「よう〜、神谷〜」
「原田先生、永倉先生」

セイが診療所の薬棚の在庫を確認していると、原田と永倉の二人が診療所へ現れた。
大した用ではないにせよ、この二人を含めた幹部の出現率は高く、ほとんどが診察室での会話ではまずいことが多いので、セイは途中まで数えていたものを小者に任せて小部屋の方へ二人を誘った。

「お茶しかありませんからね」

そういいながらセイは二人のために茶を入れ始めた。時々、斉藤がこの部屋に置いていく気に入りの酒を見つけると容赦なく飲んでしまうのだった。

「しょーがねーな。今日は大人しい見送りだったじゃねえか」
「そうそう。この前の大阪出張の時みたいに熱いヤツがあるかと思ったぜ」

前回の大阪出張のときは、見送りにでたセイに総司がお守りだといって皆が見ている前で首筋に口付けしてきたのだった。
二人のからかいに、あの後しばらく恥ずかしさのあまり小部屋に閉じこもっていたセイは真っ赤になった。

「なっ、毎度毎度あんなことされたんじゃ私の身がもちません！」

あの時は、斉藤がセイを一晩かけて説得し宥めすかしてようやく事なきを得たが、同じように副長室で土方の取り成しをしていたこの二人にとってはからかいのネタにしかならなかったようだ。
赤くなったセイから茶を受け取りながら、いつもはもっとからかってくるのに、原田たちはすぐに真顔になった。

「神谷、お前が調べてるっていう隊の中の覚書って俺達も入ってるのか？」
「え？覚書ってなんですか？」
「俺らには惚けなくていいぜ。隠してそんな特命やってたのはいいとしてだ。俺らの何を調べてたんだ？」

原田と永倉に真剣に詰め寄られてセイは困惑していた。
いったい何を言っているのかが分からない。

「あの、調べるって何をですか？私、どなたかを調べたりなんてしていませんが」
「神谷……。土方さんか近藤さんにでも口止めされてるのかもしれないけどよ。もう皆知ってんだから今更隠してもしょうがねぇぞ」
「だから何を隠すんですか！本当に私は何も知りませんよ。何をおっしゃってるんですか？」

そんなことを言われても思い当たらないセイには言い掛かりに等しい。セイが、正直者だということは二人もよく知っているだけに、これだけ真顔でセイが言い返すのをみると、二人のほうが困惑し始めた。

「ちょっと待て。俺らは、お前が幹部、平隊士問わず、調べてるって聞いたぞ？」
「そんな話誰に聞いたんですか？私はそんなことはしてません！」
「いや、でも現実に土方さんもそれを認めてるって聞いたけどな」
「誰にですか？！」

誰に。

そう問い直されて、ぴたりと動きが止まる。確かに話は聞いたが、噂として耳に入れただけのことで、誰がいつ話していたのかの記憶が乏しい。自分達さ え知らない特命の話をしているとなると、話の中身のほうが聞き捨てならなくて、肝心の誰がというところがどうにも思い出せなかった。

セイはセイで、話を聞くうちに、自分が書いた例のまとめたものの話らしいと推測はついたが、あれは数日前に総司と土方に初めて話したのだ。
それ以前は誰も知らないことだし、話した後に、土方も近藤、土方、総司の三人以外にはまだ黙って置くようにと念を押していただけに、誰かが話すということ自体がありえない。
まして、近藤に至っては、昨日今日その話を土方から聞いたらしいのに、誰に話すというのだ。

「誰がしゃべってたか思い出せるか？ぱっつぁん」
「いや、下の奴らが集まってごちゃごちゃとくっちゃべっていたことくらいしか覚えてねぇ」

二人の話を聞いて、今度はセイが眉を顰めた。

「あの、とにかく私が隊の中を調べているというお話だったんですよね？その他には何か？」
「ええと……お前が土方さんだか、近藤さんの特命で隊の中を調べてるって話で、調べる相手は幹部も含まれてる、ってとこか」
「ああ、調べた覚書はこの部屋に隠されてるらしいから土方さんや総司が出入りするのはそれのせいもあるとかなんとか……」

