ひとすじ 18
〜はじめのつぶやき〜
怒涛なのだー。
BGM:May’n ユズレナヒ想い
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自分に向かって振り下ろされた刀が当然目には入っていたが、新之助はそのまま刀を抜き払った。道場で永倉に向かっていった時とはまったく違っていて、驚くほど冷静に伊庭の動きを見ている。
隣に永倉がいる以上、本気で新之助へ振り下ろしているのではなく、威嚇のために振り下ろした一刀で新之助がその場から離れれば、そこを狙うつもりだった。
動かずに刀を構えた新之助に、ちっと舌打ちをした伊庭は左足を引いて間合いを広げた。背後の捕り物にははなから目もくれずに刀を構える。
「仕方ねぇなぁ。笠井、いや、坪井新之助、助太刀仕る!」
先程の浪士達を斬り倒した腕からしても、新之助ごときが歯が立つ相手ではない。
鞘口を押さえて抜刀した永倉は、腹のそこからの気合声を発し、斬りかかった。
ぎんっ、と刀を合わせたかと思うと、ほんのわずかに欠ける刃が飛び散るところが一瞬の煌きを見せる。灯りを高々と掲げたセイは、近藤と総司の傍で固唾を呑んで見守っていた。
「なぜだ!新八!」
組み合っては間合いを取る二人がくるくると場所を変える中で伊庭が叫んだ。
「俺はお前こそが、真の仲間だと思っていたのだぞ!」
どこまでが本気なのかわからないが、伊庭はそう叫ぶと永倉のクセを読んで、右から腿の辺りに向けて斬りつけた。身を捻って、かわした永倉と伊庭の斬り合いを先程と同じ位置に立ったまま、新之助がじっと見ていた。
「何を言いやがる!アンタは誰一人として芯から心を預けた奴なんかいねぇだろう!!」
得意の下段から、振り下ろされる刀を擦りあげたところで弾き返される。
再び離れたところで、だらりと伊庭が刀を片手持ちにして下ろした。
「?」
怪訝な顔をした永倉を前に、伊庭は総髪の髪を掻き揚げていびつに歪んだ顔で嗤った。
「よく言った!!そうだとも!俺は誰一人信じちゃいねぇ!俺だけが生き延びればいいのさ!!」
片腕に握られた刀を体の横にして猛然と駆け寄ると、永倉の得意な下段からの斬り上げと同じように、永倉の懐に向かって切っ先を切り上げざまに両腕で刀を掴んだ。
早さと勢いがついた一刀を受けて、永倉の羽織の紐が飛んだ。
「……!」
伊庭とは逆に、上段に高々と掲げた永倉の刀の切っ先が伊庭の前髪の辺りを浅く斬りつけた。額の皮一枚というところだったが、つぅっと流れる血に一瞬の隙が生まれた。
「たぁっ!」
伊庭が返す刀で斬り付けるよりも先に、骨も砕けよ、とばかりに打ち払った永倉の刀が伊庭のあばらを直撃した。
「ぐぅっ……!」
「新之助!祐殿!」
呼吸をするための横隔膜のあたりを思い切り峰で打ち叩かれた伊庭の息がつまったところに、永倉に呼ばれた新之助と祐が駆け寄った。
「伊庭兵衛!父の仇!!」
くぐもった音をさせて、新之助の刀は永倉が打ったあばらの下側から真っ直ぐ吸い込まれるように、心の臓まで突き刺さった。
「おぁぅっ!このっ……」
深々と刺し貫かれながらも新之助の体を押しやって、伊庭が刀を持ち上げようとした処に祐が懐剣を手に回り込んで、背中から深々と突き刺した。
心の臓と肺を深々と貫かれた伊庭は、何かを言おうと開けた口からおびただしい血を吐き出すと、がくりと膝をついた。
俺が負けるはずがない。
そう思っていた伊庭兵衛の両眼が暗闇を見た。己がこれまで手にかけてきた者達が暗闇の中で伊庭を呼んでいた。もがいて、逃れようと手を伸ばしたところで、大きな体が前のめりに崩れ落ちた。
呆然と血にまみれた姿で立ちすくむ新之助と祐に近藤の声が響いた。
「見事!坪井数馬の仇、討ち取った両名、しかと見届けさせて頂いた」
はっと我に返った新之助と祐は互いに手を伸ばした。白い装束に血のついた手の跡がつく。
「母上……。ようやく、ようやく父上の仇をとることが叶いました……っ」
「新之助っ……」
仇など討たなくてよいと思いながらも、どこかで祐は捨てきれなかったのだろう。新之助の本当の名と姿を隠すために、好いてもいない笠井老人と結縁し、その身を委ねてまで新之助を立派な武士にと願った。
幼き頃から数馬と永倉と三人で過ごした江戸の町を思い出す。
とうに不逞浪士達を捕縛した一番隊と二番隊の隊士達は、その半分が浪士達を町方へと引き渡すためにその場を離れており、残った二番隊のほとんどの者たちと、一番隊の数名が彼らを見守っていた。
永倉が拭いをかけた刀を納めて二人の傍へと近づいた。
「祐殿、新之助。お見事でした」
「永倉先生!!申し訳ありませんでした!!」
その場に土下座した新之助とその隣で同じく手をついた祐に、永倉は首を振った。
「やめてくれや。俺は言ったはずだぜ?仇と思うならいつでもかかってこいってな。だが、お前は俺じゃないと思ってくれたじゃねぇか。男としてそれに応えねぇわけにはいかなかったからな」
―― 数馬のためにも
新之助と祐の泣き声に微かに笑った永倉は、踵を返すと近藤に向かって頭を下げた。
「すまねぇ。近藤さん」
「馬鹿を言うな。新八、さあ、トシが今頃気を揉んでる頃だろう。神谷君、君は笠井君と笠井君の母御を送って行ってくれ。今日だけは親子水入らずで父御の仏前に報告したいだろうからな。笠井君、明日には屯所に戻るように」
近藤の言葉に新之助親子は抱き合って涙にぬれた顔を上げた。
「わ、私は隊に戻ってよろしいのでしょうか?近藤局長」
「当たり前じゃないか。見事、父の仇を討った程の君にはこれからも色々と働いてもらわないといかんからな」
「あ……、ありがとうございます!!」
再び涙にぬれた二人をセイが手を貸して、歩きださせた。伊庭の亡き骸と他にも浪士達の亡き骸を、残った隊士達が空地から運び出していくと、近藤は永倉とともに歩きだした。
セイだけを行かせることにちらちらと視線を送っていた総司を見た近藤が笑いだした。
「総司、お前も笠井君を送って行ってくれるか?」
「しかし、近藤先生」
「大丈夫だ。俺は新八とひと足先に屯所に戻ってるぞ」
連れ立って、提灯もないまま屯所へと歩き出した近藤と永倉に頷いた総司は急いでセイ達の後を追いかけた。
– 続く –