残り香と折れない羽 11

〜はじめのお詫び〜
予想を裏切っている展開だとおもいますが!あの人ではないし!帰ってこないし!

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夜半、伊東は濡れ縁に佇んで、目の前に膝を付いている監察方の新井を見下ろしていた。妾宅は静まり返り、花香も奥で休んでいるようだ。

「新井君、それで清三郎の様子はどうなんだい?」
「仔細は分かりませんが、怪我を負ったか何かがあったようです。松本法眼の預かりになったままです」
「ふむ……」

伊東は、手にしていた白扇を口元にあてて僅かに開いた。そこには、明らかに不満気な様子が漂っている。白い正絹の夜着に身を包んだ、伊東はぽつりと呟いた。

「僕は、何かを間違えてしまったようだ」

不快気な顔でしばらく思案した後、伊東は屈み込んで、口元の白扇を新井の頬に差し伸べた。

「新井君。僕は、噂を流すことで清三郎が動き回ることを封じろとは言ったけどね、あの子を害するように言った覚えはないんだよ」
「申し訳ありません。思いのほか噂の周りが早く、前回のようにじわじわと神谷の仕事ぶりなどを話題に広めていった時よりも格段に早く広まってしまったのです。そのせいで、余計な者の焦りを誘ってしまったようです」
「そうかもしれないが、僕はそうしてくれとは頼んでいないよ」
「も、申し訳ありません!」
「僕は、清三郎を愛でているんだからね。人妻になっても、いや、人妻になってからの清三郎はまた一味番う魅力が開花しているじゃないか。そんな清三郎を傷つけるなんてとんでもないことだよ」

新井は言葉もなく、額を擦りつけるように頭を下げた。
監察方の新井は伊藤に心酔している。広島随行の際もその働きで伊東を手助けしてきたのだ。

過日、新井は土方が診療所に向うのをたまたま見かけて、診療所の小部屋の下にもぐり、話を盗み聞いた。それを伊東に報告したところ、セイの余計な動 きを封じる必要があると伊東が判断した。問題の中身を確認したわけではない。だが、あれほど顔が広く目端の利きすぎるセイのことだ。
余計なことまで探り出されないとも限らない。動きを封じるにはセイを傷つけるようなことではなく、噂によって動きを封じ込めることにしたのだ。

調べているらしい、と密かな噂になれば、皆、警戒するし、本人の耳に入れば動きようがなくなるだろうと思ってのことだった。

―― 大人しく医師としてだけ務めていればよいものを

「浅野君といい、武田さんといい、三木を通じて何かと接触してくる奴らだろう?僕はそもそも彼らのような人種は嫌いなんだよ。頭が悪く、保身のためだけに無様な動きをするなんてみっともないではないか」
「……」

新井は黙って吐き出される伊東の言葉を受けた。

立ち上がった伊東は再び沈黙した。そう広くはない庭を眺めながら思案を広げる。
今、傷ついたセイのために力を貸すことは造作もないが、それではこちらの動きまで土方には気取られてしまうだろう。それは得策ではない。
頭を下げていた新井が恐る恐る頭を上げて伊東を見上げた。月明かりの下で、仰ぎ見る伊東の耽美な顔に、心酔しきった新井はうっとりと見上げている。

「そうだな。とにかく、清三郎の様子が分からないことには手の出しようもないじゃないか。僕達はしばらく様子を見よう。もちろん、襲ったものの探索には力を貸してやるといいよ」
「承知しました」

自らの失策に怯えていた新井は新しい指示を得て、見限られてはいないことに安心した。ひっそりと暗闇に溶け込むように伊藤の妾宅を後にする。
さすがに腐っても監察方で働くだけのことはある。

新井が去った後、伊東の表情はひどく険しかった。
新撰組という組織を尊王に向けようとしている伊東にとっては、隊内のこうしたごたごたは迷惑以外の何者でもないことが多い。ごたごたが起これば土方の警戒が厳しくなり、隊内の結束も強くなってしまう。
しかし、反面、そういう機会に乗じることもある。土方は容赦なく粛清を行い、その行為に対して反感を覚える隊士も少なくはない。こちら側に引き込むにはそういう機会は絶好といえる。

それにしても、伊東にとって美しいものを愛でることはまったく変わらない嗜好である。セイは、清三郎だった頃から変わらず、伊東の目を楽しませる存在ではあるのだ。
今のところ、伊東の進む道の邪魔にならない限りは、セイを傷つけるものは伊東にとっても不快な存在だといえるのだった。

 

日が変わって、セイの意識は混濁したままになった。時折、松本と南部が診察し処置を行うものの体内の出血はまだ止まらないようだった。
痛み止めと眠り薬に血止めを混ぜて、朦朧とするセイに与えると、難しい顔をしていた松本に南部は屯所に知らせを出すか尋ねた。

「今出そうが、いつ出そうが一緒だろう。知らせを出すことはこいつが良しとしないだろうよ」

血の気の引いた顔を見て、松本が額に手をあてる。

松本には、セイが総司と一緒になってもっと女として安全に幸せな道を歩んでほしいと、かつては願っていた。しかし、セイが医師として隊に留まる道を近藤が提案してから、その考えはないものとしている。
いくら公に女子として認められるようになろうと、セイの心には変わることなく神谷清三郎の魂が共存しているからだ。

時折、総司や周りにいる者たちはそれを忘れそうになるようだが、そこは義理とはいえ親である。だからこそ松本は、今回の事でも総司を呼び戻してくれ とは言わなかった。これが、二、三日のことでなかったとしても、知らせはしなかったろう。土方達が知らせるというならその判断に任せはしても。

「こんなところで命を縮めてんじゃねぇよ。でなきゃ……」

―― お前の代わりに儚くなった、まだ形にもなってなかったお前の赤子に顔向けできないだろう

じっとセイの回復を待つ松本の姿に、南部も黙ってつききりでセイを診続けた。

 

隊士が斎藤を呼びにきた。土方が呼んでいるという。
斎藤は、すぐさま副長室に向かった。

「副長、お呼びですか」
「斎藤か」

室内から障子が開けられて、土方が顔を出した。小さく折りたたんだ文を斎藤に握らせると、すっと身を引いて障子を閉めた。斎藤は頭を下げると足早に 歩みを進めて、そのまま屯所を出た。屯所を離れてから、いつもぶらぶらとしている土手の辺りまできて、土方から受け取った文を改めた。

『山崎と合流。監察内を探れ』

くしゃ、と握りしめて、斎藤は文を懐にしまいこんだ。
床伝に向かうのは危険なため、市中の飯屋に入ると、酒を頼み、矢立を取り出した。懐紙に走り書きをすると、店の小者に一分を渡して床伝宛に使いを頼んだ。

しばらくして使いから戻った小者が、すぐに来ますと返事を伝えてきた。そのまま酒を飲みながら斎藤は待った。小女の声がして、目の前に山崎が座った。

「お手数おかけしてすんません」

小さく山崎が頭を下げた。何か今回の事につながる話があるのだろう。
ひそひそと賑やかな店の中で二人は囁きと口の動きだけで会話を進めた。
話がつくと、先に斎藤が立ちあがって店を出て行った。

 

– 続く –