風のしるべ 3

〜はじめの一言〜
こちらの出会いの方が先になります。

BGM:
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結局、常駐している担当者が多忙ということでアルバイトの面接は沖田達の仕事になった。
本社スタッフが運営するイベントの場合は、こういうことも時々ある。今回はアルバイトスタッフも10人程度ということもあって、一人でやってしまってもよかったのだが、名乗りを上げていた原田に確認すると当然手伝うと言い出した。

「俺の楽しみとるなよ」
「とってませんよ。原田さんの企画はもっと大きな規模ばかりになったからじゃないですか。自分で面接するような機会が無くなったからってそんな言いがかりは勘弁してください」

小さな打ち合わせスペースに資料を持ち寄ると、今の進捗や進め方などを打ち合わせしていた沖田は、印刷しておいた面接者の名簿を原田に渡した。10人程度を決めると言っても、応募者はもっといる。結局30人程度から絞り込むのだ。

「場所は?」
「会議室を借りてますよ」

本社のあるビルは、ビル一棟をグループ会社で借り受けているが、上層階になればなるほどセキュリティエリアが多い。かわりに、1、2階は一般受付もあるし、飲食店やコンビニなども入っている。そこから5階までは一般者の入館が可能な会議室があるのだ。
面接の連絡をした時点で場所は当然、押さえてある。

「明日、15時からでお願いします」
「おう」

ちらりと時計を見ると、打ち合わせスペースの予約時間ぎりぎりである。話をきり上げて立ち上がると自席に戻って、メールチェックをはじめた。
たくさん開いた画面を見ながら沖田は、残りの仕事を頭の中で算段を付け始める。

立て込んでいる時やイベントの際は残業も多く、休日出勤も多いが、基本的に彼らはあまり残業をする方ではない。

決して少ない仕事量ではないのだが、折り合いのつけ方がうまいのかもしれない。そういうメリハリの利いた雰囲気があるので、自然と沖田もあまり残るほうではなくなってきていた。

そんな手際の良い一人、原田は定時になって先に席を立つと、お先、と声をかけて会社を出た。

特に何があるわけでもない男一人だが、飲みに行くなら誰かと飲む。そうでなければ、コンビニや近くのスーパーで晩の食事と共に缶ビールを1、2本買って帰る。

帰宅時間の電車は朝ほどではなくとも程よく込み合っていて、立っていても人と肩が触れるかどうかというくらいがほとんどだ。
いつもの立ち位置に立つと、普段通りに足を踏み入れた車両は、いつもと様子が違っていた。
電車通勤に慣れていると、異常を察するのも早い。原田は、車両に乗り込んだ瞬間、失敗したと思った。

まだ宵の口も宵の口。早い時間だというのに酔っ払いがあたり構わずに騒いでいる。

「なんだってんだよ~う」

座っている乗客に向かって、吊革につかまると、ぶら下がるようにして酒気のキツイ息を吹きかけて歩いている。立っている客たちもそそくさと車両を離れていくものが多くて、原田が乗り込んだその一両だけ大分、空いていた。
開かない方のドア脇に立った原田は、そ知らぬ顔で窓の外に顔を向ける。

この手の相手に下手に関わり合いになってもいいことはない。下手をすれば今時は刺されたり、突き落とされたりしかねないのだ。

「なぁなぁ。おれんち。おれんちにかーえーるーのっ!!」

―― 帰って家で飲めよ、オヤジ

内心ではぼそりと呟いたが、ちらっと見たところそれほど身なりも悪くない。よほど何か、腹に据えかねて偶さかの酒がまわったのだろう。
携帯のワンセグでも見るかと懐のイヤホンに手を伸ばしたその時、真ん中あたりに立っていた若い女性が酔っ払いを避けて原田の目の前に移動してきた。

「おねーちゃんっ!なぁーんで逃げちゃうのっ!おいちゃんねぇ~。おいちゃんちもみーんなおいちゃんとお話ししてくれないのっ!だからぁ~、おねーちゃんとお話ししようかなっ!」

