湯気の向こうに 5

〜はじめのひとこと〜
あ~あ。(苦笑

BGM:
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セイが顔を上げたときには、すでに総司の姿はなくて、脱衣所の引き戸だけが開けられたままだった。

頭の上にかけられた手拭で髪を拭きながら、セイも脱衣所を出ると、とぼとぼと隊士棟の方へ向かい、中庭に降りて洗い物を物干しにかけた。そこにはすでに、総司とセイの分の汚れた着物が洗って干されている。

隊部屋へとセイが戻ると、そこに総司の姿はなくて、ほかの隊士達もただお帰りと声をかけるだけだ。

「あれ……沖田先生は?」
「あ?さっき戻ってきて、すぐに出て行ったぞ?」
「あ、そう……ですか」

行李の中から袴と羽織の替えを取り出して、セイは部屋の隅でごそごそと着替えを済ませた。腰に脇差を差すと、櫛と元結を手に廊下に出る。
濡れ縁の端で髪を直していると、遠くから荒々しい足音が聞こえた。まるで床の上に嫌いな人物の顔でも描かれているかのような、足音が近づいてきて、皆が何事かと振り返っていると足音の主は珍しいことに斉藤だった。

「あ、斉藤先生。どうされました?」

三番隊の隊部屋の前で伍長が声をかけたのも気づかずにまっすぐに斉藤はセイの元へと向かった。器用に自分の髪を結い上げていたセイは、元結を口にはさんで振り返った。

「ふぁに上」
「神谷。沖田さんと風呂に入ったというのは本当か」
「ふぁ?!」

一瞬で真っ赤になったセイの顔をみて、一段と低くなった斉藤の声が顔の間近で聞こえた。

「本当なんだな?」
「……あ、あの、雨に降られてその、何度も湯を沸かしていただくのもご迷惑ですし、それで」
「もういい。あとで話がある」

皆の注目の中あっさりと斉藤はセイから離れて行った。口にくわえていた元結を落として、必死で説明を試みたセイは、困った顔で周囲の隊士達に助けを求める視線を投げた。
その光景を見ていた隊士達が、何事もなかったかのように目をそらして動き始めるのを見て、セイは深い深いため息をついた。

膝の上に落ちた元結を拾って、髪を整えたセイは、もう一本の元結と櫛を懐に入れて総司の姿を探し始めた。

もうそろそろ夕方になろうという時刻で、賄い処はあわただしく夕餉の支度に追われているし、近藤の私室は誰もいなかった。隣の副長室は、廊下の障子が開け放ってあり、廊下をうろうろしているセイに向かって土方の方から声をかけてきた。

「なんだ、神谷」
「あ、はい。沖田先生を探しておりまして……。先ほど、湯に入られていたので元結をお持ちしたんですがどこにも姿が見えなくて……」
「なんだ。そんなことか。あいつもガキじゃあるまいし。元結くらいなんとでもするだろ。お前は、夕餉の支度でもしておけ」

構わなくても大丈夫だといわれて、セイは、懐の元結を着物の上からそっと押さえると頭を下げて隊士棟の方へと戻って行った。

セイの足音が離れていくと、土方が文机から顔も上げずに口を開いた。

「のぼせるような風呂だったのか?」

揶揄というよりは、言外に『衆道だったらぶっ殺すぞ!!』という凄みを含んだ声にしばらくしてからがた、と押し入れの襖が開いた。

「そんなんじゃありません」
「じゃあ、なんで手前ぇは神谷から逃げてそんなところに隠れてんだ」
「神谷さんから隠れてるんじゃありませんよ」
「じゃあなんなんだ」

じろっと土方が押し入れの方へと顔を向けた。
濡れた頭を抱えた総司は、下を向いたまま押し入れから這い出した。
決して逃げ隠れしているわけではない。ただ、セイにはかわいそうなことをしたと思っているだけだ。あんな状況で一緒に風呂に入って、平静でいられなかった自分のせいで恥をかかせて、怯えさせた。

かわいそうなことをしてしまったと思う反面、どこかで押さえきれない感情があることを、仕方のないことだと思う自分もいる。高ぶってしまった自身を押さえつけて、脱衣所でセイが出てくるまでの間。

自分自身が情けなくて、それでもその場から動くこともできず、もって行き場のない感情を抱えていながら、背後のセイの気配に全身が向いていた。産毛の一筋までもセイの気配を感じ取ろうとしている自分が、浅ましくて。

「悪いことしたなぁと思っただけです」
「ほう。それだけで逃げ隠れするのか」
「どうやら沖田さんは、私から逃げているようですな」

土方の声に重なって、もう一つの声が聞こえた。土方が声のした方へと顔を向けると、廊下に斉藤が表れていた。ちっと舌打ちをした土方は、はーっとため息というより怒りをぶちまけた。

「斉藤。俺に用があるならもっとこっそり来い。俺じゃない用なら気配を消してくんな」
「申し訳ありません。ただ、興味深い会話を遮るのも無粋かと思いまして」

斉藤の言葉に、心底不気味になって土方が怯んだ。その嫌味満点の言いっぷりといい、総司の態度といいどう考えても衆道の痴話喧嘩にしか思えない。

「お、お前ら……」
「沖田さん。後で話がある」

異様な雰囲気の斉藤にうっとおしそうに髪をかき上げた総司が、憮然として答える。

「いいですよ」
「では、夕餉の後にでも」
「わかりました」

二人だけの会話が続いて、どうやら互いに不機嫌を漂わせた雰囲気に土方が割って入った。

「お前ら本当に衆道じゃねぇんだろうな!?間違っても痴話喧嘩なんかしてみろ……」

ぶるっと鳥肌が立った体に腕を回しながら必死の形相で土方が二人をにらみつけた。

「許さんからな!!何があっても絶対だ!!いいか、斉藤!お前もだ」
「もちろんわかっております」

涼しい顔で答える斉藤に、ますます不気味なものを感じて土方は両の耳をふさいだ。

「やめろっ!!俺はこれ以上聞きたくないぞ!!お前らやるならどっかよそに行ってやれ!!」
「用件はもう済みました。お話の腰を折ってしまい大変ご無礼いたしました」

頭を下げて斉藤が去っていくと、残った総司も先ほどの情けない顔とは比べ物にならないくらいの不機嫌そうな顔になっている。土方は見なかったことにして再び文机に向かって頭を抱えた。

「やめろよ!総司、俺はお前を信じてるからな!!」
「心配無用ですよ」

畳の上に胡坐をかいた総司は、懐から櫛と元結を取り出してこちらも器用にバサッと髪を結い上げた。

「なんだお前、持ってたのか」
「ええ」
「じゃあ、神谷に……。いや、いい。さっさと行け」
「わかりました」

懐に櫛をしまうと総司は隊部屋へと戻って行った。

 

 

– 続き –