阿修羅の手 1

〜はじめのつぶやき〜
すいません、すいません。我慢できず・・・

BGM:嵐 Happiness
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「神谷さん」

診療所で洗い上げた包帯を巻いていたセイのところへ総司が顔を見せた。ぱっと顔を上げたセイの髪が揺れる。長くなったその髪に視線は流れたものの、それに気を取られてはいけないと自分を諌めた総司はこほん、と咳払いをする。

「沖田先生。あとでこちらからお部屋のほうへ伺おうと思っていたところです」

顔を上げていても、手慣れたセイの指先は包帯を巻き続けている。だが、ふと総司のこめかみがひく、とひきつっているのをみて、手を止めた。

「どうかなさいましたか?」
「どうかなさいましたか、じゃありません!」

まわりにいた小者達も初めは何かの仕事のついでに顔を見せたのかと思っていたが、どうやら総司が怒っているらしいことに気づいて雲行きが怪しいとセイの手から包帯を奪い取ると、部屋の隅のほうへと座を移していく。

怪訝な顔で、セイはきちんと座りなおすと目の前の座布団を総司に勧めた。

「どうぞ。その、差支えなければお怒りのわけを教えていただけないでしょうか」

眉間の皺をなるべく抑えたつもりでも、普段から昼行燈のような総司の顔が曇れば誰にでもわかる。これはよほど機嫌が悪いと、セイも身構えはしたが、叱られる理由も心当たりがなかった。

むすっとした顔でセイの目の前に腰を下ろした総司は、じっと目の前のセイを睨むと深いため息をついて口を開いた。

「いいですか。入りたての新人隊士に向かって、このくらいの血では死なないというのは構いませんが、そこにお産の時の様子を引き合いに出して叱るのはやめてください」

むーっとした総司は、つい先ほど隊部屋でその話を聞いて、どっと力が抜けてしゃがみこみそうだった。

これまでにないほど隊士たちが増えている昨今、一番隊でも数名の隊士が新しく加わっていた。もちろん、仮配属の身でその腕前や度胸などをみて正式配属が決まるのだが、それにしても、一番隊の稽古についていくには並みではない。

朝の稽古だけでもへとへとになる上に、使い物になるのか否かを確かめるためにも、この時期の一番隊から三番隊までの稽古は猛烈なものになる。
しかも、その合間に巡察があり、捕り物があれば、慣れぬ者は怪我も多くなる。

おそらく、町道場の稽古ではならした者達なのだろうが、実践を伴う隊においては子ども扱いである。

「いてぇ……。やべぇ。もうだめだ……」

膝頭のあたりをぱっくりと割ってしまった隊士が両脇を抱えられて担ぎ込まれてきたのは昼前のことだった。本人は今にも死ぬと大騒ぎで顔面も蒼白だったが、運んできた小川と町田はこの手のことには慣れきっている。

ぽいっと診療所に放り込むとさっさと戻って行ってしまった。

「ひでぇ。先輩方、つめてぇ……」

瀕死の体でふらふらと手を挙げた隊士は、ぱたりと力尽きたように手を落とした。

「馬鹿なこと言ってるんじゃありません!!」

隊士にとっては、頭から冷水をかけられたほうがまだましだったかもしれない。奥から小者に呼ばれて現れたセイは、てきぱきと着物を汚さないように前掛けをして襷を駆けまわすと、小者が差し出した消毒のための酒を手にしていた。

何の躊躇もなく、袴の裾をぺらりとめくりあげると、傷口に巻かれていた手拭いを乱暴に外して、代わりに酒を勢いよくかけた。

「あ゛~~~!!」
「このくらいで騒ぐな!!」

絶叫を挙げた隊士をいつの間にか小者達がとりかこんでいて、にこにこと笑みを浮かべた姿に似合わず、がっちりと手足を抑え込まれていた。

脳天まで突き抜けそうなほどの痛みに叫び声をあげる隊士に向かってどなりつけたセイは、処置のための道具が入った箱を差し出されると、それに手を伸ばす。
針を手にすると、ぶすっと傷口に突き立てた。

