心映え

ニュースで、全盲の方の話題がいくつか続いてますよねぇ。

盲導犬については、問答無用でやった奴出てこい!な気がしますが、全盲の方の白い杖。あれにつまずいた方が持ち主の女の子を蹴ったとか蹴らないとか。

あのニュースで、加害者の方の気持ちもわかる、というのが心無いというタイトルを見た。

はて・・・心無いのだろうか、と読んでしまった。

被害にあった子も可哀想だけど、ぶつかったらごめんなさいだろうなと言うのは、同感である。全盲だとぶつかったこともわからないというのもあるのだろうが、報道されていないけど、ごめんなさいと言っていたのならいいのにな、と思ってます。

健常者と身障者の方と全く違う、と言うコメントも見かけたけど、そうなんでしょうかねぇ?

手が二本あるのと同じように、特徴というカテゴリと思ってるんですけどね。身障者の方々も変わらないっていう方多くないですか?

なのに、そういう時は違うんだから配慮してくれて当たり前っていうのはなんか違う気がしまして。

同じ人なんだから、得手不得手。助けて、助けられて生きるのは当たり前だと思うんですよねぇ。

どっちも、当たり前の向きが逆にならないのかなぁ。ありがとうがあたりまえ、どういたしましてがあたりまえ。

やってあたりまえじゃない、助けて当たり前じゃない。そう思うんですよねぇ。

昔ね、職場に車いすの方がいて、職場に来る前に電車の乗り降りから駅員さんの手を借りるわけです。
よく、ステップを渡して、移動するのを見かけますよね。あれです。そこからまだまだ不便な駅が多いとないですから、地上に出るのに、人の手を借りて、会社に来るのに人の手を借りるわけです。

駅員さんが補助が難しいと会社のスタッフが駅まで迎えに行って、車いすごと担ぎ上げるんですよ。

でも、その人が来るためには必要だから、当然ではあるんですが。

このご本人が、ありがとうを言わない人だったわけです。毎日出社ではない人でしたが、それでも毎度のことだからなのか。

でも、駅員さんや会社の担いであげるスタッフは、毎度、大丈夫か、危なくないか、怖くないか、都度聞きながらお疲れ様、と声をかける。

その時に、ちょっと違和感でした。

そこからずっと思うんだけど、どうなんでしょうねえ。

心を映して心映え。そんな風にはいかないものかなぁ。