迷い路 30

〜はじめのお詫び〜
闇月庵、拍手でぽちぽち更新
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翌朝、土方の帰りを待って総司は副長室に待機していたが、セイは普段通りに動き回っている。
朝の慌ただしい空気を感じながら総司は、じっと土方の部屋の中で目を閉じていた。

いくつもの足音の中でも、目を閉じていればより一層聞き分けやすい。

近づいてきたかと思うと、すぐに障子が開いた。

「お帰りなさい。土方さん」
「お前か。その顔だと、失敗したか?」

部屋に入るとすぐ、刀を置いて羽織を脱ぐ。すべきことはきちんと済ませてきた。
総司が顔を上げて土方の顔を見てから手をついて頭を下げると、土方はちらりと総司を見ただけですぐに着替えにかかる。

「らしい者には遭遇しましたが、あと一息で逃しました」
「昨夜の雨だからな。今はこの通り晴れているが……」

昨夜の雨が嘘のように上がって、陽が差していた。土方の声に責める色はなかったが、その分、何かほかの出来事があったように聞こえる。

手を挙げた総司は、土方に向かって型通りに詫びた。

「申し訳ありません。神谷さんまで回していただきましたが、逃がしたのはすべて私の責任です」
「誰も責めてねぇよ。あの雨で、人手もお前と神谷の二人きりだ。どこにいるのかもわからん相手を捕まえている方が驚くぜ」
「土方さんの方は?」

しゅっと音をさせて袴を締めた土方が総司の目の前に腰を下ろした。

「桜香は何も関わり合いがないだろう。一応、念のために女将には気を付けてくれるように頼んでおいたが、問題は紅糸の方だろ」
「結局、どうしたんですか?」
「相手がお前か、俺じゃないと話さないとさ。俺が顔を見せるわけにもいかんからな。店に頼んで閉じ込めてきた」

花街には、妓達を仕置きのために閉じ込める部屋や地下室を用意している店もある。立花屋にも座敷だが、格子のはまった部屋があり、今紅糸はそこに閉じ込められていた。

どうしても紅糸は頼みごとをした相手を言わないらしい。

「……山崎さんは」
「今、まだ立花屋にいる」

残った山崎は紅糸を口説いて何とか口を割らせようとしているらしい。それを匂わせた土方は総司の顔を見ながら腕を組んだ。

「紅糸に頼まれたのは柴田だと思うか」

店に上がらず、妓のもとへも足を向けていない柴田にそんな接点があるとは思いにくいが、島原はほかの遊郭とは違い、誰もが通行できる。妓達も店の若い衆を突けさえすれば、出歩くこともできるだけに、全くあり得ない話ではない。

「どういう繋がりなのかがわかりません。そんな頼まれごとをするほど、紅糸さんと柴田さん知り合いだったようにも見えませんし」
「確かにな。そのあたりは山崎の腕に頼るか。柴田はどうしている?」
「昨夜は外出した様子はありません。今朝はまだ私は会っていませんが、もうじき、神谷さんが様子を見てきてくれるでしょう」

そのあたりは黙っていても動いてくれるという信頼がある。昨夜、順番に風呂を使ってから休んだ総司とセイだが、そんな指示は出していなかった。
ふと、総司は土方から視線を外して口を開く。

「……怖いですね。恋情の発する狂気というものは」
「馬鹿野郎。こんなのは狂気でもなんでもねぇよ」

心底嫌そうに吐き捨てた土方に、しまったと思う。想いを向けられている土方に言うべきではなかった。
自分の中にもある不安に、つい口にしてしまったことを恥じた総司は、頭を下げて一度、副長室から下がっていった。

「あ、沖田先生!」

隊士棟へ向かって歩いていくと、セイが総司の姿を見かけて近づいてくる。

「副長はお戻りのようですね。さぞやご機嫌なのでは?」
「神谷さん」

めっ、と叱るふりをして見せた総司に素早くセイが囁いた。

「十番隊は巡察のため、柴田さんの様子を確かめることはできませんでした」
「わかりました。あなたは指示をするまでは勝手に動かないように」

勝手に、というところが気に障ったようだが、渋々セイは頷いた。

このままではどうしようもない。山崎では紅糸は口を割らないだろうし、土方は何があっても紅糸と会うことはないだろう。

「あの……」
「はい?」
「私に紅糸さんと話をさせていただけませんか?」
「神谷さんが?」

紅糸が土方か総司出なければ話をしないといっていたのはセイも聞いた。そして、一度は逃げ出したものの、総司の顔を見ていたらどうしてもそう言わずにはいられなかったのだ。

ほかの隊士達の目もあるためにこちらへとセイを幹部棟との境へと引っ張っていく。他からは見えない場所に体を寄せてセイは総司に向かって頼み込んだ。

「もう一度、私に話をさせてください。紅糸さんと。副長も沖田先生も話をされないならどうしようもないじゃないですか」
「あなたの手には余ります。無理ですよ。子供のあなたには紅糸さんから話を聞き出すなんてできませんよ」
「そうかもしれません。でも、このままじゃ……」

総司はセイをなるべく関わらせたくはなかったが、どうしようもないこともわかっている。それだけに山崎の力を頼りにしたかった。

「とにかく、あなたの力を借りたいときは、お願いしますから。今はおとなしくしていてください」
「おとなしくなんて!私にもお手伝いをさせてください。このままじゃ」

総司の胸元を掴んだセイは、その先をうっかり口にしそうになって、思い留まる。

―― このままじゃ、先生も取り込まれてしまうから

紅糸の手には渡したくない。たとえ、紅糸から聞き出すためとはいえ、そんな理由で総司が紅糸のもとに行くのは嫌だった。総司の胸元を掴んだセイの手を、総司が掴んでくるりと立っていた場所を入れ替わる。

「沖田先生!」

すうっと総司の目が細く鋭くなる。単なる男と女の色恋ではもうすまなくなっているのだ。片腕をセイの頭のすぐ横についた総司がじり、と息がかかりそうなほどセイに近づく。

「あなたには無理です」

セイの目を覗き込んだ総司は、そう囁くとセイから離れて行った。

 

– 続く –