セイは、無意識のうちに自分自身を抱えるように腕を回した。ぶるっと震えが走りそうな体をぎゅっと掴む。

―― どうして？なんで分かったの？

この部屋は、造りとしても話が漏れにくいはずなのに、どうやって聞いたというのだろう。

「その話……ですが、いつからどのくらい広まってるんですか？」

セイは、務めて平静を装って尋ねた。

「そうだな、ここ何日かだよな？」

永倉が言いながら原田の顔をみると、同じく、と頷きが帰ってくる。

仮に、百歩譲って、誰かが近藤と土方の話を漏れ聞いたり、総司とセイの話を漏れ聞いたとする。だとしても噂になるには、早すぎる。
それに隠してある場所まで噂になっているということに驚いた。

「どのくらいつっても、俺達が噂として耳に入れるくらいだから、逆にかなり広まってて俺達の耳にようやく届いたって感じだけどな」
「ああ、あと、一番隊の奴らはほとんどがここに入り浸ってるから違うだろ。あいつらが手助けしてるって話もあるくらいだからなあ」

セイは混乱していた。どうやって知ったのだろう。目的は中身だろうか？
だとしても、あの1冊を除いては害のないもののはずだ。

とにかく、土方には報告すべきだろう。

「今日は副長は」
「副長なら出かけたぜ？黒谷までな。公がいらっしゃらない間に会議だとかで明日の戻りのはずだぞ」
「……！」

なんて間の悪い、とセイは内心、土方に向けて毒づいた。黙っているようにと言われていたが仕方がない。

「原田先生、永倉先生、私の話を聞いてもらえますか？」

そういうと、セイは自分の体で隠すようにして、後の棚を開けることにした。胸元と帯の間に隠していた鍵を取り出して、棚を開けると一冊を残して取り出す。

「これは私が隊に戻ってから、気がついたことを書きとめたものです。ここは本当に多くの皆さんが出入りしますし、逆に私も食療法をかねて賄い方の手伝いをしたり、勘定方の手伝いをしたりしているので、かなり広くお話させていただいているなかで気づいたことです」

そういいながら、セイは覚書を二人の前に差し出した。
それぞれ自分の隊から手にとって読み始める。

「先生方がご存知なことが多いとは思いますよ？でも、個人の癖や好みは何かあったときに役に立つかなと思ったんです。元々はそんな単純な話で、わざ わざ調べたりなんてしてないんです。こんなことでも、私が幹部待遇だということに疑問を持たれている方がいたら、少しでも見方を変えてくださるかなと思っ たんです」

冊子を読みながら飲み込みの早い永倉は、顔を上げた。

「それで、ただ書き留めておくんじゃなく、こうやって役に立てられるようにしたってことか」
「……そうです。少しでもお役に立つなら……」

―― つまらない冗談も冗談として受け流せるかなと思ったんです

読み終えた冊子を戻し、他の冊子に手を伸ばした永倉には、ようやく噂の中身と話が繋がった。

「なるほどな……。だから調べ書か」
「本当に調べたりしたわけではないんです。先生方のことも、ご自身で話してくださったことばかりですよ？」
「じゃあ、本当に特命があったりしたわけじゃないのか？」
「違います。信じてください」

セイの真剣な顔に、原田と永倉は顔を見合わせた。嘘をつくくらいなら、本当に特命があれば、セイならば『言えない』というだろう。
二人は頷いて、覚書を手にしながら信じることにしたらしい。

「話は分かった。疑って悪かったな」

申し訳ないと軽く頭を下げた二人に、セイはにじり寄った。頭を下げられるような話ではない。逆に聞いてもらわなければならない。今の状況では特に。

「それよりも、聞いてください。私、これを沖田先生に話したのは数日前なんです。」

–　続く　–