風天の嵐 5

〜はじめのつぶやき〜
過保護な方がよかったんですよねぇ。あーあ。

BGM:土屋アンナ Voice of butterfly
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南部医師の家まで送り届けられたセイは、南部の家に上がってようやく深いため息をついた。奥の部屋から顔を出した松本が眠そうに現れる。

「なんだ、お前。随分早いじゃねぇか」
「医学書を写させていただきに参りました」
「そら、構わねぇけどよ。お前は来週でいいって言ってたじゃねぇか」

眠い目を擦って、熱い茶を淹れてきた南部をちらりと見る。南部は、セイが必要な医学書を取りだしながらにこにことセイにも茶を勧めた。

「私はいつまででも構いませんからね。家の中が明るくなります」

単純に女手としてもそうだが、事実、ここにいればいセイも実家代わりとして相談もできる。セイの様子からひと悶着はあったらしい様子に松本は仕方なく頷いた。

起きたしてきた松本にも熱い茶を入れると南部はセイの土産を手に台所へと向かった。

「だって!私だっていくらなんでも無茶なことはしませんよ!」

医学書を写しながらセイは隣で寝そべりながら話を聞き始めた松本にぶつぶつと文句を並べ立てていた。指導という名目のもとに、茶々を入れていた松本が笑いながら応じた。

「仕方ねぇ。お前にその手の信用がねぇのは自業自得ってぇもんだろう」
「義父上!」

むっとして振り返ったセイはその勢いでせっかく写していた医学書に黒々と染みを作ってしまった。
思わず、叫んでしまう。

「あ~!」
「馬鹿め。よそ見しながらやってりゃあたりめぇだ」

からからと豪快に笑っていた松本は、ふっと起き上がると表情を引き締めた。

「だがな、セイ」
「はい?」
「お前も武士だったはずだ。無駄に手前の旦那を心配させるような真似するんじゃねぇぞ」

じろりと睨まれたセイは、むっとしたものの顎をひくようにして、頷いた。

「……わかってます」

わかっているから昨日の不審な気配についても総司には黙っていたのだ。
あれから午後は特におかしな気配などはなかったが、夜になって総司が戻ってくるまでの間、セイはひどく不安だった。

何かよくないことが起こりそうで、どうにも落ち着いて座っていられなかったのだ。屯所の門限ぎりぎりの時刻になって、総司が家に帰ってきたころには、そんな雰囲気は微塵も見せなかったセイだが、内心は形の見えない不安を感じていた。

けじめをつけろと言ったところで、松本は部屋から出て行き、代わりに南部が新しい茶を淹れて持ってくる。

「今日はあまり進まないでしょう」
「どうしてですか?」
「今日の神谷さんは医学を修める状態ではありませんから」

にこやかな顔をしているが、南部は伊達に松本の弟子ではない。ぴしゃりと今日のセイには医学書を手にする資格はないと言うと、セイの目の前に積んであった医学書を閉じた。

「また今度改めておいでなさい。そんな状態では何も頭には入らないでしょう」
「すみません……」

取り上げられた医学書をみて、セイは南部に頭を下げた。確かに、こんな気持ちでは南部の言うことももっともだ。なんだか、うまくいかないことが悔しくてセイは悲しくなってしまった。そんなセイに切り替えなさいと言わんばかりに南部が話しかける。

「では、神谷さん。少し気持ちが落ち着いたら、無理をしないでお迎えに来てもらったらどうですか?……沖田先生に」
「そんな……先生は、お忙しいですから」

しょんぼりとお腹に手を当てたセイに南部がくすくすと笑いだす。本人は隠しているつもりだろうが、松本や南部にはよくわかっていた。
このところ、というよりお腹が大きくなり、産み月が近くなるにつれて、今まで以上にセイが無理をおしても元気で張り切っている。それは、初めての出産に対する不安の表れなのだ。

母や姉がいたわけではない。そして、年頃になってからはずっと男所帯で男として暮らしてきた。
常にあるべき姿を求めて、時には肩に力が入りすぎるくらいだったセイだったが、今度ばかりは、努力してどうにかなるわけではない。

日に日に、変わっていく体。思うに任せない日々。

それでも、赤子に対する思いは格別で、どうか無事に、と思う反面、身軽であればいつでも総司の傍にいて、何かあれば駆けていけるのにと思ってしまう。

その矛盾する不安定さや不安を押し殺しているからこそ、総司や皆に心配をかけるとわかっていても、極力いつも通りに隊務をこなし、何も変わりないのだと見せたかった。

「神谷さん。いいですか?」

南部が丁寧に、セイのすぐそばに腰を下ろした。座る姿もぴしりと決まっていて、やはりその姿が立場を表すようだ。そんな南部がセイに静かに言って聞かせる。

「母体が緊張すれば赤子も緊張するものです。無理は禁物ですよ」
「……わかってます」

―― ならいいんですけどねぇ

南部にとってもセイは娘のような存在になりつつあったのだから、松本同様に総司とセイの事をよくよく見守っている。ぽん、と頭に手を乗せると、屯所に向けて迎えを頼む文をしたためた。

 

少し早めに昼餉を取らせて迎えが来るのを待っているとやはり現れたのは総司ではなく、山口と相田が迎えに来た。

「申し訳ありません。南部医師。沖田先生はどうしても所用で手が離せなくて……」

しばらくぶりで話がしたいので、総司に是非迎えに来てほしいと書いていたのだが、どうしても来られなかったらしい。申し訳なさそうに山口が頭を下げるのを見て、軽く手を振った。

「いえいえ、お仕事ですから仕方ありませんよ。それよりも、神谷さんをよろしくお願いしますね」
「もちろんです」

今日は帰る気にならないのかも、と思っていた山口達も、セイが早い時間に戻る気になったことにはほっとしていた。これ以上、総司や土方に心配をかけないでくれというのが一番隊の切なる願いでもある。それと同時に二人が仲良くやってくれることも願ってはいた。

セイの荷物に手を伸ばすと相田がそれを引き受けて、山口がセイに手を貸すと素直に、草履に足を延ばす。

「本当に、俺達で悪いな。神谷」
「沖田先生は、急に特命で外出されたからさ」
「うん。ありがとうございます」

にこりと笑ったセイに、ほっとして、南部や見送りに出た松本に向かって頭を下げた。そこに、慌ただしい足音が聞こえて皆が顔をみあわせていると、がらりと格子が開いた。

「すみません!遅くなって!!」
「沖田先生!」

汗だくになった総司がなんとか駆けつけてきたらしい。どこから駆け通してきたのかはわからないが額に汗が浮かんでいる。
山口と相田も驚いた顔をしていたが、セイの方が一番驚いていた。それに構わずに、セイの顔をみてほっとした総司は南部と松本に無沙汰を詫びて頭を下げた。

 

 

 

 

 

– 続く –