白き梅綻ぶ 3

〜はじめの一言〜
サイドストーリー系第二弾でございます。
BGM:Metis   梅は咲いたか 桜はまだかいな
– + – + – + – + – + – + – + – + – + –

町屋の一角に住んでいる浪人者などは割合に多いものである。
佐々木家の周りにはどちらかといえば、隠居所を構えた大店の元主人や医者などが多い。タエの仕立物や繕い物の仕事も、事欠かず、また良い品が多いのだった。

その中の元呉服問屋の紹介で高級品ばかりを扱う、大店の仕事も引き受けられるようになり、タエにも秀介の支度を満足に整えられるだけの貯えができるようになってきた。

タエの仕立ての腕は、武家の妻女にしてもなかなかのもので出来も早い。そんなタエでも秀介の着物はかなり多く仕立てていたように思う。タエには不思議でならなかった。
それは仕方のないこと。
タエはずっと祖父のもとで育ち、武家の者として育ちはしても剣を振う者など身近ではなかったのだ。秀介は腕が立ったが故に、道場に通っていても、怪我をして帰ることなどまったくなかった。だから分からなかったのだ。

頭では知っていても、それがどれほどの危険と隣り合わせであるのかを。

仕立て上がった着物を呉服屋に届けるべく、昼過ぎに家を出たタエは心急いていた。前回の非番から数えると、もうそろそろ秀介の非番の日が来るはずだ。それまでに、今引き受けている仕事はなるべく減らしておきたかった。

「ごめんくださいまし」

呉服屋の店に入ると幾人もの客の相手をしている傍らに、邪魔にならないように声をかけた。大番頭が接客を手代に任せるとすぐにタエの元へやってきた。

「これは、おタエ様。もう仕上がりましたのか?」
「はい。お嬢様のお着物だったので、思うよりも早く仕上がりましたので」

そう言って、大番頭の前に風呂敷からたとう紙に包まれた見事な振袖をだした。どこぞの大店の娘のものだろうか。

さらりと振袖を広げた大番頭が仕上がりに満足げに頷いた。

「誠に、こんなに早く仕上がったとは思えぬほどの見事な出来栄えですよ。いつもいつもありがとうございます」
「とんでもございませぬ。私のようなものに仕事を回していただけることこそ、お礼を申し上げませんと」

呉服問屋の井筒屋では、タエの身元を承知している。新撰組の隊士を夫に持つとはいえ、井筒屋ではタエの人柄や仕立ての腕を買っているのだ。大番頭は帳場で仕立て代を包むと、すぐに戻ってきた。

「いつもいつも早い仕立てをありがとうございます。少しばかりですが色をつけておきましたので、またよろしくお願いいたしますよ」
「ありがとうございます。こちらこそまたそろそろ主人の着物も入り様になるかと思いますので、よろしくお願いいたします」

そういうと、タエは井筒屋を出た。昼を過ぎたばかりで、まだ日も高い。タエは、家に帰る道すがら、もらったばかりの仕立て代で秀介が帰った時のために、酒の肴を少しばかり買い求めて家に向かった。

その時だった。

「きゃーっ」

タエの歩いていた道と交差する道で、悲鳴が上がった。はっとそちらを振り返った瞬間、一見して身なりの良くない不逞浪士らしき男たちが刀を抜いて数 人走ってきた。他の者達と共に、タエは近くの店の入口の方へ身を翻した。そこに呼び子が聞こえて、巡察に出ていた二番隊が追いかけてきた。

伍長を筆頭に見慣れた姿だと思った瞬間にタエが見たのは秀介の姿だった。刀を抜いた隊士達と共に不逞浪士を追いかけており、後から落ち着き払って永倉が歩み寄っている。

―― 旦那様……

タエが見守る中、秀介達は恐るべき早さで不逞浪士達の行く手を阻み、囲みこんだ。
市中の者たちが遠巻きに見ている中で新撰組の隊士達は、鮮やかに刀を振るい不逞浪士達の手足を斬り飛ばして取り押さえていく。

「まさか……」

何がまさかだというのだろう。

返り血の飛沫を浴びた隊士達の中に秀介がいた。他の隊士達と不逞浪士達を次々と捕縛していき、隊長とおぼしき男に報告している。
その動きからしても、秀介は伍長に次ぐ信頼を得ているようだった。

捕縛した者達は駆け付けた町方の者の手に引き渡され、隊士達は刀に拭いをかけると隊列を整えて巡察に戻っていく。
町の者達はこれまでにも目にしたことがあったのだろう。口々に、恐ろしい、鬼の集団やと、囁きながらもとの姿に戻っていく。

タエは足もとから力が抜けてその場にしゃがみこんでしまった。

自分はなぜ気付かなかったのだろう。ただ、夫が強くなっていくことはよい事だと思っていた。思う道を進み、たとえそれが市中の人々から恐れられている新撰組であったとしても。
秀介の語る新撰組の隊士達の姿を聞いてもタエには分からなかった。

 

その結果がこんな事だとは。

 

「お内儀、どうしはったんかえ?なんぞ具合でも悪うならはったのかね?」
「は……あ、ええ」
「しゃあない。あないな人斬り鬼を目にしはったら具合も悪うなりますやろ」

近くの店の主人らしきものがタエに手を貸して近くの茶店の店先に座らせた。
礼をいって、茶店で茶を頼んだタエは、一人そこで呆然としていた。

 

あれは……。あれは本当に夫なのだろうか。

 

返り血のついた着物を当たり前のように気にも留めずに、笑顔さえ見せて歩み去っていった男が秀介なのだと思うと、タエはなぜ、夫が非番で家に戻るとき、幾枚も作ったはずの着物ではなく、気に入っている何枚かを順番に着ているのか初めてその事実を知った。

これまで共にいた秀介という夫が、まるで見知らぬ人のように恐ろしく遠く感じる。

これまでタエにこんな姿を見せなかった秀介の気遣いさえひどく恐ろしいことに思えた。タエは茶に手をつけることなく、茶代を支払うと立ち上がった。

重い足取りで家に向かうと、台所の片隅でタエはこみ上げる吐き気を堪え切れずに、口元を覆った。胃の腑からこみあげてくるものが喉を焼く。

涙も出てこなかった。
タエは、水を汲んで不快になった口元をゆすいだ。その足で、座敷の仏壇の前にその身を置いた。祖父と両親の位牌を前にタエは手を合わせた。

今日、秀介が斬った者も秀介達がこれまでに斬った者達にも。

仏壇の前で火を灯し、タエは手を合わせ続ける。伏せた目の端から涙が零れ落ちた。これまで目を覆ってきた自分にはこうして手を合わせることさえ許されることではないと思いながらもせめてこのくらいでもせずにはいられなかった。

 

 

– 続く –