縁の下の隠し事 12

〜はじめのつぶやき〜
戻りますよ、まだね。今日はね。

BGM:
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「ま、気にしても仕方ありませんね」

総司はセイに向かって苦笑いを浮かべてそういった。素直にセイが頷いて、徐々に落ち着きを取り戻したのは、結局、聞かれたくない事柄以外は、屯所で 一緒に過ごしていた時を思い出すからだ。常に誰かが傍にいてなお、二人でいることを体験していれば、夫婦として普段の生活もあまり変わりのない二人の事だ けに、すぐにいつもの会話に戻っていった。

「土方さんの仕事って今、忙しいんでしたっけ?」
「いえ、副長がお忙しいんじゃないんです。ちょうど季節の変わり目で幕府方の偉い方々が何名か変わられるらしいんです」
「それは……、土方さんが機嫌が悪くなりそうだなぁ」

日頃から幕閣の方々のことなど、言いたい放題の土方である。近藤のためにはいくらでも泥水を飲む男ではあるが、そのための苦労も計り知れない。

微笑を浮かべたセイが頷いた。

「この時期は仕方がないです。でも、毎年とはいえ、大変そうなのは大変なので、今年は義父にお願いして、少しだけ手を貸していただいてます」
「義父上にですか?」
「ええ。と言っても直接何かをしていただくわけではなくて、たとえば、変わられたばかりの新任のお役につかれた方のお好みや、いろいろですね。そんなものを事前に調べておいたので、いくらかはお役に立てていると思います」

いつのまにやらではあるが、薬を整えるついでであったり、文使いのついでにセイは外出もする。松本の所へも顔を出すセイが、その手の細やかな配慮をしているならあの男も少しは苦労の種が減っているのではないだろうか。
その挙句に、この始末ではちょっとどころか割に合わないとは思うのだが。

なんだかんだと茶を飲みながら話をしていたセイは、少し早めに夕餉にしましょう、と言われてまだ明るいうちだが、台所に立った。

「今日は私も手伝いますよ」
「そんな、お休みになっていてください。総司様に手伝っていただくなんて申し訳ないです」
「いいんですよ。これでも壬生時代までは賄当番では右に出るものがいなかったんですからね」

ふん、と自信満々に威張られてもセイも困る。あんな食べられるかどうかよくわからないようなそのあたりの雑草まで粥の具にしていた時代の飯を自慢に 張り合われるのは納得がいかない。セイが入ってから格段に隊の食事は改善されたと思うのだが、それを忘れたかのような総司の言い方にセイがかちん、と負け ず嫌いにも言い返し、夕餉の膳が出来上がるころにはどちらがよりうまい飯を用意できるかの論争になりはてていた。

 

夕餉が終わると、総司はいつもならセイよりも先に休むのだが、今夜は違っていた。

「少しやることがあるので、先におやすみなさい」
「わかりました。それではお先に休ませていただきます」

そういって、先に寝間に下がっていったセイが寝静まるのを待ってから総司は庭の方の雨戸をあけた。縁側に重箱を持ってきて、ことん、と置くと床を小さく叩いた。

「山崎さん」

こん。

ふっと笑った総司は縁側から頭を下に向けてくるりと落とすと、声をかけた。

「ちょっとでてきませんか?神谷さんはもう休みましたから」

そういうと、しばらくしてから総司の背後の畳が動いた。床板の下から畳を持ち上げた山崎が手を覗かせてきたので、総司が手伝って、畳を持ち上げてやった。そうすると、床板の一部が外れて、身軽に山崎が畳の上に飛び上がってくる。

「まさか堂々と縁の下から顔を出すわけにもいきまへん。誰ぞに見られでもしたらえらいことですわ」
「山崎さんのほかにも家を見張るような人がいるとでもいうんですか?」
「今日はまだでてまへんけどなぁ」

声を潜めた山崎はそうっと床板と畳を戻した。その間に、総司は縁側まで持って行った重箱をとってきて、雨戸を閉める。
ぐい飲みを二つほど持ってきた総司がなみなみと酒を注ぐと、山崎に差し出した。

