草紅葉 13

〜はじめの一言〜
そういうことで。

BGM:広瀬香美 DEAR・・・again
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境内に入ると、捕まえた者達が逃げたざわめきももうそろそろ落ち着き始めていた。その境内に華の姿はなかった。

体から何かが抜けて行き、斉藤はあるべきものが戻った気がしたが、それが何であるかは思いつかなかった。セイ達と一緒に西本願寺に戻った斉藤は、屯所の門ではなく、西本願寺側へ足を向けかけて門脇の隊士に呼ばれた。

「斉藤先生。お連れの方は副長のご指示で客間の方へとご案内しております」
「……。そうか。手間をかけたな」

斉藤はそういうと、総司の横をすれ違いざまに肩をどん、と当てた。

「?!」

驚いた総司は追い抜いて行った斉藤の顔が笑っていたのを見てふわぁっと嬉しそうな顔になった。急に表情が変わった総司にセイが何事かと問いかける。

「沖田先生?どうかしました?」
「いいえ。ただ、なんか嬉しかっただけですよ」
「えぇ?!意味が分からないです」
「いいから、いいから」

セイを連れて隊部屋へ向かって行った。

それより一足先に幹部棟へ向かった斉藤は、副長室ではなくて客間へと足を向けた。部屋の前の廊下にぴたりと腰を下ろすとそれを見計らったように部屋の中から声がかかる。

「斉藤か?」
「は。失礼します」
「おう」

障子を開けたそこには華と向かい合った土方が座っていた。斉藤はその場で頭を下げた後、中へと入ると二人の間に腰を下ろした。

「副長、お手数おかけしました」
「いや、もともとはあいつらがやらかした不始末のせいだ。すまなかったな」
「いえ」

土方に向かって頭を下げた後、斉藤は華に向き直った。

「華殿。申し訳ない」
「いえ……。斉藤様は、お仕事ですから」

置き去りにした華に詫びた斉藤は、初めて華の顔色がよくないことに気付いた。ひどく顔色が悪く、斉藤や土方と目を合わせようとしない。その様子をみて、斉藤は初め、わずかに目を見開いたが、ゆっくりとその目の色が変わっていく。

土方は表情を変えずにその様子をみていたが、ふいっと視線を逸らした。

「……ええ。私の仕事はこんなことが日常茶飯事です。並みの者では嫁のなり手などおりませんでしょう」
「それは……」

斉藤の言葉に初めて華が顔を上げた。その顔は、あの弾けるような笑顔と明るさが消えて、怯えと迷いが浮かんでいた。

「それが、斉藤様のお気持ちでしょうか」
「なんのことでしょう?」
「私は斉藤様の嫁にはなれぬと思われていらっしゃる、ということでしょうか」
「何のことかわかりませんな。此度のことは華殿のお供をと父から言いつかったわけでしてな。誤解があったようでしたら申し訳ない」

きゅっと唇を噛み締めた華は気丈にも泣かなかった。小さく、やがて大きく頷くと、目の前に置かれていた茶を一息に飲み干した。ふう、と小さく息を吐くと、きっぱりと顔を上げて土方を見た。

「土方様、お手数をおかけいたしました。物見遊山に遠縁の斉藤様を頼って参りましたが、思いがけずお目にかかる機会を頂きありがとうございました」

歯切れよく、土方に礼を述べた華の顔には笑みが浮かんでおり、土方はそれを受けて微笑と共に応えた。

「いや、こちらこそとんだことに巻き込んでしまい申し訳なかった。宿まで、斉藤に送らせましょう」
「ありがとうございます」

斉藤は黙って、土方に頭を下げると先に立ち上がって、華を促した。幹部棟は客間もあるため、大階段を回らなくても表に出ることが出来る。気を利かせた隊士が斉藤の草履を持ってきてくれたので、そのまま斉藤は華を伴って中庭をぬけ、白洲に出ると、門から表に出た。

興味津々で他の隊士達が視線を送ってくるが、その前に土方に怒鳴りつけられているため、表立って動く者は少ない。華を宿まで送り届けると、供の者達に挨拶をするために一度部屋へと上がった。

華は部屋に入ると、供の者に声をかけて部屋へと呼んだ。

「斉藤様には、とてもご迷惑をおかけしたのだけれどあまり長く逗留していてはお仕事のお邪魔になるので、これから宿を立ちます」
「お嬢様、これからでございますか?」

供についてきた手代が驚いて腰を浮かした。確かに、朝餉を終えてすぐに西本願寺へと向かったため、ようやく昼を過ぎるかという時間だが、これから出立というと少なくとも小半時は支度にかかる。

だが、華はきっぱりと言った。

「ええ。これからすぐに支度をして出立します。駕籠を雇えばそこそこ行けるでしょう」
「華殿。無理をなさらなくても」

思わず斉藤が止めにかかったが、華は首を振った。そこには華なりの意地があった。

「無理ではありません。遊びの時間は終わりですわ。私は帰ります」

ありがとうございました、と頭を下げた華に斉藤は頷くと供の者達へも華の言う通りにするよう口を添えた。すぐに立ち上がると宿の者へ支払いを済ませる。ついでに駕籠を頼むと、支度を手伝いに部屋へと戻った。

「お手伝いしましょう」
「いいえ、斉藤様。私達だけで大丈夫です。どうぞお仕事にお戻りくださいませ」
「いや、しかし……。それに出立の見送りをしようと思うが」

流石にそのまま、それではさようなら、というわけにはいかないという斉藤に華は譲らなかった。供の者達を振り返りながら、にっこりと笑った。

「手伝いなど不要でございます。私一人ではなく、供の者もおりますし、見送りもご遠慮いたしますわ。もう充分、斉藤様のお時間を頂きましたから」

―― もういいのです

華の気持ちが、静かに伝わってきてそれ以上何も言う必要はないと思った。
斉藤の嫁になりたいと思っていたのは本当で、本当に幾日か斉藤と一緒にいて、楽しかった。一緒にいる時間を想い描いた。

斉藤がどういう立場なのか、十分にわかっているつもりだった。でも、華を置いて走り去っていく斉藤と、竹矢来に向かって獣の様にとびかかってくる男の姿とそれを取り押さえる隊士達の姿に驚いた。正確に言えば怯えた。
いくらこのご時世と言えど早乙女家の者がそんな危険な目に会うということなどほとんどない。頭ではわかっていてもまざまざと目にするのとは違う。

華自身も大丈夫だと思っていたのだ。斉藤を支えて、良き妻になれると。

だが、あの瞬間、身がすくんで隊士達が華を幹部棟へ連れて行ってくれるまで、現実だと思えないくらい恐ろしかった。そんな華の怯えと迷いを斉藤はまっすぐに受け止めてくれた。
何があったのかわからないでいる供の者達にそこで説明するのも無粋な気がして、斉藤は華の支度ではなく、供の者達の支度を手伝うと、斉藤は一行より先に宿を出ることにした。

 

– 続く –