すぐそばでふらふらしながら吊革につかまった酔っ払いのたわ言を、その若い女性は耳に入れたイヤホンで聞こえないふりをしているらしい。
なんとか酔っ払いの興味が余所に行くように、顔をそむけているが、何かが気に入ったのか、酔っ払いはしつこく近づいて行く。

「おいちゃんのぉ、事キライかなぁ~」

『嫌いに決まってる!』

彼女のそんな声が聞こえた気がして、原田が顔を上げるとその目の前で気の強そうな顔がくるっと向きを変えた。よほど腹に据えかねたのか、鬱陶しいことに耐えられなかったのか、今にも文句の一つも口にしそうな顔をしている。
ちっ、と内心舌打ちをしそうになったが、仕方なしに原田はずいっと一歩踏み出した。

「おう。おっちゃん、いい感じに酔ってんなぁ」
「なんだぁ~。お前。おれぁ~なぁ、今このおねーちゃんとなぁ」
「わかるっ!わかるぜぇ~。可愛いくて若いおねーちゃんとお話ししたいよなー。家に帰っても淋しいよなぁ」

バックを片手に酔っ払いの肩を組むようにしてくるっと反対側を向かせた原田が、トーンを合わせて大声を上げながら頷いた。
わけがわからないが、なぜか同意された事だけはわかったらしい。俄然、男は原田に向かって片手を振り上げた。

「そうっ!そーなのよっ。もうねぇ。おいちゃん、ただお話したいだけなのよっ。あんたー、若いのに俺の気持ち、わかんのっ?!」
「わかるっ!わかるぜぇ~、酒も楽しく飲みたいよなぁ~」
「そ~のとおりっ!若いのに、アンタは偉いっ!!」

今度は急に褒められだした原田だが、その様子を見ていた乗客達も原田のあしらいのうまさにくすくすと笑い出した。
次の停車駅にはビジネス街だが、サラリーマンの飲む店も多い。開くドア側に酔っ払いを誘導した原田が調子を合わせて話を変えていく。

「そういう時はねっ、飲むしかないんだよね~」
「そ~なのよっ!おいちゃんもねぇ。もう飲むしかないのっ!」
「そうだっ!じゃあ、飲んじゃえ!」

おー、とつられて声を上げた酔っ払いをドアが開いたと同時に連れだって電車から下ろした。乗客たちの視線が二人の姿を追いかけていく。

「おっちゃん、この辺、いい店一杯あるから!なっ、俺はちょっと今日は金がねぇからつきあえねぇけどいい酒飲んでくれよな!」
「おう!あんがとーさん!!」

大きく手を振って機嫌よく去って行く酔っ払いを見ながら、発車のベルが鳴る中で、ついさっきまで乗っていた車両に慌てて原田が飛び乗った。
乗り込むと同時にドアが閉まったが、今度は周りからぱちぱちと拍手に包まれる。

「や。どーもどーも」

片手をあげてにやりと笑った原田は、ちらちらと心配そうな視線を送ってきていた先ほどの女性の傍に行くと声をかけた。

「大丈夫?」

別段、何をされたわけでもないのだが、やはり気にしているのかと思って声をかけたのだ。気の強そうな顔が一瞬だけ歪んで、心配の色が浮かんだ。それはすぐに、再び気の強そうな表情にかき消される。

「ありがとうございましたっ」
「ん?なんか不満?」
「いーえ。でも、あんなの変な人だったらどうするんですか!?」

むーっと責めるような口調の相手に面白くなった原田はからかうような口調で首を傾けて顔を覗き込んだ。

「俺の事、心配してくれたわけ?」
「当たり前です!私のために目の前で刺されたりしたら夢見が悪くて仕方ないじゃないですか!」

小声とはいえ、先ほどあれだけ注目を浴びている。車内の視線もちらちらと二人に送られていて、気まずいことこの上ない。仕方なく、次の駅に停車すると、女性は原田のスーツの袖を掴むとぐいっと引っ張って電車から引っ張り下ろした。

 

– 続く –