「これ、神谷さんと一緒に作ったんですよ。腹が空いてますよね」

―― 遠慮なく食べてください

箸を添えて差し出された重箱をあけると、夕方からにぎやかなやり取りとともにあれこれと作っていた品々が並んでいた。

「ははぁ。これですか。えらい賑やかにしてはったのは」
「だって、神谷さんてば自分のほうがうまいって言ってきかないんですもん」
「そんなもん、嫁はんの顔たててやりなさいな。あほらし」

新婚の二人の会話は、もう他愛無いことこの上なく、屯所時代に輪がかかっていて、聞いている方はさぞやたまらなかっただろう。
山崎を選んだのは確かに正解だったようだ。

「いいえ。やはりここは夫として、威厳をみせませんとね」
「飯のうまいへたで、威厳なんかきまりますかいな。……とはいえ、呼ばれてこれをいただくってことは、やはりお話しなければならんですか」

苦笑いを浮かべた山崎は、ぐい飲みを口に運ぶと、酒の香を嗅いでふ、と微笑んだ。
この酒は、まだ蔵元から出ていない新酒で、こんな真似をする羽目になった詫びにと先日セイにわかるように差し入れておいたものだ。さっさと総司に飲ませていればよかっただろうに、全く減った気配のない大白鳥をみて、この夫婦らしい、と思ってしまう。

深く息を吸い込んで、ぐいっと一口で酒をあおると、もう一杯、と手振りで示した。舐めるように様子を見ていた総司が、再びなみなみと注ぐ。

「これ、うまい酒でしょう」
「そうですね。あまり酒の味がわからない私にもうまいと思えますよ」
「やっぱり、こういうのが素直にうまいといわはる人に飲んでほしいもんですわ」

満足そうにつぶやくと、胡坐をかいた膝にぐい飲みを持つ腕を乗せた。

「今、監察の方では、幾人か目星をつけてあたっているところがあるんですが、その中に一人、ひどく腕の立つ男がいるんですわ」

そこから山崎の話は始まった。菊池又左衛門という男について、どういう男で土方が、どう判断したのか。

「今までにも、所司代に一度、町方にも捕まりかけたことがあるらしいんですけど、どちらも誰からともなく手が回って無罪放免ですわ。今度はそんなわけにいきまへん」

この新撰組が目を付けたのだから。

そう言いたげな山崎は、菊池を罠にはめることになったのだと言った。

「だからって、なんで神谷さんが……。山崎さん?」

まさか、という顔で山崎をにらんだ総司に、ここまでくれば開き直りとしか言いようがない。重箱の中の品をぱくぱくと口に運んでにんまりと笑った。

「菊池は、たちの悪い男なんですわ。これまでの所業からしても、神谷さんはうってつけということでして」

武家の妻女で気が強く、しかもその連れ合いは、浪士連中なら鼻を明かしてやりたい、いの一番に名前が上がりそうな総司である。

ここでセイを無理矢理にでもモノにしてしまえば、総司の男としての面子も丸つぶれである。

「こんな仕掛けはちょっとどうかと思いましたけどな。ほかの誰でも、女子が危険な目にあうかもしれないわけで、それに連れ合いと言っても仕込みのために夫婦役やらすわけにもいきまへん」

―― よく言いますねぇ

内心では、半分呆れながら総司は聞いていた。いざとなれば近所も巻き込んで、夫婦を仕立てて敵を罠にはめるくらいは造作もなくやってのけるのが監察方ではないか。そして、それを平然と考え出すのも土方である。

どう考えても、遊び半分なのか、よほどの相手なのか、なんだかわからないがとにかく、面白くないことは確かなのだ。

「私の事も知られてるんですよね?」
「まあ、十中八九は調べてると思いますわ。いくら近所の皆さんには口止めしてても、相手もそれなりの手づるがあってしらべますやろ」

ふうん、と総司は頷いた。

「じゃあ、私はせいぜい、嫉妬深い夫の役でも演じましょうか」

すべての責任は土方にあるということにして、山崎が見張ること以外何も知らないセイには可哀想ではあるが、この企みに乗ることにした。

 

– 続く –