縁の下の隠し事 10

〜はじめのつぶやき〜
何だろう、このくそ甘ったるい会話・・・・・

BGM:
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不愉快な視線に、むっとしたセイは、続けてぴしゃりと男をはねつけた。

「もちろん、名乗らずとも結構ですけど」

本当はそのまま背を向けて立ち去りたかったが、目の前の男の不気味さにセイはじりじりと後ずさった。ある程度離れてからでなければ、危険な気がしたのだ。

剣士であれば、刀を抜いている相手がいるのに背を向けるようなものである。

「気の強いところも、その並ではない姿かたちもよいのぅ」

内心で、セイは舌打ちしたい気分になる。ごくたまにこういう相手に遭遇するが、初めはセイの腕を知れば即座に離れていくような武士が多い。さらにそれでもしつこいような、腕を自慢にした相手には、さりげなくセイが何者なのかを伝えればほとんどが近寄らなくなる。

「どなたか存じませんが……」

いい加減にしてほしい。

そう伝えかけたセイは、くわっと目を見開いた相手の気ががらりと変わったのをみて、自分の目の色を押さえるので精一杯になった。
急に目の前に大きく迫ってくるような感覚は、清三郎だった時にもたまに経験することがあった。強い相手であればこそ、日頃は目の色を消し、飄々としていてもいざ、気が変われば傍にいるだけでも斬れそうな位になる。

総司や、組長以上の者たちのように。

「気に入った!うむ、これはよい」

その物言いが、まるで新しい玩具を見つけたかのような言い草で、ますます不快になったセイは、何も言わず相手を睨みつけたまま、曲がり角の傍まで後ずさり、そこから身を翻した。

この辺りは巡察でよく回ったところでもあり、ほとんどの家の裏の裏まで知っている。角を曲がってすぐに今度は町屋の裏手に身を潜めて様子を見る。後を追ってくるような気配はないが、手練れの者なら気配を隠すこともできる。

しばらく同じ場所に隠れてから、慎重に遠回りして家に帰りついた。

「あれ?」
「総司様」

ちょうど帰ってきた総司と家の前の路地で顔を合わせることになった。そんな時間でもあるまいと思って驚いたセイに、総司が笑った。

「午後から非番になったんですよ。明日の夜には屯所に戻りますけど、神谷さんも休みだし、どうせならって」
「あ、あ。そうなんですね!やだ、まだお昼の支度もしてないんです。急いで作りますね」
「気にしなくていいですよ。ほら」

屯所で持たされたのだという、重箱を見せられて、ほっと安心した。これから飯を炊いて支度をするのでは大分、総司を待たせてしまうと思ったのだ。

「さ、家に入りましょう。何も家の前で夫婦が立ち話してなくてもいいでしょうから」
「そうですね。あ、ちょうどお菓子を買いに行ってたんです。総司様のお好きな練りきりと饅頭」

それを聞いただけで総司の顔がぱぁっと輝いた。セイの肩に手を添えるとすぐに家の中へと入っていった。

 

 

昼餉を食べた後、一休みしてからまずは落雁に手を出した総司に熱い茶を入れて、セイは残っていた土方の書類を終わらせてしまった。

「そんなに頑張って土方さんの仕事なんかしなくてもいいのにー」

珍しく駄々っ子のようなことを言い出した総司に、詫びたセイは、仕事を片付けてしまうと総司の傍に座って繕いものを始めた。それを隣に横になった総司が微笑を浮かべて眺めている。

「もう……。本当に貴女は働き者ですねぇ。何もしないでぼーっとしてればいいのに」
「そんなこと……。あんまりしたことがないですし、落ち着かないですよ」
「一人だったらそうかもしれませんけど」

途中で言葉を切った総司が腹ばいになって、セイの手から針と繕いものを取り上げると、危なくないように避けておいてセイを引っ張った。自分の腕を枕にして、横になった自分の隣にセイを引き寄せる。

「二人だったらぼーっと話をしているのだっていいものですよ」
「……そうですね」

こんなだらしない姿なんて、清三郎ならうっかり昼寝をしてしまうことがあっても今のせいにはなかなかない。困った人だと思いながら、セイも苦笑いを浮かべて付き合うことにした。

「こうして日も高いのに、のんびりしてられるっていいですねぇ。もう屯所じゃ神谷さんがいないから、あちこちでてんやわんやでしたよ」

ここ数日の屯所の出来事をぽつぽつと話し始めたのは総司にしても珍しい。家にいたセイが気にしているだろうと思ったからだ。

「そうなんですか?だって、ちゃんとどこだって書置き残してあるのに」

ぷっと頬を膨らませかけたセイの鼻先をつん、と指先でつつく。

「お馬鹿さんですねえ。たった数日でもみんな貴女がいなくて寂しいんですよ。だから、どうすればいいかは知っていても神谷さんがいないと大変だって騒ぐんですよ」

目を瞬いたセイに、愛されてますねぇと続ける。自分はこうして、家に帰ればセイがいるが、皆からすればここ数日は総司に対してもあたりがきつくなる。そろそろ毎月の事だけに慣れてはきたが、セイの人気ぶりには複雑な気がするのだった。

「私、そんなに皆さんにご迷惑かけてましたっけ」

そんな複雑な心中を全く知りもしないのは、野暮天の健在ということで、ぐいっとさらにセイを引き寄せた総司が笑いながら額に口づけた。

「そうですねぇ。皆さん、うらやましくて仕方がないんですよ」
「うらやましい?何がですか?」
「教えてあげません」

自分がどれだけ皆の視線を集めているか、まったく気づくことないセイにすり寄っていると、ここしばらくの懸案もすべてどうでもいい気がしてくる。

「何でですか。教えてください」
「駄目」
「先生?!」

家では極力呼ばないことになっている、先生という呼び方に、総司はセイの耳朶に軽く歯を立てて噛みついた。

「いたっ」
「先生って呼ばないでくださいって言ってたのに」
「だって、先生が意地悪して教えてくれないから」

二度目の先生に、今度は耳の後ろをぺろりと舐めてから、耳朶を食んで舌先でくすぐった。

「……っ!」

身を引いて逃げようとしたセイを回した腕が許さなかった。

「そういうことを言ってると、本当に意地悪しますよ?」

どうしよう。

飛び出しそうな位、跳ね上がった鼓動にセイは頭の中が真っ白になってひとつの事しか考えられなかった。

―― どうしよう!

 

– 続く –