白き梅綻ぶ 1

〜はじめの一言〜
サイドストーリー系第二弾でございます。
BGM:Metis   梅は咲いたか 桜はまだかいな
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「タエ殿。私は浪人のさらにその息子になります。いつ士官が叶うかもしれぬ身。それでもよろしいのでござるか?」

和泉国高取藩浪人、正木仁之助が孫娘タエを前にして佐々木秀介は尋ねた。タエの両親は、すでにこの世の人ではない。元より母であった、お高はタエを 産んですぐに儚くなった。男手と仕えていた下女の手によってタエは育てられた。そして、仁之助の脱藩の際に、息子であるタエの父、蔵之助は心労がたたり一 年ほど床に伏せったあと、亡くなっている。

京の市中に隠居所を構えた正木仁之助のもとでタエは育った。年頃になったとはいえ、そのような娘に縁談などあろうはずもなく、タエは二十歳を過ぎた娘としては器量もよくできた娘であったが行き遅れであった。

そんなタエに同じ浪人であった佐々木の息子が間に立つ者があって見合いをした。

タエは秀介のまっすぐな人柄を好ましく思った。元より自分などを娶ろうと思う者がいると思えぬ。

「秀介様。私こそふた親もなく、年老いた祖父しかおりませぬ。そのような身の行く末などはなからないものと思っておりました。私などでもよろしいのでしょうか?」
「貴女のような方であれば、私でなくともよいご縁がありましたでしょう」

静かにそう告げた秀介はそのまま見合いの場になった茶席から去っていった。茶をたてていたタエはそのまま秀介を見送った。間に立った者の顔さえたてばよい。断られることはタエには当然のことと思えた。

 

しかし、タエの予想とは異なって数日後、秀介からは婚姻の申込が間の者を通して届けられた。双方ともにこれといった支度もなく、ただ、タエの祖父、仁之助と共に料亭でのささやかな席を囲んだのみだった。
秀介の住まいは町屋の一軒で、タエはほんのわずかの身の回りのものだけを持って、秀介の元へ嫁いだ。

「ふつつか者ですが、何卒よろしくお願いいたします」

佳き日を選んで越してきたタエが手をついて頭をさげたところに、秀介が立ち上がって引き出しからたとう紙に包まれた着物を差し出した。

「タエ殿。このような身ですので贅沢をさせて差し上げることができないのですが、これを貴女に」

タエはそのたとう紙を開くと、藤色の着物が現れた。
秀介がタエのために、あつらえたものだった。他には何もできないと思っていた秀介が、せめてもと思い、自分の着物で質に出せるものは売り払い、さらに不足の分は商家でいくつかの仕事をこなして間に合わせた。

「秀介様……」

タエは不器用ながらも優しさとささやかながらも嫁を迎える喜びを表した秀介についていけると思った。
そうして穏やかな夫婦になった。激しい情熱ではなく、温かな春の日を思わせるような、なにも話すことはなくとも、ただ同じ部屋にいても共有する空気がお互いを癒すような二人だった。

「タエ、話があるのだが……」

一年後、正月を迎えて、僅かばかりの正月の膳に向かったところで秀介は口を開いた。

「この一年、俺は一刀流の道場に通い、剣術の腕に磨きをかけてきた。この腕をもって新撰組に加入しようかと思うのだが……」
「新撰組……ですか」
「ああ。新撰組は池田屋での働き以降、その働きも素晴らしいものがある。そして幕臣へのお取立ての話も出ている今、俺はこの剣術の腕で挑んでみようと思っている」

決して、いまだに京の市中での評判はよろしくはない。ただ、己の腕で幕臣への道を掴みとれる可能性があるのであれば試してみたいと思う。
秀介の思いがタエにはよく分かった。

「旦那様の思う通りにして下さいまし。タエは旦那様のなさることについて参ります」
「しかし、新撰組に加入するということは、危険も多くなるし家に帰ることもできなくなる」
「そうなのですか?」
「ああ。皆、平隊士は屯所に住まうらしい。営外住居が認められるのは幹部の方々のみということでな。一通り話は伺ってきた。ほか、扶持米ではなく現金での支給があるらしいことや、非番の日は家に戻ることができるが屯所からあまりに遠い住まいはいかんらしい」

