草紅葉 1

〜はじめの一言〜
斉藤先生にも迷いがあっていいかなと。

BGM:Metis 梅は咲いたか 桜はまだかいな
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どこかぼんやりとした斉藤は、腕を組んだまま廊下を歩いていて、柱にぶつかりそうになった。

「む……」

しかし、ぶつかる直前で足を止めた斉藤に、それを見ていた隊士達が固唾をのむ。
あと少し、足の指分だけ進めば、まんまとその額を柱に打ち付けるだろうに、その直前で止まった斉藤はくるりと向きを変えた。柱をよけると、再び腕を組んで何かを考え込んだまま歩いていく。

「お、おい」
「ああ。斉藤先生らしくないよな」

三番隊の隊士達がひそひそと囁きを交わしているが、それは三番隊だけにとどまらない。このところの斉藤の様子は明らかにどこかがおかしかった。

大階段の下で草履を履いた斉藤は腕を組んで眉間に皺を寄せたまま、重い足を引きずるように歩いていく。呆気にとられた門脇の隊士が送り出すと斉藤は返事もせずに歩み去って行った。
振り返ると斉藤が歩いた通りに砂利が抉れている。

「なあ、ここんとこの斉藤先生はいったい……」
「どうしたっていうんだ??」

 

「絶対おかしい」
「何がですか。全く、もうその企み顔はやめなさいよ」

仁王立ちして鼻息も荒いセイに総司が呆れた顔を向けた。
掃除を終えたばかりのセイは、先ほどの斉藤が出ていく様をまじまじと見ていたのだ。まるでからくりでできているように、ぶつかる寸前で向きを変えた斉藤もかくかくとおかしな具合に歩いて行った様も。

「だって、絶対おかしいんですもん。斉藤先生。沖田先生はそうは思わないんですか?」
「うーん。そりゃ、まあ……」

曖昧に頷いたものの、斉藤は隠密という姿を隠して隊務を務めている。それを思えば何か憂慮事項でもあって、斉藤が悩んでいるのではないかとも思える。
もしそうなら悪戯にセイの興味を引いてしまっては困る。

「斉藤さんには考えることがたくさんあるんですってば」
「それにしたって、兄上は沖田先生と違って、あんな姿今までみたことないですもん!」

ぐさりと総司の胸にセイの言葉が突き刺さるが、当の本人は握り拳で斉藤の異常を突きとめようとしていた。仕方がないと思った総司はぐいっとその手を掴んだ。

「他の隊の組長の心配をするくらい暇なら他にもやることはたくさんあるはずです。余計な詮索は禁じます。これは貴女の直属の上司である組長命令ですから」
「は、はいっ。申し訳ありませんでした!」

かぁっと頬を赤くしてセイが頭を下げる。何度言ってもこうして様々な厄介ごとに首を突っ込んでいくところだけはいつまでたっても直らない。他の事がどんどん上達していくだけに余計厄介なのだった。

少しぶりに掴んだセイの手首の細さに内心、動揺した総司はその手を離すと、急いで背を向けた。

「さ、仕事仕事」

そそくさと隊部屋に戻った総司の後姿を追いかけて、セイは襷を外しながら隊部屋へと入る。どこか名残惜しそうに廊下の向こうへと視線を向けた。

 

屯所を出た斉藤は、どこへ行くともなく街を歩き回り、目についた縄のれんをくぐった。

「酒を頼む」
「おおきに」

小上がりに席を取ると、胡坐をかいてぼんやりと目の前の衝立に描かれた絵を眺める。
これと言ってどうということもない柄であるが、季節がら秋から冬へ向けたどこか寂しげな絵であった。

「おまちどおさまで」

目の前に置かれたお銚子から杯へと酒を注ぐと、舐めるように口に運ぶ。

―― 味がしない

斉藤は杯を置くと、懐に手を当てた。かさりと強張った感触が懐にある物を意識させる。
半眼を閉じて懐にあった分厚い手紙を取り出す。

「やむなしか……」

中身はもうすでに目を通している。それが斉藤を悩ませていた。
それを前にしてじっと杯を睨んでいた斉藤は、なにかを断ち切るように酒を飲み始めた。普段なら、いくら飲んでもほとんど変わることのない斉藤だったが、この日はひどく酔いが回る気がした。

三本目を空にしたところで代金を支払うと店を出る。夜番までにはこの酔いを醒まさなくてはならない。

屯所に向けて歩き出した斉藤は、屯所に戻るとそのまま道場へと足を向けた。着物姿のままで、壁の木刀を手にすると誰も居ない道場の中で無心にふるい始めた。

『斉藤一殿』

こんな書き出しで始まった手紙は斉藤を深く悩ませていた。それを斉藤が受け取ったのは数日前の事で、珍しくも実家の父からの手紙であった。

分厚い手紙には、斉藤の近頃の様子を尋ね、実家の近況が綴られていた。懐かしくもそれを読んでいくうちに、斉藤の眉間には皺が深く刻まれ始める。 読み終えたところで、ため息をついた斉藤はその手紙を懐に入れた。それ以来、ずっと懐の中にあり、時に取り出してはため息をついている。

たっぷりと汗を流し、酒をすっかり抜いてしまうと壁に木刀を戻す。汗にまみれた姿で道場の床に置いていた羽織を手にすると隊部屋へ向かった。

「おわっ、斉藤先生。そのままの姿で稽古されてたんですか?」
「ああ。少し酒を抜こうと思ってな」

ばさりと羽織を放り出すと、懐の手紙をその間に挟み込む。隊士達の呆れた顔を前に素知らぬふりで、着替えを手にすると立ち上がった。

「斉藤先生。井戸水じゃいくらなんでもお風邪を召しますよ?」
「いや、そのくらいの方が身が引き締まってよい」

隊士が止めるのも聞かずに井戸端に向かうと下帯一つになって、頭から水を浴びた。幾度も繰り返すうちに汗だけでなく、迷いも流れていくようだ。
しばらくして、桶を置いた斉藤は手拭いで身を拭うを着替えを身に着けた。

身なりを整えた斉藤は隊部屋に着替えを置くと、羽織を着て手紙を懐に収めた。
様子がおかしい斉藤の姿を隊士達がそれとなく気を配っている中で、斉藤はぼうっとした顔で隊部屋を出て行った。

「本当にどうしたんだろうな?斉藤先生」

うーむ、と三番隊の一同が組長に倣ったように腕組みをして唸っていた。
隊部屋を出た斉藤は副長室に向かっていた。

「副長。斉藤です。よろしいでしょうか」
「おう。入れ」

廊下に手をついた斉藤は、障子を開けて中へと入った。文机に向かっていた土方は、噂の斉藤が現れたことで興味を持ったのか、初めから身を捻って振り返った。

 

– 続く –