仏の霍乱 後編

〜はじめの一言〜
プチタラシ祭り?!ってかんじですね。今回は斎藤さんです。
BGM:ROCK’A’TRENCH My SunShine
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「兄上?」

もちろん、セイは斎藤の我儘など見たことがない。総司や藤堂と同い年であるはずだが、子供っぽい悪戯や我儘は総司達の得意技で斎藤と言えば仏顔で無表情のはずだ。

だというのに、今は熱でとろんとした顔で子供のように甘えている。その珍しい姿に驚くのを通り越して、セイはなんだか急に斎藤が可愛らしく思えてしまった。
セイは、斎藤に掴まれていない方の手で斎藤の手をそっと包み込んだ。

「お休みになるまでここにおりますから安心なさってください」

セイがそう言うと、強く握っていた斎藤の手が少しずつ緩んでいく。セイは、掴まれていた手を解いて斎藤の手を上から握った。
照れ臭くなったのか、自分で手拭を引っ張ると斎藤は目を閉じた。

苦しげな呼吸が少しずつ落ち着いて行って、寝息に変わっていく。

それでもしばらくの間、セイは斎藤の手を握っていた。
店の女将が斉藤の様子を見にあらわれたので、そっと斎藤の手を布団に戻すと、セイは応対に出た。安芸が戻るまではもう少し時間がかかるというが、そろそろ屯所へ一度戻らなくてはならない。

「すぐに戻ってきますから、少しの間頼みます」
「心得ました」

斎藤の世話を女将に代わってもらうとセイは急ぎ足で屯所との間を往復することにした。門限より四半刻前に屯所に戻ったセイは、土方に斎藤の様子を報告すると、すぐ揚屋へと引き返した。

息を切らせて揚屋に駆け戻ったセイを女中が出迎えたのとほとんど同じ時に、安芸が客を送って店の入り口まで出てきた。セイは、軽く身を引いて脇によけると帰る客を先に通した。安芸が軽くセイに会釈を送りながら、客を送り出していく。
どこかの大身に仕える者らしい姿だが、刀は飾りとして持っているような体つきである。

「こんな一時だなんていつもは仕舞いにしてくれるじゃないか?」
「あい、すみません。今日はお座敷が重なってしまって……」
「この私よりも大事な客がいるというのかい?」
「まあ。旦那はん、いつになく我儘をおっしゃいます」

どうやら安芸の客は、安芸に執心で線香だけの短い時間で断られることが少ないらしい。セイが脇に除けて待っているというのに随分ごねている。仕方なく、セイは安芸の客の脇をすまない、と言いながらすり抜けて店に上がった。
安芸との別れを邪魔する者と思ったのかセイをじろりと睨んで、ひどく嫌そうな顔を向けた。

―― はいはい。お邪魔虫ですよね

内心では舌を出しながらセイはさっさと斎藤の部屋に向かった。部屋の外で声をかけてから障子を開けたところで、安芸が追いついてきた。

「神谷さん。すいまへん、遅くなってしまって……」
「安芸さん」

セイの隣まで来ると、小声で安芸が困った顔をして先程の客のことを詫びた。

―― しつこいお客さんで困りますわ

あの様子ではうまく言って追い返したのだろうが、確かにしつこそうだ。
多少、待ったことや不躾な視線くらいなんでもない。大変ですね、とセイが応じて女将と入れ替わり、斎藤の様子を見ていた女将が代わりなくまだ斎藤が休んでいるといって、障子を閉めようとしたところに、荒々しい足音が響いてきた。

「もし!お客はん!!あきまへん!!」
「うるさい!!」

足音が階段を駆け上がって来た方向へ女将だけでなく、セイと安芸も顔を向けた。先程の男が一応、腰に刀を差し添えながら二階の廊下に当たるところへ現れた。

「お前!!やっぱりさっきの小童だな。お前のような者が安芸を座敷に呼ぶなど百年早い!!」

足音の主は、セイの顔を見て大声で怒鳴った。一度店を出た後に安芸の客を確かめようと戻ってきたのだろう。小刀を手に廊下を走り寄って来た男は、悲鳴を上げた女将を突き飛ばして、セイに向かって小刀を振り上げた。

「安芸さん、下がって!」

咄嗟に安芸を部屋の中に押し込んだセイは、脇差を鞘ごと抜いて小刀を受けた。相手は腰に差している大刀でふらつくような男だ。この手の輩程度に引けを取るようなセイではない。

