湯気の向こうに 4

〜はじめのひとこと〜
あ~あ。(苦笑

BGM:
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「失礼しますっ」
「う、はいっ」

総司の背後に回ったセイは、手桶に湯を汲んで、自分の手拭で総司の背中を流し始めた。
総司にしてみれば、頼むから勘弁してくれと言いたいところだったが、それはそれで言いづらい。あとはするに任せるしかないのだ。

湯気の向こうに3

かたやセイは、自分は総司の背後にいるわけだし、総司の背中であれば普段から見慣れている。落ち着きを取り戻したところで、単純なセイは目の前のことに没頭してしまう。

「いかがですか?沖田先生」
「は、はいっ」
「よかったぁ」

肩から腕にかけてぐいっと腕を伸ばして、手拭を滑らせるセイは、夢中になっていて気が付いていないが、時々、セイの胸が総司の肩や腕に触れる。
柔らかな感触に、総司が音をあげた。

「ありがとうございます。あの、もう充分ですから」
「そうですかぁ?」

風呂桶の方へ向いて手桶へ手を伸ばした総司と、手拭を置いて総司と同じ手桶にセイがかがみこんだ。

「……!!か、神谷さん!!」
「え……?」

急に口元を押さえた総司が慌てて顔を逸らした。あまりに急な総司の行動についていけず、セイはぽかんと口を開けた。

「さ、さらしっ!!ほどけてますよっ!!」
「……は?」

かがみこんだ姿勢から、上半身を起こしたセイはゆっくりと自分の体へ視線を落とした。きっちり巻いていたさらしが、濡れて、さらに湯につかったところで身をよじったりしていたので、すっかり緩んでしまったさらしがたるんでしまい、腹のあたりまで全部がずり下がっていた。

ふるん、と両のふくらみが揺れる。

「あっ。いやぁ……!!」

セイが両腕で胸を隠してしゃがみかけた瞬間、総司はここへと近づいてくる足音を聞き取った。ばっと振り返り左腕でセイの胸を隠すように抱え上げると、右手でセイの口を押えて湯殿の壁に自分の体で隠すように押し付けた。

がらりと脱衣所の戸を開けた音がする。

「沖田先生、神谷さん。こちらの着物持っていきますよー」
「すみません。お願いします」

腕の中で小刻みに震える体を抱えたまま、平静を装って総司が声を張り上げた。がさがさと濡れた着物が入った籠を抱え上げた小物が脱衣所を出ていく。戸が閉まった音がしてから、ほうっと総司はため息をついた。

「……手を離しますけど、騒がないでくださいね?」

こく、と頷くセイに、それから、と言葉を続けた。

「私は先に出ますから、貴女はゆっくり温まっていらっしゃい。さすがに誰かが入ってきたら困りますから脱衣所にいますけど、こちらには背をむけていますから」

目だけが総司の横顔を見て、総司が口元を押さえている頭がふるふると横に揺れた。セイの方を見ないように顔を背けた総司の声が一段と低くなった。

「駄目じゃありません。いうことを聞きなさい。いいですね?」

セイの返事を待たずに、ゆっくりと腕と手をセイから離すと、総司はセイに背を向けて湯船に向き直り、手桶で頭から湯をかぶった。手拭を腰に巻いて、一度も振り返らずに湯殿を出て行く。
その後ろで、両腕で体を隠したセイは身動きできずにじっとしていた。

ぴしゃりと湯殿の戸が閉められると深い深いため息をついた。

総司にこんな姿を見られたことも、素肌を抱えられたことも恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がない。まだ収まらない動悸を抱えて、這うように湯船に近づいた。

手桶で湯をかぶり、元結を解いた髪を湯で洗い流す。さらしをほどいて、濡れた下帯も外した。湯殿を出てから結局、乾いたものへ取り替えなければならないからだ。風呂桶の陰でそれらを洗うと、ぎゅっと絞る。

―― どうしよう……

まずは手拭で体を隠して、脱衣所に行き、とにかく長着を羽織る。

そう決めてさらしも下帯も外して洗ったはずなのに、どうしても湯殿をでていく勇気が出ない。先ほどのように不可抗力とはいえ、うっかりとこれ以上肌をさらすのは憚られる。逡巡する心が迷いを生んで、身動きができない。

こんこん、と戸をたたく音がした。

はっとセイが湯船の陰に隠れると少しだけ湯殿の戸が開いた。

「……着替えです。こちらでは着換えにくいでしょう?」

竹籠を二重に重ねて濡れないようにしたものがぎりぎり扉の隙間から差し入れられてきた。セイの目から上だけが湯船の陰から覗いている。

「そこで着換えてから出ていらっしゃい」

湯殿へと籠が押し出されると、戸が閉まった。ゆっくりと湯船の陰から顔を出したセイは手拭で前を隠しながらひたひたと歩いて、戸に手を当てて小さな声で囁いた。

「……ありがとうございます。沖田先生」
「……いいえ」

戸の向こう側から声が返ってくる。セイが手を当てた戸の向こう側に、セイが予想した通り、戸に寄り掛かるように総司が立っていた。

一枚の戸を隔てて、総司の背中にセイの手が添えられる。この一枚の引き戸がなければ。

こつん、とセイが額を戸に押し付けると、微かに振動が伝わった。
思い切ると、セイは籠を戸口から引っ張って、湯殿の隅へと移動した。濡れた手拭を置いて、乾いた手拭を籠から手にすると体を拭いて、髪に巻いた。
新しいさらしを取り出して胸の上から丁寧に巻いていく。湯気が少ないのが今度は救いになる。

下帯をしめて、長着を羽織るとさすがに汗ばんでくるが、仕方がないと、帯を締めたセイは、濡れた手拭に下帯とさらしをくるむと、籠を持って脱衣所の引き戸を開けた。

「お待たせしてすみません」

着替えを湯殿に差し入れたというのに、約束通り、総司は湯殿に背を向けて壁際に置かれた床几の上に座っていた。
重なった籠をばらして壁の棚の上に戻すと、総司のそばに近づいてセイは頭を下げた。
ぱさっと頭の上に乾いた手拭が乗せられる。

「きちんと拭いた方がいいですよ」

ポツリとそういうと、セイが顔を上げるより先に総司は脱衣所の戸をあけて、廊下へと出て行った。

 

– 続き –