阿修羅の手 16

〜はじめのつぶやき〜
先生ってば・・・それは乗せられたからなのか、本音なのかどっちなのでしょうね。

BGM:嵐 Happiness
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夕餉を済ませて、賄いに運ぶくらいはやるといったが、そのくらいなら仕事をかたづけてしまえと言われたセイは、しぶしぶ総司に任せると、残っていた仕事を片付けた。

一通り、今日の報告書まで仕上げると、頃合いを計ったように総司が表から顔を見せる。

「そろそろ終わりましたか?」
「はい」
「じゃあ、お風呂の支度できてますよ」

セイの着替えも何日か急な泊まりになってもいいように用意を置いてある。それを手にすると、総司の後を追って階段を下りた。
診療所のために作られた一つだけの風呂は、きちんと囲いをされていてあたりからは覗けないようにはされているが、どうしても男所帯のことだけに、なかなか一人で入るには憚られる。

お里がいるときは、交代で周りを見ながら入ることもできたが、ここしばらくはそれもなかったので久しぶりのことだ。

「すみません。沖田先生」
「構いませんてば。なんだか懐かしいくらいですよ」

昔もセイがこうして風呂を使うときは、総司が見張りに立っていたものだ。

ぴたりと閉めた戸に寄り掛かった総司は、ぼんやりと上を見上げた。

「ねぇ、神谷さん」
「はい」

中の戸が閉まった音がして、セイが湯をかぶっている音がする。それが少しして、静かになるのを待って総司が話しかけた。

「立石さん達、わかってくれましたね」

湯に浸かっているセイはそれを聞いて、やはりと思った。土方が顔を出したときも思ったが、セイを今日、現場に同行させたのは立石達、新人隊士にセイのことを理解させるためだったのだ。

「なんだか……。私が至らないのに申し訳ない気がして」
「あなたがどうかしたわけじゃないでしょう?立石さん達が思うことももっともですし、ほかでならあり得ない話だと思ってますよ。でも、ここはここ。新撰組には新撰組のやり方があるんです。それの一つを知ってもらっただけですよ」

セイが思ったのは、自分が下に見られることよりも、総司たちに迷惑がかかることだ。それを思うと、どうしても複雑な気分になる。

だが、表から聞こえてくる声はどこか誇らしい声音だ。

「馬鹿ですねえ。あなたがそこで、自分のためだけに物事を考える人だったら土方さんや近藤さんも、斉藤さんだって、手を貸してはくれませんでした よ。でも、あなたはいつも、隊のこと、私のこと、近藤さんや土方さん、斉藤さんや原田さん達みんなのことを考えてくれる。だから、私たちもあなたのことを 信じる。それだけのことですよ」

懸命になって足掻くセイだからこそなのだ。本人が思っていてもいなくても、周りは思った以上に頑張っている姿を認めている。

「そんなあなただからこそ、今日だって、立石さん達もちゃんと認めて謝ってきたんでしょう?あなたはあなたにできることをすればいいんです。これまでどおりね」
「……副長からお聞きになったんですか?」
「ええ。これまで通り寿樹を連れてくるように、それと稽古に参加するように、ですよね」

最後はセイの好きなようにさせようと思っていた総司だが、土方にぴしゃりといわれた。

「手前もあれの亭主だろうが。好きにさせるのも大事にしてるのかもしれねぇが、迷ってるときはお前が叱ってやれ。嫁になったからって妙な遠慮すんじゃねぇよ。誰よりも、あれのことをわかってるのもお前だろうが」

だからこそ、珍しく突き放したような物言いをしてみたが、総司もその方が自分たちらしいと思った。セイが隊士だった時と同じにする必要はないが、それでも年の功ではないが、どうしても経験の差はある。

見える者と見えない者の差もある中でセイはこれまでもひどく背伸びをしてきたから、うっかりしていたのかもしれない。

時々、肩に湯をかけているのか、小さな水音がする。

「全体稽古でも構いませんし、うちの隊の稽古でも構いません。時には竹刀を振り回しにいらっしゃい」
「よろしいんですか?」
「ええ。あなたには寿樹だけじゃなく、いざとなればお里さんや正坊を守るという仕事もありますからね。鈍った腕じゃ困ります」

ばしゃっと大きな音がして、風呂桶からセイが出たらしい。しばらくは水音が続いて静かになる。

セイ一人のための風呂だと思えば贅沢でもあるが、滅多にないだけに許可は下りていた。目を閉じた総司は、腕を組んで待っていると、中から戸が開く。

「もっとゆっくり入っていてもいいのに」
「いえ。久しぶりなのでありがたかったです」

温まったセイの手を引いて、診療所の階段を上る。セイが手拭いを干している間に、二人分の布団を敷いてしまった。

「正直、隊部屋の布団より、こちらの布団のほうがいいんですよね」

苦笑いを浮かべた総司にぷっとセイが吹き出す。それは確かにそうだろう。隊部屋の布団は、月に二、三度干せばいい方だが、診療所で使う布団は天気がいい日は毎日でも日に当てる。

いつ何時、病人や怪我人が出るかわからないからだ。一応、セイと総司が使う布団は決まっているが、診療所の布団を干す時に一枚や二枚増えようが大差はないのだ。

今日は疲れたから早く休みましょう、といっても、とうに消灯の時間は過ぎている。

行燈に覆いをかけて、総司の隣に横になったセイは、隣で腕枕でセイを見ていた総司に引き寄せられた。

「まったく……。どうして私のお嫁さんはこんなに頑張り屋さんで働き者で落ち着きがないんでしょうねぇ」
「沖田先生、それ、褒め言葉になってません!」

二つ布団を敷いてあるのに、一つの布団に入って間近になった耳元に不満を言うと、仕返しとばかりに首筋に口づけが落ちてきた。

「!」
「先生はおしまいですよ。布団に入った後くらいはあなたの連れ合いに戻してください」
「だ、だ、だって、ここっ!先生っ!ここ、屯所ですからっ」

ぴたりとセイを抱きしめて気持ちよさそうに頬を摺り寄せる総司に、セイが慌てて腕を突っ張った。誰が覗くわけでもないが、職場であることには変わりない。
そんな場所でと思うと顔から火が出そうな気持になる。

「わかってますけどねぇ。これも命令なんですよねぇ」
「はぁ?!」

今にも怒り出しそうなセイをなだめながら、セイの耳を噛むように総司が囁いた。

―― 土方さんから、さっさと次の子供を作れって言われてまして

「!!」

本気で言っているのかと飛び上がりそうになったセイの唇を悪戯のようにそっと啄むと、もっと声を落とした甘い声が耳元を掠める。

―― 今は我慢しますけど、家に帰ったら立石さん達が聞いたらのぼせるくらい可愛がってあげますよ

総司とセイが夫婦だということも初めの頃は疑ってかかっていた新人たちを引き合いに出した総司に、ぎゅっと目を閉じたセイが総司の胸元をたたく。

「じょ、冗談じゃっ」
「こら。あんまり暴れると、我慢するのやめますけどどうします?」

ぴたり。
セイのあれこれに付き合っているからなのか、もとからなのか、たちの悪い脅しを口にした総司に、動きを止めたセイは、呼吸まで忘れそうになって大きく息を吐いた。

―― ……よ、よかったのかな、これで……

いつからか、堂々と開き直るようになった総司に気取られないように、その胸に額を押し付ける。
セイにとっては良くも悪くも、いつもと変わらないというのが一番なのだと思い知ったのだった。

– 終わり –