震える夜

〜はじめのお詫び〜
心配は終わりませんね。そういう時代ですから仕方ないのですが。
特にオチらしいオチもないのですが、不安な時間を切り取ってみました。

BGM:Faye Wong  Eyes On Me

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「非常呼集!!一番隊、三番隊!」

屯所に響き渡る声に、セイは誰にも気づかれないようにため息をついた。先ほど監察方の隊士が急を知らせにきていたのを知っている。

おそらく、潜伏している不逞浪士の居場所を掴んだのだろう。支度と段どりが決まればすぐに出動になる。

「神谷さん」
「いつものようにお願いします」

診療所の仕事をする小者達には、セイの心配りが行き届いている。出動の声を聞けば、いつでも傷口を洗うことができるように、いつでも流れる血を止めるために縛るものを。
汚れを拭い去れるように、次々と桶が用意され、きれいな水を汲み、多めに湯を沸かす。

沢山の手拭と、布きれが持ち出されてくる。皆が着古した着物を集めて、きれいに洗い、適度な大きさに揃えたものをここには常に多く蓄えてある。
薬の類は散らばらないようにすべて片付けられ、浴衣が幾枚か準備される。手当を終えた者に着せかけるために。

心得ているとばかりに次々と手際よく整えられていく室内に皆、これらが使われずにしまいこまれることを願う。

門前でざわめきが起こり、次々と隊士達が出張っていくのがわかる。いつも、診療所にいる限り、セイはその時には顔を出さないようにしている。門を出 るまでに総司が一瞬、ここに目を向けることを分かっていても、心配そうな顔を見せるわけにはいかないから、絶対に顔をださないようにしている。

診療所の中ではじわじわと緊張が高まっていき、一刻が過ぎ、二刻が迫ろうという頃、駆け込んでくる誰かの気配に皆がぱっと反応する。

「…が…!……斬られ……」

セイが顔を上げるのと同時に小者達は誰も顔を見合わせることなく、動き始めた。外からすぐに診察室へ運びこむことができるように大きく障子を開く。火鉢に乗せていた鉄瓶から桶に湯を移してすぐ次の湯を沸かしにかかる。幾枚かは湯の中に放り込んで固く絞った。

ほどなく、戸板に乗せられた誰かが運ばれてくる。慌ただしく駆け込んできた隊士達の間でてきぱきと指示を出して、足を斬り付けられたらしい隊士の袴を裂いて傷口を洗って消毒させる。女子だてらといえど、ここでは外科の仕事の方が多いのだ。

「深い……。筋は痛めていないみたいですから、ちょっと縫っちゃいましょう」

小者達に頼んで押さえつけてもらうと、消毒した針で容赦なく縫い合わせて行く。

「うぎゃぉぅぅぐぁぁ」

麻酔もなしに縫い合わせて行かれればそれは痛いのも道理である。奇声なのか唸り声なのかわからない声が上がり、押さえつけていても痛みに体が跳ね上がる。
背後からひょいっと小者を押し退けて斎藤が顔を見せた。

「それほど元気ならば大事ないな」

いつもの顔で淡々と言われると、それまで暴れていた隊士の体が見事に固まって大人しくなった。セイの肩に、ぽんと手が置かれてすまんな、と声が聞こえる。
振りむかずに頷くと、さっさと続きの処置をしてしまう。縫い合わせた後に布をあてがってきつく包帯を巻いた。

ほう、と息をつくと、血だらけの手を洗いに立ち、着替えさせて病室に寝かせてくれるように頼んだ。
壁際で様子を見ていた斎藤に怪我の具合を伝える。

「助かりました、斎藤先生。ちょっと深いんですけど傷自体はそう大きくないです。治るのに深い分だけ時間がかかるかもしれませんけど、動けるようになるのは早いと思いますよ」
「そうか。面倒をかけたな」
「いえ、他の方々は大丈夫でしたか?」
「ああ。あいつも最後の最後で油断したくらいで他はいてもかすり傷だろう」

処置を見届けた後、病室送りになった隊士の報告に斎藤が副長室へ向かうと、セイは汚れてしまった着物を替えに奥に入った。汚れないように上に地味な色の上着を着てはいたものの、出血が多いとどうしても着物を汚してしまう。