「ぎゃぁぁぁぁ!!」
「うるさいなー。こんなの女子のお産じゃ序の口ですよ。もっと出血するし、もっと痛いし、こんな風に目に見えて手当ができるわけじゃないんですよ。それに比べたら、武士が情けない」

途中まではぎゃあぎゃあと叫ぶ声が聞こえていたが、ふとセイが針を置くころには静かになっていた。

「あれ?」
「とうに気絶してますよ、神谷さん」
「えぇ?!もう、本当に情けないなぁ。私が新人隊士の頃なんか、張り飛ばされるのも日常だったのに」

そういう問題ですか、と苦笑いする小者に傷口に塗る薬を指示すると、手際よく油紙を間にして包帯が巻かれていく。手をすすいだセイは、うーん、としばらく唸ってから棚に手をのばすと弱い痛みどめを取り出した。

「目が覚めて、痛いってきっと騒ぐでしょうからこれを飲ませましょう」
「承知しました」

くすくすと笑いをかみ殺す小者達が診療所の部屋の中を片付けていく。とうに慣れっこになり、外科らしい荒っぽい治療だが、手際もよくきれいな処置を済ませるセイは、ふ、と肩から力を抜いて隊士の名前と傷の具合を書き留めていた。

「申し訳ありません。あまりに大騒ぎするものですからつい……」
「つい、じゃありませんよ!仮にもあなたはこの新撰組の隊医なんですよ?!」

男所帯でしかも泣く子も黙るという新撰組の隊医が女子のお産を引き合いに、怪我を叱るようでは面目などあったものではない。
目の前の床をばしばしとたたきながら怒る総司に手をついて頭をさげたものの、セイは悪びれた様子もなかった。

「申し訳ございません。ですが、この新撰組においては、今日、治療した怪我など日常のことではありませんか。それを恐れないようにと、思ってのこと。どうかお許しくださいませ」

ぐむむ、と言葉に詰まった総司とセイの様子に、小者達が一斉に背を向けて肩を震わせた。もはや恒例になりつつあるこの二人のやり取りに毎度のことながら、ほほえましいというかなんというか、笑いがこみあげてしまうのだ。

近頃ではすっかり総司のほうがセイの掌の上に乗せられてしまう姿がまた、小者達の笑いを誘う。

深々とため息をついた総司は、がっくりと肩を落とした。
包帯を巻かれて早々に診療所から放り出された新人隊士は、泣く泣く隊部屋に戻ると誰かれなくセイの手当がひどいの、こんな話は聞いたこともないのといい始めたのだ。

「仮にも武士に対して、女子があの尊大な物言い!このような真似が許されましょうか!」
「はいはい。そうだな。まったくだ。それを沖田先生に申し上げてみたらどうだ?聞いてくださるかもしれんぞ?」
「もちろんですよ!」

きっと、総司ならば一番隊組長として威厳ある態度であの女医を諌めてくれるに違いない。

そう思って、新人隊士はほかにもセイに叱り飛ばされたほかの隊の新人とともに、総司にご注進に及んだのだ。

「いいですか。私の立場というものもですね」
「はい。沖田先生のお立場を気まずくさせるようなことはしておりませんが、留意させていただきます」

十分わかっているのだろう。セイは、しおらしく頭を下げて詫びを口にするかぎり、これ以上しつこく言い続けても仕方がない。
あ、の形に開いた口のまま、しばらく固まってしまった総司は、何かを言おうとしてしぶしぶ口を閉じた。

「……よろしくお願いします」
「承知いたしました」

診療所に顔を見せた時とは違って、がっくりと肩を落とした総司はしょんぼりと診療所を出て行った。

 

 

– 続く –