これも神谷の手柄だな」

困ったような喜ばしいのか、わからない顔で土方は総司を見た。天邪鬼な土方の反応に、総司は笑い出した。

「じゃあ、神谷さんを褒めてあげなくちゃいけませんね」
「それはお前の役目だろ?」
「土方さんが褒めてあげるから意味があるんですよ?」
「うるさい。それはお前がやっとけ。俺は忙しい」
「でも、刀鞘堂さんには会うんですよね?」
「もちろんだ」

まったく、と思いながら総司は副長室を出ると、セイを探すことにした。こんな風に思いもかけないところでセイが味方を増やすことは今に始まったことではない。そして、増えた味方はセイ本人ではなく、総司にそれを言ってくることが多い。

「神谷さん」
「あ、沖田先生!」

総司を見て嬉しそうに近寄ってくる姿に、総司はため息をついた。
嬉しそうに傍に来たセイを、総司は愛しげに頭を撫でる。

「えー?沖田先生なんですよう」
「なんでもないです。野暮天さんにはわかりません」
「沖田先生に言われたくないです!」

– 終わり –