「おやめなさい!」
「うるさい!小童が生意気に!!」

脇差の鞘で受け止められた小刀を一度引いてから、再び男が振り上げた。今度は、いくら、刀を抜いたこともないような侍とはいえ、セイよりも頭一つ分は上背がある。
そこに悋気の勢いが加わって、上から振り下ろされた小刀はずしりと重く感じられた。

「……っ!」
「神谷さ……っ」

不意に、セイが背後にぐいっと引っ張られた。

「うわっ!!」

大きく仰け反ってセイが尻もちをつくと、そこには浴衣姿の斎藤がセイの襟首を掴んで後ろに引き倒していた。ひどい顔色で、額には汗を滲ませながらも、相手の刀を握る手を掴むと、体術で男をあっという間に当て落としてしまった。
斉藤は、男が握っていた小刀を取り上げると、男を追いかけて廊下に上がってきていた店の男達に小刀を預けた。

「あ、兄上。大丈夫なのですか?」
「……大丈夫かはこちらの台詞だ」

胸元がはだけた姿でゆらりと尻もちをついたセイへ斉藤が手を差し出す。女将が背後で詫びを告げると、店の男達と共に男を担ぎ上げると、急いで階下へと降りて行った。
斎藤の手を借りるのは流石にどうかと思ったセイは、自力で畳みに手をついて起きあがった。

「すみません、兄上。あのくらいの男、すぐにやっつけられると思ったんですが……」
「狭い廊下で立ち回りなんかするもんじゃない」

ぐらりと傾いだ斎藤の体を傍らに避けていた安芸と、セイが急いで両側から支えた。

「斎藤先生、いけません。こんな状態でよくまあ……」

呆れた声を上げた安芸と共に、セイは斎藤を布団へと連れて行った。セイと安芸が手を貸して床に寝かせると、その額に手拭を乗せた。床の両脇に、安芸とセイが座っている。

「ふ……。随分と贅沢な夜だな」

斎藤が一人呟くと、意味のわからないセイはきょとんとしているが、意味のわかった安芸はくすくすと笑いだした。
花街の売れっ妓と隊内の売れっ子をはべらせるとしたら、確かに贅沢だ。

「斎藤先生ったら、そんなに具合が悪くていらっしゃるのに、余裕ですねぇ」
「かもしれんな。言われなければ、屯所に帰って酒を飲んでさっさと寝ているところだ」

呂律が回りにくそうだが、楽しげな二人の会話に邪魔をしては、とセイが気を利かせたつもりで斎藤の傍から離れようとすると、斎藤より先に安芸が慌てて止めた。

「神谷さん、斎藤先生の傍についていてくださいな」
「あ、でも私、お邪魔になりますし、向こうで……」

腰を上げかけたセイの手を斎藤が掴んだ。代わりに安芸が、立ち上がって隣の部屋へと出て行く。

「邪魔は私の方みたいですわ。明日の朝また様子見に寄らせていただきます」
「え?え?安芸さん?ちょ、兄上、いいんですか?」

斎藤に手を掴まれているために、安芸を止めることができなくて、笑いながら部屋を出ていく安芸をセイはただ見送った。
全く意味がわからなくて、安芸の後ろ姿と、斎藤の顔を見比べていると、斎藤がぼそりと手拭の影から呟いた。

「俺がたまにはアンタに甘えてもかまわんだろう?」
「は……はぁ?!」
「いいからここにいてくれ」

驚いてぺたりと腰を下ろしたセイの手を離すと、拗ねたように斎藤は反対側に顔を向けてしまった。布団の隙間から見える浴衣の襟元は、はだけたままで、熱のために汗ばんだ斎藤の体臭がほのかに香った。
ふ、と座りなおしたセイは、もう一つ、傍にあった手拭を手にすると、桶に浸して固く絞った。ひんやりと濡れた手拭を斎藤の首筋にあてると、胸元にかけて、そっと滑らせて汗を拭っていく。
されるがままになっていた斉藤がそっぽを向いたままぼそりと呟いた。

「すまん」
「たまには兄上に甘えていただくのもいいものですね。朝まで傍にいますから、ゆっくりとお休みになってください」

手拭で汗を拭い終えると、斎藤の胸元を整えて、布団をかけ直す。傍にいることが分かるように、今度はセイのほうが斎藤の片手を握った。
手拭を浸していたためにひんやりとした小さな手を、斉藤は手の中に感じた。

―― 病もたまには悪くないな

夢に落ちる寸前に、そう思った。

 

– 終わり –