風のしるべ 2

〜はじめの一言〜
出会うまでには少し時間がかかります。
BGM:
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彼らの会社はそれほど大きくはない。大きなメーカーにはよくあることだが、グループ企業として分社化された会社だからだ。社長や経営幹部はほとんどが親会社の役員の兼任で、実質的には現場のトップが会社のトップのようなものだ。

総務や経理などはグループ全体を一括する形で親会社が受託している。一応、担当社員はいるが、ほとんどはグループ全体を統括する社内システムに乗っているのだ。

そんな中でも彼らの仕事は、いわゆる会社独自の部門からできた会社である。

大きなメーカーと言えば、イベントや発表の際も広報や宣伝のような専門部署が外部の業者を通じて仕切ることが多い。
広告代理店や、外注の業者を使わないというわけではないのだが、グループ会社で扱っている製品を一番よくわかっているのは、同じグループ会社であるということでできた。

もともとは、本社の宣伝部や広報部の所属だった者達が集まって子会社化された。大きくないと言っても、それなりに人数はいるのだが通常、彼らのほとんどはそれぞれが担当しているグル―プ会社に常駐している。

大きくはない発表やイベントの多くはそういう常駐組が処理しているが、通常規模ではない大きなイベントだけ、こうして社に残った、精鋭たちが常駐組や外注を使って企画を進めることになる。

社に残っている者達は皆、数少ない事務部署の担当者か現場の精鋭など限られた者たちなのだ。

「沖田。例の奴、どこまで進んでる?」

コーヒーを入れてデスクに戻った沖田に向かって土方から声がかかる。例の、というものは抱えている案件の中でも三週間後に予定されているもので、ファイルを手に立ち上がった沖田は土方のデスクの前に立った。

「発表製品は1製品ですが4モデル。搬入までは段取りがついたんですが、実際の製品が上がるのは10日前っていう話なので、随分遅れているみたいです」
「……またか。最近、そんなのばっかりだな。間に合わないならやるなってんだ」
「まあ……、そういってももうリーク取材もはじまってますしねぇ」

どんな製品でも開発のスピードが早くなっていることは世間の流れと言われれば仕方がないが、こうして発表日だけを決めて、開発や製造の方が間に合わないということが近頃増えた。

不機嫌そうな土方に肩を竦めた沖田は、だからといって何か驚くわけでもなく落ち着いている。すでにこの部署に配属になって2年。もうだいぶ慣れたものだ。

「発表時にはパンフレットのセットを配ります。今回は、価格は高額ですが、ターゲットは若者なので、配布は社員ではなくアルバイトを使う予定です。社員はすべて会場の質疑応答や問い合わせの対応に当たります。サイトの方は、カタログが出来上がり次第、外注業者に作業を委託します」

ぱらぱらと書類をに目を通した土方は、進捗を確認するとファイルを沖田に返した。

「わかった。この件は、お前が担当だが、俺達も全員で当日は対応に回る。居残りは永倉に任せるとして、原田。お前、沖田のサポートしてやれ。面倒そうだ」
「わかりました」

ちらりと振り返った沖田は、今はいない永倉のデスクに目を向ける。
永倉はこの中では古参に近い。部長である大久保と、課長である土方が実質的にこの会社を率いており、立ち上げから右肩として働いているのが永倉だ。

その次が、高専卒の斉藤である。大卒の沖田より入社が早い。原田は中途採用組だ。

「おう。どっかで打ち合わせの予定組んどいてくれよ」
「原田さんは、アルバイトの選考がいいんじゃないですか?」
「ん~?お前もわかるようになってきたじゃねぇか」

画面から目を話さないくせに、呑気な会話を続ける原田の斜め向かいのデスクに戻った沖田は、モニターに映る中身に意識を向けた。会議やアルバイトの選考の予定は、共有されるスケジュールに登録してある。メンバーのスケジュールが互いに確認できるのと同時に、相手の予定を押さえることもできるようになっていた。

ふっと、口元に笑みを浮かべた沖田が、簡易メッセージを飛ばすとすぐに開封通知が届く。

『原田さんの好みは若い子だったんですか?』

モニターの端からにぃっと笑った無精ひげの生えた口角だけが見える。
原田は、すぐにキーを叩くと社内ネットワーク上に見えている、『沖田奏』という名前をクリックした。

『お前だって若い子の方がいいだろ。奏』

―― まさか

浮かんだ笑みを引っ込めると、カップに手を伸ばしてコーヒーを飲む。美味いか美味くないかではない。ほとんど習性のようなものである。

登録してあるアルバイトは高校生から上は30代までいる。
そんなスタッフを対象としてみるはずもないくせにと思いながら、メールを書きはじめた。登録されたスタッフの中で応募してきた者達に、面接の合否を連絡するのだ。

原田の言うように今回は若いスタッフを対象としているので、大学生以上のスタッフには断りを、大学生以下で応募してきたものの中から、ざっとデータベースと照合を始めた。

慣れないスタッフでも問題のないイベントもあるが、今回のような発表イベントは極力、そつなくこなせる者がいい。
経験者を中心に人数を揃えると何人かは、沖田の記憶にも残っている名前がある。経験者でもなかなかどうして、向き不向きがあるのは仕方がない。

何度か仕事をしたことのある顔ぶれは自然と記憶に残るようになるのだ。

ぴた、と沖田の手が止まった。

”富永未生”

―― この子は安心できる

いくらアルバイトのスタッフを対象としないと言っても、人間同士である。顔を会わせて仕事をすれば、相性の合う相手や信頼のできそうな相手は当然でてくるものだ。

沖田の脳裏には、今時、珍しい真っ黒な髪を肩口で切りそろえて、妙に意思の強そうな目が浮かぶ。

「奏チャン。今夜飲みに行かねぇか?」

気が向いたのかモニターの脇から顔半分を覗かせて原田がそういうと、そこにいるのは4人だけという状況なので、じろりと窓側から視線が飛んでくる。

「原田!お前、そういう話は俺に聞こえないところでやれ」
「嫌だな、わざと聞こえるように言ってるんすよ。課長も参加しますよね?」

給料日前の時期に狙って原田がよくやる手口に、くすっと笑うと、いつものごとくの土方と原田のやり取りを眺める。仕事では”土方さん”と呼ぶくせに、仕事以外の話だと必ず原田は【課長】と呼ぶのだ。

慣れてくるとそれが役職付きだから奢ってくれというサインらしいことはわかるようになってきた。

「……原田」
「ほいっ」
「お前、そういうことだけはうまいな」

書類に目を通している土方がそういうと、ニヤッと笑った原田が沖田に向かってVサインを送ってくる。部屋の入口の方に二人ほど座っているアシスタントの女性社員が目配せして笑っていた。

「いっとくけど褒めてねぇ」

駄目押しのように飛んできた一言に、がくっ、っと自分で擬音まで口にした姿がわざとらしくデスクからコケるのを見て、ますます女子社員達が笑い出した。

なんだかんだと言いながらも土方も原田の仕事は認めている。程よい緊張感と、各自がソロプレーヤーでいながら、チームとしても機能する。この仕事と職場はいい雰囲気に包まれていた。

– 続く –