その願いさえ 4

〜はじめのつぶやき〜
危うく今日も落とすところだったわ。眠気って怖いわね

BGM:Je te veux
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「ちょ、ちょっと待ってください、神谷さん」
「ん?どうしました?」

セイに引き立てられて屯所の中を歩き回る羽目になった新平は、ぐるりと回って屯所を二周したあたりで音を上げた。

新平が困った顔をしていることに気付いているだろうが、にやにや笑うばかりでセイは新平が何かを言い出すのを待っているらしい。
何やらそれを見ていると、穏やかに見えて負けず嫌いでもある新平は首を振った。

「……なんでもありません」
「へーえ?じゃ、行きましょうか」

にやっと笑ったセイがくるりと踵を返して歩き出す。

朝から歩いてきて、屯所までたどり着いて、局長室まで行き、挨拶を済ませた。そこから隊部屋に来て、荷物を片づけた。
ようやく腰を下ろしたと思ったら、そこからこの広々した屯所を二回りである。

一度目は隊部屋から幹部棟に戻り、それぞれの部屋の説明、布団部屋や、客間、幹部棟専用の風呂まで教えられてから、今度は隊部屋を一通りぐるりと回る。そこから賄い、勘定方、小荷駄まで行って、一息つけるのかと思ったら今度は文武館に行って、そこから隊部屋に戻るのかと思ったら今度は庭を一回りである。

「ここの井戸を私たちは使っています。こちら側の隊部屋の者たちがほぼですね。残りは向こう側に」
「……はい」
「おや?どうしました?もうばてました?」
「……いいえ。ご案内いただきありがとうございます」

絶対にここで疲れたなど言いたくなかった。新平にも意地がある。
セイは頷いて、すたすたと歩いていく。その後について、ため息を飲み込んだ新平は歩き出した。

集会所の周りをぐるりと一回りした後、竹矢来の際を歩く。

「ここは鬼の住処と外を隔てるものなんです」

セイはそういいながら小さくて柔らかだった手を格子に組み合わせた竹に添わせる。
ふとその後ろをついて歩いていた新平は足を止めた。

膝のあたりだろうか。子供なら潜り抜けられるくらい、組んだ格子の紐が切れている。足元にかがみこんだ新平は懐に手を入れた。

手拭いを取り出してその端に歯をあてる。きっかけを作れば薄い手拭いは耳障りな音をさせて裂けていく。縦長に裂いた手拭いをより合わせて半分の長さにすると、長さは短くなるが強度は増す。

押しのけられていた竹を引っ張って、元の位置に戻した新平は裂いた手拭いできつく縛った。

「郷原さん?……ああ。穴あいてましたか」
「鬼の住処に穴があってはまずいでしょう。こんなものしかありませんでしたがそれほど弱くはないと思います」
「……郷原さんは、どうして新選組に入ったんですか?」

話したくなかったらいいですよ、と付け加えたセイに、郷原は立ち上がった。

「脱藩した身ですが、新選組は自分にとって憧れだったのです」
「なんだかわかる気がします。私もそうでした」

すっと手を伸ばしたセイが新平の袴に手を伸ばした。何を、と自分の足元に目を落とした時には膝頭のあたりについていた枯草を小さな手が払いのけていた。

「いきましょうか」
「はい……!」

にこりと笑ったセイを見て、なんとはなしにどぎまぎしてしまう。日が暮れ始めたなかでほんのりと夕日に頬を染めたセイの顔が妙に新平を慌てさせた。

* * *

隊部屋に戻ったところで新平を置いてセイは姿を消した。
どこに行ったのだろうと思ったが、くたびれた足腰には一休みが欲しかった。

「あ!あなたが郷原さんですね」

隊部屋の前の廊下に姿を見せたその人は、確かに見かけたばかりだった総司である。慌てて伸ばしていた足を直して座りなおした新平は畳に手をついた。

「郷原新平です。どうぞよろしくお願いいたします」
「はい。この一番隊組長の沖田です。今日から仲間ですね。よろしくお願いします」

新平の前に腰を下ろした総司はにこにこと笑顔をむけていて、とても鬼の沖田とは思えなかった。

「郷原さんは自分より二つ下ですかね。ついてすぐに神谷さんに連れまわされてお疲れでしょう」
「沖田先生!連れまわしたはないでしょう」
「ははっ!神谷さんのことだから屯所を一回りも二回りもしたんじゃないですか?」

ひょいっと姿を見せたセイはお盆に大ぶりの湯飲みを乗せていた。総司のそばに腰を下ろして、その目の前に湯飲みを置く。

「あ!甘酒じゃないですか」

やった、と手を伸ばす総司に満足そうな顔のセイは新平の目の前にも湯飲みを置いた。

「郷原さんもどうぞ」
「えっ……」
「さんざん連れまわしましたからね。本当はお疲れだったでしょう?」

心得ております、とばかりに差し出された湯飲みに新平の目は総司とセイを行き来する。さすがに疲れていることを隠しきれたとは思っていないが、まったく予想外すぎた。

「郷原さん、どうぞ。神谷さんのせめてものお詫びですよ」
「お詫びって……」
「この人、郷原さんの様子を見たかったんですよ。一番隊に馴染んでくれるのかどうかって」

熱い甘酒をすすりながらそう呟く総司にセイは、自分の湯飲みを両手で包み込んだ。すました顔をしているが、少しだけ総司のほうを見ないようにしているのは言い当てられたからかもしれない。

「それでは私は、認めていただけたんでしょうか?」
「それはもう。だって、こうして神谷さんがわざわざ甘酒を運んでくるくらいですからね」

負けず嫌いで頑固。
ここに来るために、穏やかで人当たりもよさそうな風を装えるように二月も修行してきた。新平は、その自負を持っており、総司は自信満々に頷く。

新平はこの組長もどうやら隊のあちこちに顔が広いらしいセイという変わった二人の顔を交互に眺めた。