迷い路 24

〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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「それでもうちは何にもしてまへんえ?沖田先生にもお話しましたけど、自分の手でなにかしたわけやなし。すこおし、こんなお客はんが来ました、こんな様子どした、って囁いただけどす」
「誰にですか」
「それは言えまへんなぁ」

ころころと口元に手を当てて笑う紅糸を見ていたセイは、眉を顰めた。

「なら、どういう人ですか。その相手は」
「そうどすなぁ。お侍はんですえ。神谷はんや沖田先生とおんなじ」
「同じって……、新撰組の誰かですか?!」

どきっとしたセイが腰を浮かせているのに、紅糸は興味もなさそうにふいと視線を逸らしてしまった。それがばかにされているようで、セイは紅糸の傍に近づいた。

「紅糸さん!教えてください。何をその人に言ったんですか?誰を殺してくれといったんですか!」
「そないなおとろしいことしまへん。ただ、こんなお客はんがきたこと、そのお客はんとどんな感じやったか」
「あなたは!仮にも自分のお客だった人のことを」

殺すように仕向けたのか。

その客を殺してくれといったのかと、怒りがふつふつと沸きあがってくる。確かに、中にはひどい客もいるだろう。だが、それでも殺していい理由にはならない。

「神谷はんは誤解してはります。うちのお客はんのことやおへん」
「?!じゃあ、誰の……」

訳が分からないのに、少しずつ紅糸の狂気がセイに忍び寄ってくる。青ざめたセイの頭の中で、何かが違うと警鐘が鳴っていた。こんな時のセイの勘ははずれない。

畳に片手をつくとずいっと拳一つ分、紅糸に近づく。

「誰のお客のことを、誰に話したんですか」

喉が渇く。
セイの勘が告げていた。紅糸は自分の客を殺させたりはしていない。なら誰の客だ。

「紅糸さん。教えてください」
「お教えできまへんなぁ。本当は沖田先生がうちの相手をしてくれはったらお教えするつもりやったけど、沖田先生は逃げてしまわれたし、あとは副長はんにだけどす」
「!」

総司に自分を抱けば教えると迫ったのか。

「そんなこと……」

どうしようもなく腹立たしい気がして、片手で顔を覆ってしまった。
あの鬼副長が紅糸のものになるはずがない。総司を道具のように扱ったことも、何もかもが嫌でしかたがなかった。それは総司が思ったことと全く一緒で、セイは苦いのを通り越して息苦しくなる。
どんな相手のことも、女子であれば、土方という男は同じ人だとは思いもしない。そんな男だというのに。

「そんなことをしたって、あの人は手に入ったりしませんよ!紅糸さんのことを振り返ったりしませんよ!!」
「沖田先生も同じこと言わはった。……けど、沖田先生も神谷はんも何にもわかってへん。相手に振り向いてほしい、うちのことを好いて欲しいなんて身勝手なこと思うんは、まともなわけもない。男と女が惚れるんはその時から狂ってるんどす。こないなこと、もとから正気でできるはずもないわ。そやありまへんか?」

ずき。

セイは今度こそ、自分自身の胸が痛んだ。
好きだと想う気持ちは、その瞬間から狂気に足を踏み入れていると紅糸は言う。それは……、どれほど認めたくなくても本当のことだ。

総司のことを好きだと思えば思うほど、少しでも振り向いてもらえるのが嬉しい。想いが届いていると思うことが嬉しくて、総司が傍にいるだけで胸があたたかくなる。総司がいると思えばこそ頑張れることがどれだけあるだろう。

でも。それもこれも。
一枚、上辺の皮を剥いでしまえば。

躊躇う気持ちはあるにせよ、もしも総司に求められたら。それ一夜限りの夢だったとしてもセイにとってはこの上なく幸福な時であることは間違いない。

それが誰かの命をかけることになったとしても、もし手に入るのなら、その悪魔のような誘惑にセイは、自分が打ち勝てるのかと問われれば、自信などなかった。

「……手に入れたいと思うのは仕方がないと言うんですか。そのためには誰かを、そのためだけに誰かが死ぬことになっても?!」
「あい。どうできれいな体ではおへん。運が良ければ、どこぞの旦那はんに身請けされることもあるかもしれんけど、そうでなければ、この深い沼の底からは這い上がれるわけがあらへん。それなら、生きてるうちに、どうしても夢、叶えてみたいのが、そないにいけまへんか」
「駄目です!そんなの間違ってる!」

紅糸の目には、自分の狂気さえ自覚したうえで、死ぬことも覚悟した女の強い意志が浮かんでいた。お前に何がわかるといわんばかりの目が辛くて、目を逸らしていたセイは、かっとなった勢いのまま、紅糸の頬を張った。

「そんな風に誰かの命を懸けなきゃ、叶わない想いなんて間違ってます!」
「気が済むまでなんぼでも叩いたらよろし。それで神谷はんの気ぃが済むんやったら。せやけど、男と女の事はいくらきれいごと言うてもなにしても変わらへん。神谷はんが目ぇ逸らしても結局、神谷はんも一緒や」
「違う!違う!!私はっ」

総司の傍にいられるだけでいい。そんな生々しいものがなくても、総司がよい家から嫁を貰って、幸せになってくれれば自分はいい。

本気でそう思っているのに、ぱたぱたと涙が流れた。

「……絶対に、一緒なんかじゃ……」
「失礼します。神谷はん、屯所からお使いの方がお見えになってますけど」

追い詰められたセイが、袖口で顔を拭って口を開こうとしたところに部屋の前から女将の声が聞こえた。助かった、と思ったわけではないが、急いで顔を拭ったセイは、襖を開けた。

「はい。屯所からの使いって……。山崎さん!」
「はいはい。神谷はん、ちょとええか?」

にこにこといつもの顔で現れた山崎がちょいちょいっと指先だけを曲げてセイを廊下に呼び出した。
赤くなった目が気まずかったが、とにかく紅糸と同じ部屋にいたくなかったセイは呼ばれるままに廊下に出る。そんなセイの肩に手を置いてぐいっと山崎は部屋の前からセイを引き離した。

「はいはい。そないな顔しなさんな。神谷はんに女の相手は荷が重いやろ。代わるさかい、沖田先生のところに行き」
「……でも、副長に」
「副長にはわてから言うときますよって、心配せんでもええわ」

そんなことはない、大丈夫だ、とは今のセイには言えなかった。
頭を下げたセイの月代をぽんぽんと山崎が軽く叩く。

もう少し、男と女の機微がわかるようであればまだいいが、総司一筋できたセイにはそんなことはまだまだ無理だろう。それを思って、総司との繋ぎを付けた後、監察方の他の者に手配を頼み、急いで駆けつけてきたのだ。

「沖田先生は、屯所の様子を聞き取ってから探索にでていかはりましたわ。この雨の中や。相手も隠れていたら見つかるものもみつからへん。そやから、神谷はんは沖田先生の手伝いに回っとくれやす」

情けをかけてもらっているとは分かっていたが、セイは頷くと、総司がまわりそうな場所を聞き出して店を出た。

―― 沖田先生……

どれほど情けないと思われてもいい。今は総司の顔を見て、いつものよう笑ってほしかった。

―― 不甲斐なくてすみません。武士であると言ったのは私自身なのに、情けなくて申し訳ありません。

セイが駆けつけてきた時よりは、もうすこしだけ雨らしくなった夜の中へセイは傘と提灯を手にして走り出て行った。

 

– 続く –