天にあらば 20

〜はじめのつぶやき〜
なんだか機嫌が良くないようです。だーけーどー?
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ひどく機嫌の悪い雲居とその日は全く顔さえ見せずに出立の支度を済ませてしまった宮様といい、どうにもおかしかった。雲居の籠についた総司とセイは、雲居の機嫌の悪さにさんざんふりまわされつつ、その日の行程をなんとか終えて宿に入った。

宿と言ってもその日の宿泊は神社を借り受けたもので、一行が落ち着いたのは予定よりも遅くなってからだった。セイは雲居に付き添って、その様子を見るとあまりよいものではなかった。どうやら機嫌の悪さはこの体調の悪さからきているのではないかとも思える。

「雲居様、少しこの薬湯をお飲みになれば楽になりますよ」

あらかじめ南部と打ち合わせて、具合が悪くなると思われる症状に合わせて薬湯を準備してきていた。眉間に皺を寄せた雲居は、セイの言葉にも耳を貸そうとせずにぷいっとそっぽを向いた。

時折、無意識に腹を撫でているのが、説明しがたい不調を表わしていてセイもそれを見過ごすことができなかった。

「雲居様。どうぞ薬湯をお飲みください」
「まずそうだから嫌」
「では、お飲みになられたら昨夜お出しできなかったものを差し上げましょう」

セイが引き換えに出したことで、しぶしぶと雲居は茶碗に手を伸ばした。一口飲むと、その味に苛立ったのかセイに向かって茶碗を投げつけた。中身はぬるく作ってあったが、膝の上にぶちまけられた薬湯はセイの袴にしみ込んでその独特の薬臭さを部屋中に漂わせた。

「こんなものっ」
「雲居様っ、神谷さまはお医師として……」
「医者でも何でも嫌なものは嫌」

慌ててかさねが諌めようとするが、今日の雲居はどうにも言うことを聞きそうにない。セイは投げつけられた茶碗を畳の上に置いて、もう一包をかさねに向かって渡した。

「かさねさん。もう一度、これで薬湯をお願いします。ずんと薄目にしても、全部飲んでいただければかまいませんから」
「かしこまりました。神谷様、お着換えになりませんと……」

部屋に置かれた火鉢から湯を注いでもう一度薬湯を用意しながら、かさねが気遣わしげにセイを見た。セイは雲居が半身を起している床の傍に座ったまま、茶碗を投げつけられても全く動じない。

いくら移動の可能になった時期とはいえ、妊婦である雲居がこのように体調によって不安定になることは想定済みだ。一緒になってうろたえてしまっては、雲居が余計に不安定になる。

セイは薬を取り出した荷物から、小さな包を取り出して、懐から出した懐紙の上にかわいらしい干菓子を乗せた。

「日持ちのするものしか持ってこられませんでしたので、こんなものしかありませんが、口直しになるでしょう。夕餉は無理していただかなくてもいいでしょう。一日位食べなくったって、そうそう障りはないでしょうから」

自分がしたこととはいえ、まともに受けたセイにほんの少し罪悪感を覚えていた雲居は、しぶしぶ再び薬湯を口にすると、何口かは我慢して飲み込んだ。そして、セイの差し出した干菓子に手を伸ばすとそれを口に放り込む。

舌の上に広がる甘さでほうっと、その顔が緩んだ。

「もし飲めるようなら残りも明日までにお飲みください。少し横になってお休みになるといいですよ」
「わかったわ……。神谷殿」
「はい」
「……少し下がって休んでいいわよ。ここにはかさねもいることだし、お隣の部屋にいる沖田殿と一緒に控えの間に行って休むといいわ」

