時を渡る風の記憶

〜はじめの一言〜
2周年記念。明るい話じゃなくてすいませんです。

BGM:
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

ゆらりと立ち上がった総司は、庭先が見えるところまでゆっくりと歩いていく。狭いとはいえ、小さな庭には少しずつ植えられたものが、目を慰めてくれる。

その間に、小さく生えていたねじり花が風に吹かれて揺れていた。

その花を見ると、総司の目が優しくなる。あの頃のセイの姿を思い出させてくれるからだ。

―― 神谷さん

もう飽きるほど後悔を繰り返しても未だに思う。あの時、手を離さなければ。今もあの子はこんなに弱った自分の傍にいてくれただろうか。

総司の手には、いつものように小さな擦り切れかけた匂い袋が握られていた。眠る時もどんな時も、片時も肌身から離さずに持っている。何一つなくなってしまった自分と記憶の中のセイをつなぐ唯一のものだから。

体が重い。

この重い体がなければ、どこにでも風になって飛んで行けるのに。近藤のもとにも、土方のもとにも、そして探して、求めてやまないセイのもとへも。

立っていられなくなった総司は、開いた雨戸の端に掴まってゆっくりと縁側に腰を下ろした。

きし、と床板のきしむ音がして、滅多に人の訪れることのないこの小さな家のさらに小さな部屋へと人が来たことを知らせる。

「そんなところにいたのか」
「今日は気分がいいんです」
「お前ぇ、この前俺が来た時も同じことをいったじゃねぇか」

相も変らぬ江戸弁は、あの頃よりも勢いがなくなったように思う。松本が総司の背後に来て、薬籠を置くと総司の隣に腰を下ろした。

同じように狭い庭を眺める顔には、昔よりも多くの皺が刻まれていた。たった数年だというのに、初めてあったころから比べると驚くほど歳を重ねた気がする。

「様子はどうだ」
「変わりませんよ。よくなるはずがない」

こけた頬には、松本から見ると深い影が落ちていたが、その目は相変わらずだと思う。この目だけはあの頃のままだ。

「薬を飲んで養生してりゃ、病みぬけることもあるのはお前ぇも知ってるはずだ」
「そうですね」

同意しておいて、その答えは全く逆を指している。こんな身になって、回復の見込みもなく誰のもとにもいけない自分の事など、行く末は決まっている。
総司の目には松本が見ているものとは違うものが映っているようだった。

「あいつがいたら、怒ってるぞ」
「あいつ?」

聞き返した総司は、隣に座る松本の顔を見て微笑んだ。

「生きているのか、死んでいるのかもわからないのに」
「馬鹿野郎。生きてるに決まってるだろ」

そういいながらも、松本もとうにセイの事は諦めていた。とても、生き延びていることを望めるような状況ではなかったことは十分にわかっているからだ。

「嘘つきだなあ」

その声には、決して恨み言ではない柔らかさが滲んでいる。

『先生のお傍に!』

あの声が今も耳に残っているというのに。

「ずっと傍にいるって言ったんですけどねぇ。あの人がこんなに嘘つきだとは知りませんでしたよ」

もうずっと、誰も口にしないし、誰も総司にその話をしなかったのに、久しぶりに訪れた松本がそれを口にしたのは、予想以上にやつれた姿を見たからだ。
薬も素直に飲んで言われた通りに養生しているが、それでも決して治りたいと思っているようには見えなかった。

「時々、会いたくて、会いたくて、どうしようもなくなるんですよ。なんでここにいないんだろうってものすごく腹が立ってきていてもたってもいられなくなって。もう、武士でさえいられなくなった私にはそんなことを考えるくらいしかできないんですよねぇ」
「馬鹿なこと言ってるんじゃねぇ。そこまで言うならさっさと直して、近藤や土方達の後を追っていきゃいいじゃねぇか」
「そうなんですけど……。もう私なんか必要とされてない気がしてるんですよ。夕べもね。近藤先生が夢に出てきて、ものすごく幸せだったんですけど、傍に行こうとしたらお前は来るなって言われるんです。ひどいですよねぇ」

松本は相槌も打たずにじっと庭を見つめていた。総司もあえてそこになにか答えを求めてはいないようだった。しばらく黙って、並んだまま庭を眺めていた後で、松本が口を開いた。

「薬、またおいていくからな。ちゃんと養生しろよ」
「ええ。わかっています」

返事だけは優等生だが、診立てらしい事をしなかった松本にもわかっていた。

もうすぐそこまで終わりの足音が聞こえていることを。

「松本法眼」

立ち上がって薬籠を手にした松本を総司が振り返った。

「もう法眼じゃねぇよ」

言い返した松本が身を捻って振り返る。見上げる者と見下ろす者の視線が合わさると、総司はにこりと笑って軽く頭を下げた。

「今までありがとうございました」
「俺は、自分の患者を見離したわけじゃねぇが?」
「ええ。でも言えるうちに言っておこうと思って。後は、もうずっとただ、あの人の事を覚えておけるように、何度も思い出すことだけに時間を費やそうと思ってるんです」
「覚えておけるように?」

仏教には、無欲になれば輪廻の輪に加わると言われているが、総司はその輪を求めていた。生まれ変わっても、どんな姿になっていても、必ず巡り合えるように。

「だから、忙しくていつ言えるかわからないので、今のうちに言っておくんです」

にこやかに笑った総司を見て、松本は何も言わずに部屋を出て行った。
総司が座っている縁側には穏やかな日差しが降り注いでいたが、大分長いこと起き上がっていたので、そろそろ苦しくなってきた。

総司は身を捻って四つに這うと、薬の匂いが染みついた自分の床へとゆっくり這い戻った。

「神谷さんはせっかちだからなぁ……。今頃うんと先に行ってるかもしれませんしね」

必ず、次もその次も。

出会うべき人は出会うのだから。

―― 神谷さん……

横になった総司は胸の内でひっそりと呼びかける。次に生まれ変わった時に、必ず迷わずに出会えるように。

「次に出会ったら、今度こそ言えるといいんですけどねぇ……」

独りつぶやいた総司は横になって目を閉じた。もし生まれ変わっても、必ずセイを見つけて見せると願って。

 

– 終わり –