それでもよいだろうか?、と秀介はタエに問いかけた。この機会を逃せば士官の機会ないかもしれない。この機会に賭けてみたかった。

タエは膝の上に手を置いて、秀介を見つめた。

「旦那様はもう、お話もお聞きになったのでしょう?」
「ああ。幹部の皆様はみな素晴らしい方々ばかりだ。稽古も毎日行われていてな。それぞれの流派のお強い幹部の方々が撃剣師範、柔術師範などを務めていらっしゃるらしい」

熱に浮かされたように語る秀介に、タエは微笑んだ。すでに秀介はこれほどまでに新撰組に焦がれているならばタエに否やがあろうはずもない。

「旦那様。思うようにおやりなさいませ。タエは旦那様がこのように熱くお話しになる姿を初めて目にいたしました。そんな旦那様をお止めすることなどタエにはできませぬ」
「そう思ってくれるか?」

熱くなった秀介はタエの手を握った。その危険度の高さよりも、夢の方が大きかった。タエの後押しもあり、秀介は新撰組に加入することになった。

 

 

初めの頃の非番は、屯所に留まって隊士達と交流を深めることに費やした。

「佐々木!お前、ちょっと付き合えよ」
「永倉先生!お伴してもよろしいのでしょうか?」
「おうよ、今日は左之がいねぇからよ。俺一人なんだよなぁ」

永倉が縄暖簾に秀介を伴って訪れた。秀介が永倉の盃に酒を注ぐと、うまそうに永倉がそれを飲み干した。

「どうだよ?そろそろ慣れたか?」

仮配属で二番隊に配属になった秀介はこの組長が大好きだった。
一本気で、義に熱く剣術の腕も立つ。自分達の面倒も丁寧に見る。この組長のためになら命が張れると思えた。秀介は、自分の杯にも酒を注いだ

「ありがとうございます。おかげ様で皆さまよくしてくださいます」
「うん。お前はよくやってくれるぜ。腕も立つ。仮配属はもう終いなんだが、このまま俺の二番隊にいてくれるか?」

秀介は危うく盃を落としそうになった。まさか、配属など自分に問われるとは思っていなかった。これほどまでに厳しい新撰組という中でそんなことがあるとは思ってもいなかったのだ。

「私を置いてくださいますか」
「だめか?」
「いえ。自分は組長の盾になりたいと思います」
「馬鹿野郎。そんなもんにはなるな。俺なんか守るんじゃねぇ。自分の大事な物のために命を張れ。そうすりゃ、俺もお前も、お前の嫁さんも、近藤さんも、守りたいものが守れるんだ。そのために俺と生きろ」

永倉の言葉がまっすぐに秀介の胸に飛び込んできた。幕臣になるとか、士官などということで初めは加入した秀介だったが今では全く心が違っていた。
永倉も秀介のまっすぐで落ち着いて万事控え目でありながらもしっかりしているところが気に入っていた。

「永倉先生。自分は……必ず組長の自慢の配下になります」
「そうか」

永倉は自分があけた盃を秀介に差し出した。黙って、秀介はその盃を受け取る。その盃に永倉が酒を注いだ。

「何かあれば何でも俺に言え。まずは、今日の非番は家に帰って嫁さんの顔を見てくるんだな」
「永倉先生!」

秀介が盃をあけるのを見た永倉がにやりと笑った。頷いた秀介は、頭を下げたがニヤリと笑い返した。

「御好意に感謝します。自分は組長を屯所までお送りしたら、家に帰らせていただきます」
「言うねぇ。じゃあさっさと帰るとするか。つまんねぇなぁ」
「永倉先生は非番じゃないじゃないですか」

二人は肩を並べて縄暖簾を出た。この後、佐々木秀介は二番隊に正式配属になる。

庭先の梅綻ぶ枝を見て、タエは微笑んだ。時折しか戻らぬ夫を待ちながらも、秀介が初めて息をしたように強い目で語る姿を思い浮かべる。この出会いが秀介に限りなく生きるすべを与えてくれたことにタエは感謝していた。
この難しい世の中で、生きがいをもって生きていける武士がどれほどいるかということをタエはよく分かってる。

その感謝をこめて、タエは組長である永倉のための羽織を縫っていた。次の非番の際には、秀介に持って行ってもらおうと思っている。

―― それまでには旦那様の羽織もできるといいのだけど

小さな町屋の片隅で、タエはこのように恵まれた日がずっと続くものだと思っていた。その願いがそう長くない先に崩れ去ることを知らずに……。

 

 

– 続く –