その願いさえ 5

〜はじめのつぶやき〜
ぢみに書いているので読んでくださる方も少ないだろうなと思いつつもぽちぽちかいているという。

BGM:Je te veux
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武士たるもの。
起床の太鼓が鳴る前に目を覚ました新平は、床に入っても緊張感が抜けないまま起き上がった。

新入隊士としては一番先に起きて、身支度をととのえるべき、と片手をついて立ち上がりかけた新平は一番端の布団がもう畳まれていることに動きを止めた。

―― え……?古参の隊士なのに?

年若いからということでもないと昨夜のうちに隊のみんなから聞かされていた。特にセイは古参ということだけではなく、局長や副長の覚えもめでたいとくれば、一目も二目もおかれている。そのセイなら組長と並んで休んでいるだけに、まさか一番乗りで起き出しているとは思ってもいなかった。

我に返って布団を静かに畳むと、懐に手拭いを入れて静かに隊部屋を出る。

まだ肌寒いが空は晴れていて、余計にその寒さに身が引き締まった。

庭下駄には慣れていないために、躓きそうになりながら案内された井戸にむかって、冷たい水で顔を洗う。一緒に口をすすいでから手拭いを洗った。

固く絞って首筋をぬぐうと髪を整える。

足早に隊部屋に戻った新平は、ほかの隊士たちを起こさないように身支度を整えた。
再び廊下に出ると、幹部棟へと足を向ける。その間に、気を使ってみるが、どうしても床が鳴ってしまう。

―― 昨日、神谷さんはどうやって……

幹部棟の様子を伺うにはこれは不向きだ。どうにか、床板が鳴らないコツをどこかで掴まなければならない。そのためにも、新人らしく廊下の端から雑巾を手にした。

一息に走るのではなく、膝をついて床の上を磨くように拭いていく。

屯所として使われているが、もともとここは西本願寺の一角である。廊下は広く一間ほどだろうか。床板も見事に幅広の木材が使われていて、なかなか腕のいい職人の仕事にみえた。

セイに引き連れられて屯所を外側から回ったときに、床下はかなり広く高さもそれなりにあるように思える。だが、だからこそ、忍び込んで聞き耳を立てられるような隙はそれほど無いだろう。

局長室の前から副長室、そして角に差し掛かったとことで、床に置いていた桶が目の前で取り換えられた。

欄干の隙間から伸びてきた手にのぞき込むと、セイが当たり前のように汚れた水を抱えて去っていくところだ。

「神谷さん」
「おはようございます。郷原さん、急ぎましょう。もうすぐ起床の太鼓が」

庭を歩いていきすがら、セイがそう言い置いて去っていく。

「あっ!はい」

慌てて汚れた雑巾をゆすいで残りの床を拭き上げる。廊下の端までたどり着くと、今度は自力で後始末を終えた。

まだ障子の閉まったままの幹部棟を振り返る。

幹部棟と隊部屋のある棟とをつなぐ場所には客間と布団部屋が続き、局長室、副長室のすぐそばに誰かが寝起きする部屋を置かないよう、配慮されていた。

昨日に引き続いて、幹部棟のおおよその造りと配置を頭に入れた新平は、しばらくこの朝の掃除をすることで幹部棟に出入りしても疑われない状況を作り出すつもりでいる。

隊部屋に戻ると、ほかの隊士たちが起き出して、身支度を始めているところだった。

「お。新人、早いな!」
「おはようございます」
「郷原さん!こちらへ」

声をかけてきた相田に挨拶をしているところをセイが呼ぶ。会釈をしてセイのそばに向かうと、朝餉の支度をするのだというので、賄いに向かうのかと思っていると、なぜか部屋の隅に向かった。

「火鉢の火をおこしてもらえますか。私は賄いから汁物を運んできますから」
「は、承知しました」

布団を上げた隊部屋の障子をすべて開け放ち、空気を入れ替えている間に隊士たちが手早く部屋の中を掃き清める。セイの手際のよい采配で、総司が部屋に戻ってくるまでの間にすっかりと整えられていく。その有様に思わず感心してしまった。

「はぁ……。神谷さんはすごいですね」
「ははっ!新人、さっそく神谷に目をつけるのはわかるが、不用意に手を出したらわかってるだろうな?」
「と、言いますと」
「あれは池田屋の阿修羅だぞ?あの姿に騙されて調子に乗ると痛い目見るぜ」

山口と相田に両脇から畳みかけられた新平は、おや、と驚いて見せる。
伍長という立場からしても二人もそれなりの様子にみえたが、その二人さえ一目を置くのかと思うと興味がわく。

「新人にゃ、まだわかんねぇだろうけどな。神谷は特別なんだよ」
「そうそう。面倒見はいいけどほだされるなよ?俺たちのが先に神谷に惚れてんだ」

半分冗談で半分本気。
そんな二人の言い様になんとも言えない顔で新平は曖昧に頷いた。新平にその道の趣味はないが、武士の中にはどちらも、という者もいなくはない。もちろん、家のために跡継ぎを残すことが大事ということに変わりはないが。

そうこうしている間に各々が賄いに足を運び、膳を運んできた。急いで自分の分もと思っていると、セイが三つほど膳を抱えて戻ってくる。

「郷原さん。沖田先生のお膳をお願いします」
「はい」

受け取って一番上の膳を持ち上げた新平はその下の膳と中身が変わらないことで、あっと思い、もう一つを抱え上げてまた驚く。三つの膳の上はすべて同じだったからだ。

「上からで構いませんよ。どれも同じですから」
「そう……なんですか」
「ええ。局長や副長のお膳も基本は一緒です。特別なことがなければ我々は同士ですから」

武家であるなら上の者と下の者が共に膳に向うことも、膳に並ぶものが変わらないことも、普通ならあり得ないことだ。
だが、隊の仕組みと言われれば、なるほどと素直に膳を並べるだけだ。ほかの隊士たちと同じ並びで総司とセイの分を並べてから、もう一つは自分の分だったのかと一番端に並べる。

その間にセイは皆に飯をよそい、汁物の準備も済ませていた。

なんとも手際が良く、段取りもいいのだろうと思ってしまう。
普通ならこの手の仕事は小者か、女子がいれば女子がする。下っ端だからといって、武士がここまでするというのは、せいぜい町道場くらいのもので新平も久しくやっていなかった。

「さ。郷原さんもどうぞ。気にせずお座りください」
「そうですよ。神谷さんの仕事を手伝うなんてまだまだですからね」
「沖田先生。その言い方はちょっと……」
「ははっ。神谷さんにかなう人はない、ということですよ。さあ、皆さん。いただきましょう」

そんな問答の間にセイもさっさと総司の隣に腰を下ろしている。慌てて、腰を下ろした新平をまって、皆が一斉に膳に手を伸ばした。