素直な雲居の反応にセイは、にこりと笑った。
本当に正直なのだろう。自分でもどうしようもない体調に不安がるのも仕方がない。

「お気遣いありがとうございます。着替えのために少しだけ外させていただきますが、代わりに土方と斎藤が参ります。ご安心ください」

今日は籠の警護にはついたものの、宮様のほうは顔さえ見られずにいる。部屋のそばで警護と言ってももう致し方ないのだろう。それならば、土方たちに交代を頼める。

雲居が頷いたのをみて、セイは隣の部屋への襖を開いた。昨日よりだいぶ手狭な隣室にいた総司は話が聞こえていたので頷いた。

「先に神谷さんがお戻りなさい。着替えないと……」
「わかりました。すみません」

荷物を手にしたセイは、雲居に頭を下げて隣室から部屋を出た。とにかく着替えがいる。
教えられた自分達用の部屋に行くと、土方と斎藤に事情を説明して、交代を願い出た。

「よし、お前たちは今日は休んでいいぞ。俺と斎藤で宿直をしよう」
「ありがとうございます。でも、雲居様の体調が今日はあまり良くないみたいなので……」

言外に、自分はついている、というセイを斎藤が止めた。

「気持ちはわかるが何かあればどの道お前には起きてもらう。だから今日は体を休めろ」

宿直についていたセイと総司は仕方がないが、昨日も今日も土方と斎藤はすでに湯を借りるのも済んでいた。確かに自分の姿が余りにひどいのをもう一度見直すと、セイは頷いた。

「わかりました。それでは今日は休ませていただきます」
「よし。じゃあまずお前は湯をいただいてその薬湯まみれをなんとかして来い」

セイは言われるままに、着替えを手にすると湯を貰いに行った。

風呂から出ると、神社の者の心遣いで汚れた袴を濯いでもらった。替えはあるものの、今夜のところは長着姿で過ごすことにしたセイは控えの間に戻った。

「おかえりなさい、神谷さん」
「沖田先生。戻られていたんですね」
「ええ。貴女はとは別に、向こう側で私もお風呂をいただいてきましたよ」

にこ、と笑った総司に迎えられて控えの間に入ったセイを待っていたかのように、宮様付きの夏が現れた。すうっとセイを庇うように前に出た総司は、夏に向かって穏やかな顔のまま警戒を向けた。

「何かご用でしょうか?」
「はい。宮様が雲居様が神谷様へ失礼があったようなので、それをお詫びしたいとおっしゃっています」

先刻の薬湯の件を聞き及んで、セイを呼んでいるという。宮様のお呼びなら断れないと、セイが着物を整えるために立ち上がる。

「お気になさらずにとお伝えください。我々は警護のために来ておりますし、神谷は医師として同行しているものです」
「はい。それはお伝えさせていただきます。神谷様、こちらでお待ちしていますので、お支度ができましたらご一緒に宮様のところへおいでいただきます」
「……お呼びなのは神谷ということでしょうか」

セイだけを呼んでいるという話に総司の顔から笑みが引いた。夏や秋が何をするかわからないのはこの前十分わかったのに、宮様本人が出てくるのかもわからないところにセイを一人で向かわせるわけがない。

「神谷様をお呼びですので、沖田様はお控いただけますでしょうか」
「神谷はうちの者です。必要であれば副長の土方がおりますが」
「宮様からご本人へお詫びするということです」

穏やかな会話だが、どちらも全く退く気がない会話に、セイが割り込んだ。このままではいずれにしても埒が明かない。

「わかりました。まいりますので、少しお時間をいただけますか?着物を替えますので」
「神谷さん」
「沖田先生は、先に夕餉をいただいていてください」

貴女は、と口を開きかけた総司も、仕方がないと思ったのかため息をつくと、廊下に続く障子を閉めた。セイは新しい着物と袴を取り出して着替えにかかった。
手早く着替えを済ませると、総司にだいじょうぶですから、と囁いて廊下へ滑り出た。

待っていた夏についてセイは宮様の休む部屋へ向かった。廊下の気配が離れるとすぐに総司は廊下へ出た。自分が出るよりも、土方か雲居を動かすほうが早い。

雲居がいる部屋へと足早に向かった。

 

 

– 続く –

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