迷い路 23

〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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「副長。神谷、ただ今参りました」

部屋の前で慎重に声をかけると、すぐ部屋の中から襖が開いた。総司が来た時とは違って、きちんと着物を身に着けている。

「来たか」
「はい。供を代われとだけご指示をいただいて参りました」

セイが自分は何も知らないまま駆けつけてきたという意味合いを口にすると、小さく頷いた土方は背後にまだ女将がいることを確認して苦い顔を見せた。

「総司の奴が、どーしても腹が痛ぇといって逃げやがったんでな。お前でもいないと俺も恰好がつかねぇだろ」
「なーにを言ってるんですか。まったく見栄を張るのは女性相手だけにしてください」

不安そうな顔をしていた女将が、呆れ顔でぷっと吹き出すと頭を下げて離れて行った。それを待ってから、土方が声を落とす。 その背後の布団の中では、総司が一度現れた後、再び土方に責め立てられた桜香が力尽きて、深い眠りに落ちていた。

「紅糸がどこかの誰かに、殺しを頼んだらしい。それを聞き出した総司は山崎のところに向かった。お前は紅糸の傍にいて見張れ。勝手な真似はさせるなよ」
「どういうことですか?どうしてそんなことを……。まして、天神の紅糸さんがそんな相手をどうして」

セイの疑問も当然である。総司はさておき、セイは何も知らないのだ。
肩をすくめた土方は、無表情にさらりと言った。

「俺に惚れてるんだとさ。人が斬られれば、調べのために俺たちが出張ってくる。うまくいけば俺にも会えると思ったんだそうだ」

あ、の形に口を開けたセイが、何かを言おうとして首を横に振った。土方の本性を知らないからそんなことになるのか、知っていてもそんなことになるのか、セイにはわからないが驚くしかない。
いつか刺されてもおかしくないと土方を軽く睨んだ。

「なんだ、その顔」
「なんだじゃありませんよ。女性をなんだと思ってるんですか?それじゃあ、副長の日頃の行いのせいで人殺しが起こるかもしれないっていうんですか?冗談じゃありませんよ。少しは立場を自覚して自重してください!」

一気に巻くしたてたセイにむっとした土方は、余計なことをと思ったが今はそんな場合ではない。小さく咳払いをして、紅糸のいる部屋のほうへと顔を振った。

「いいからお前は余計なことを言ってないで紅糸から目を離すな」
「副長が行けばいいじゃないですか」
「馬鹿。俺はいかん」
「なぜですか。紅糸さんがそこまで思い詰めたのは副長のせいなんでしょう?!」

しっ、とつい興奮して声が大きくなったセイの口を土方が押さえた。大きな声を出せばほかの部屋にいる者たちや、今は眠っている桜香が目を覚ましかねない。

もが、と押さえこまれた手の中で、セイが小さく詫びるとでかい声を出すな、と言って手を離した。

「俺が紅糸に会うってことは、それこそあいつの思う壺だろ。あれの目的が俺に会うことなら、それこそ何があっても俺はあれの前に姿を見せてやるわけにはいかん」

厳しい顔でそういった土方に、言葉を無くしたセイは、何と言っていいのかわからずに曖昧に頷くと、紅糸の部屋を聞いてそこに向かった。

廊下を挟んで二つほど向こうの部屋に近づいたセイは、どういう顔をしていいのかわからなくてなかなか部屋に入ることができなかった。

紅糸は総司の相手を、といっても本当に相手をしてはいないはずだが、少なくともセイの知らない総司を知っている相手である。そんな紅糸の想い人が土方で、まるで八百屋お七のように、土方恋しさで人殺しを誰かに頼んだというのか。

―― そんなのって……

部屋の前で首を振ったセイは、なんとはなしに、袷を整えて襖越しに声をかけた。

「入ります」

窓際でぐったりと乱れた姿のまま座り込んでいる紅糸と、その脇に店の若い衆らしい男が困り顔で座っていた。

「新撰組の神谷といいます。沖田先生の代わりに……」
「ああ。紅糸はん、すっかり気が抜けてしもて……」
「私が代わりますので、少し外してもらえますか?」

若い男も、いつもは明るく誰にでも柔和な笑顔を浮かべている紅糸がすっかりと魂を抜かれてしまったような様子に、初めはなにかと声をかけていたが、そのうち、何の反応も示さない紅糸に、困り果てていたのだ。
セイが代わってくれるのなら、助かる、とすぐ立ち上がって入れ替わるように息詰まる部屋から逃げ出していった。

代わりに部屋に入ったセイは、紅糸の近くに腰を下ろした。まっすぐに伸びた背にセイの緊張があった。

「紅糸さん。私は、新撰組の神谷と申します」

窓側の壁に倒れこむようにして座っている紅糸は、手足からも力が抜けきっていて、みるからに痛々しい姿に黙っていられなかった。

「……」

ぴくりとも動かなかった紅糸の視線がぴくりと動いた。新撰組、という言葉に反応したらしい。
セイは、そこにかすかなきっかけを見つけた気がして、焦る気持ちを抑えて膝を進めた。

「紅糸さん?少し、お話を聞いてもいいですか」
「なんでしょう……」
「あの……」

どうして。
何をしたのか。

それを聞きたくて、声をかけたはずなのに、どういえばいいのかわからなくてセイは口籠る。きっちりと座った膝の裏がひどく居心地が悪い。

紅糸を見張れという土方の命には、紅糸から聞き出せることは聞き出せということでもある。自分に割り当てられた仕事がわからないセイではない。

二人の間にある畳にうろうろと視線を彷徨わせたセイは、結局何の考えもまとまらないまま、口を開く。

「紅糸さんは、何をしたんですか」

その問いかけに紅糸は、ふうわりと笑んで見せた。乱れてほつれた壜のあたりも、紅が落ちて、青ざめて見える顔もひどく疲れて見えたが、それが余計に紅糸を美しく見せていた。

「何を、とは難しい質問どすなぁ。神谷はんは何をお聞きになりたいんやろか」
「じゃあ、質問を変えます。土方副長に会いたいために人を殺すように誰かに頼んだというのは本当ですか」

にっこりとほほ笑んだ紅糸の顔を見ているうちに、紅糸がどれだけ覚悟を決めているのかを嫌でも感じないわけにはいかなかった。それなら、こちらも真剣に対峙するのが筋だろう。

「まっすぐどすなぁ。へぇ。その通りどす」

さらりと答える様子が少しずつ、セイには挑みかかってくるように感じ始める。負けず嫌いはセイの十八番だけに、丹田に力が入る。それはどこかで憐れみを感じていた紅糸に対して、はっきりとした怒りを感じ始めたことでもあった。

 

– 続く –