「神谷さん」

そこにひょいっと総司が顔を出した。セイはその姿を見て微笑んだ。

「お疲れ様です。お怪我がないようでなによりです」
「斎藤さんが来たので、もう処置が終わったころかなとあたりをつけてきましたよ」

軽く総司の体に半身を寄せるようにして、セイがその無事を確かめる。

「また、二人とも着物を作らなくちゃいけませんね」
「……ばれましたか。昨日は屯所に泊まっているから着替えてくればわからないと思ったのに」
「わかりますよ、そんなことしたって」
「だって、今日は朝から顔を合せなかったし、出動の時も見送ってくれなかったでしょう?」

そんなことをしなくても総司のことならわかる。子供のような誤魔化しに笑ってしまう。

「結局、着物を持ち帰ったらわかっちゃいますよ」
「うーん。今日のはたぶん……無理かな」

その言葉で今日の相手が強く、手加減することもなく返り血を浴びてしまったことがセイに伝わる。ぎゅっとそれまでより強く抱きついたセイを両腕で優しく抱き抱えながら耳元に微かな笑いが聞こえる。

「なんですよぅ。甘えてますねぇ」
「……今日も」

ぐっと、喉にこみ上げた塊を飲み込んで、セイは抱きかかえられたままで告げる。斬られた隊士は、夜半には熱を出すだろう。今日のところはついていた方がいい。

「今日も屯所に泊まることになりそうです」
「そうですか。じゃあ、あとで一緒にご飯を食べましょう?」

こくこくと頷くセイを宥めるように背中を優しく叩かれた。

「そんなに心配したって何も変わりませんよ」
「分かってます。心配なんてしてません」
「嘘つきだなぁ……」

そっと片腕を掴まれて少しだけ体が離れると左の手首の上のほう、着物で隠れるあたりをくいっと曝された。そこには、出動の声を聞いてから、皆が戻るまで掴んでいた爪の跡が残っている。

初めは掌だった。強く握りこまれて、血のにじんだ掌を見つけて総司はひどく怒った。それからは見かけなくなっていたと思ったが、このところまた続き始めた出動に、癒える前に次の爪跡が重なっていたことで気がついた。

「着物に隠れて見えないからわからないと思いました?」

すうっと総司の顔から笑顔が消える。腕を隠そうとしても、軽く掴まれているはずの腕が外せなくてセイは身を捩った。

「……心配なんかっ」

癒す様に爪跡の傷口に総司が唇を落として、セイは自由なほうの片手で口元を覆った。
いくら大丈夫だと言っても、いくら覚悟を決めていても、きっと無事で、きっとその笑顔で戻ってほしい、と思う気持ちは変わらない。

いつものことだといくら言っても聞かないのも分かっている。同じ屯所にいられることになった今であっても、もうセイは共に闘う立場にはいないのだ。

「……心配するなとは言いません。でもこうして自分を傷つけるのはやめなさい」

以前にも言ったことを総司は繰り返した。こうして腕に抱いていてもその不安が消えないことも分かっている。それでも、待っている間に、こうしてセイがいつも自分を傷めつけるのは許せなかった。

「……ごめんなさい」

小さな、小さな声が聞こえて、再び総司はセイを抱きかかえた。
こうして、セイが震える手を握り締めて自分を待つことがなくなることがないこともわかっていて、それでも自分達は少しでもこうして寄り添って生きる時間を大事にしたい。

「今日は仕事で泊まりなら私は隊部屋で休みましょうか?」

いつものように確認する。セイが仕事で屯所に泊まるということは、夜中も患者の面倒をみるということだ。総司は構わないといっても、セイはそういうときに総司に隊部屋で休んでもらうようにしていた。
何度も出入りする自分が寝ている総司を起こしては悪いからと言ってきかないのだ。総司も、それがセイの仕事であるから無理にとは言わずに、そうしていた。

顔を上げたセイが、少しだけ潤んだ目で言う。

「今日は、嫌じゃなかったら一緒にいてもらえますか?起してしまうかもしれませんけど……」
「いつも言ってるでしょう?そのくらい構いませんって」

いつもの笑顔で総司が答える。頷いたセイは、総司から離れた。総司も一緒に病室を抜けて、幹部棟へ戻っていく。

「じゃあ、また後で」
「はい」

後姿を見送って、セイは薬を整え始めた。炎症を抑え、痛みを和らげて眠れるようにとしながら、時折腕を触ってしまう。

こんな風に、今日斬られた人にも待ち続けている誰かがいたかもしれない。思っても仕方のないことだとわかってはいても、心の中で願う。

いつか、何の疑いもなく明日を迎えられる日が来ればいい。いつかそんな時代になったら、そんな時代に生まれ変わったら。
こんな震える夜を過ごさなくていい日を願って、セイは心の中で手を合わせた。

 

 

– 終わり –